コロナ禍で自粛生活となったのをきっかけに、いろいろな出来事を記録しようというくらいの軽いノリで書き綴ってきた『僕の自粛日誌⑫』も、なんと『その⑬』にまでになった。

今回はタイトルに “いよいよ終わりに差し掛かったと実感する” と入っているのだけれど、これからも自分の記録として、気楽に書き続けて行こうと思う。

 

3月末頃。

前回の自粛日誌をアップした直後、「吹いて宣伝!」キャンペーン企画で、「THE鉄鍋」というバンドでの相方でもある渡邉英一さんのギターの個人レッスン生徒募集をアップさせていただいた。

 

 

このシリーズの開始当初は毎週のように参加者に恵まれ、ここに来てようやくペースが落ち着いて来た感じだ。まだ演奏映像だけが仕上がっていない方や、急な体調不良などで先送りになられた方のデータの到着をお待ちしながら、次の候補の方々へ交渉をして行く。

すでに作品例も多いため(どんなものになるか解らない)という状況ではなく、(あ~。この人の動画みたいにしたいな~)なんて具体的なイメージを持っていただきつつ話が進んで行くので、企画の運営側としては非常に助かっている。やはりどんな事になるのかもわからない中で参加して頂いた、立ち上げ時のメンバーの方々には特に大感謝だ。勇者と言っても良いだろう。

 

3月の末はオンラインレッスンの方が慌ただしかった。というのも、4月からレッスン料を3300円から3500円に値上げというのが決まっていたので、値上げ前の駆け込み需要があったのだ。

これについて少々心配していたのが、値上げをした段階以降から定期レッスンを辞めてしまわれたり、受講の頻度が減ってしまうのだろうかという事だった。さらに言えば、新しい生徒さんの問い合わせなども、パッタリ途絶えてしまわないとも限らない。

さらに僕の値上げとは無関係に、生徒さんご自身体調悪化のため日常生活にまで影響が出てしまわれた方々が数名みえて、やむなくレッスンを卒業となってしまった。中には「また良くなったら、」と言って下さったものの、安易には楽観視できないような体調悪化の方もおられたので、今後が心配だし非常に残念だった。

そんな不安な中ではあったものの、たまたまなのか、コロナ禍に突入した当初の頃のような多くの無料体験のお申し込みに恵まれ、そのほとんどが4月以降の定期受講を前提とされている方ばかりだったため、僕は胸を撫で下ろした。

今期の新しい生徒さん達は不思議と変わったご職業の方々が続き、嬉しい事にブルースのセッションテクニックを希望される方ばかりだった。その両方から、僕は単純にブルースのレッスンの終了後には「吹いて宣伝!ハーモニカ音頭」キャンペーン企画への参加をしてもらえるかもしれない)と、密かに期待するのだった。

 

 

4月になる。

今までの生徒さんの定期レッスンに加え、新しい生徒さんからの予約が相次ぎ、非常に良いスタートが切れた。様々な地域の方々がいらっしゃるので、こういう時は改めてオンラインの力を思い知る。

日本地図を赤ペンで塗りつぶすのが密かな楽しみだったけれど、ありがたい事に少しずつ白スペースが減って来ている。もちろん世界地図の方も早々に用意している。今のところ海外からのレッスンの申し込みはみなさん日本語での受講だったのでなんとかお受けできたけれど、語学には全く自信がないので、これから翻訳機の進化に期待しているところだ。

コロナの方はすっかり落ち着いているようで、そちらの方の心配はなかったものの、あらたに「はしか」という問題が追加された。さらに厄介なのは「はしか」に掛かると今までのワクチンが無効化されると話なのだ。

僕はタイミング良く、少し前に打った別のワクチンがこの「はしか」対策も含んでいたらしいとの事だった。かみさんの方も少し遅れて「はしか」のワクチンを打てたので、我が家は少々気を抜いていられた。

 

コロナが一段落という事で、ハーモニカの動画企画の撮影も兼ねて、かみさんと花見に向かう。この春は寒暖の差が激しすぎるのと暴風雨クラスの悪天候で、桜もなかなか咲かず、そうかと思うとすでに散ってしまったところもあったくらいだった。

唯一というくらいの晴れ間を見つけて、小田原と箱根の間にある入生田のしだれ桜を見に行く。もうかれこれ10年くらい前に行って、見事な大木を囲み眺める人の群れが感動ものの景色を作り出していたのを覚えていたのだけれど、その前に地獄のように続く石階段がある方をすっかり忘れていた。

僕は自分の体力づくりも含めてダッシュした後、ハーモニカを吹いた動画をアップするという企画を続けて来たので、それなりに登り切る事ができ、撮影も難なく無事に終了する。持参した地元「伊勢屋」の団子をほおばりながらの、実に雅なひと時を楽しんだ。

 

 

 

そんなのどかな4月のスタートだったけれど、台湾をマグニチュード7の大地震が襲い、沖縄では30センチくらいの津波が届いたほどだった。台湾は日本の震災をどの国よりも心配し、いち早く支援をした国だ。僕らも出来る事をするべき間柄だと思う。

能登地方を襲った年始の大震災は、全く復旧の目処が立っておらず、仮設住宅の入居申請が8300件という凄まじさだ。3月末で1600戸という状況なので全く追いついていない。

同じニュースで、「大阪万博を非難したテレビのコメンテーターを、万博出入り禁止にする」と吉村大阪知事が放った暴言が取り沙汰されていたけれど、相変わらず、日本の政治家達の幼稚さには呆れ返る。やはり一部の人だけが望んでいるお祭り騒ぎのために、震災復興は進まないという事なのだろう。オリンピックも同様、いつだって結局は誰もが感じる経済効果なんてものはないのだから、せめて困っている人が少ない国を目指すべきではないのだろうか。

その後の台湾の災害対応は世界を驚かせるものだった。なんと震災の4時間後には行政のトップが災害地を視察、その日のうちに仮設住宅は整い、夕方には被災者がシャワーを浴びられたというのだ。オードリー・タン氏を始め、コロナの緊急対応時のシステムが完全に生きているという訳だ。本当の先進国とはこういう国の事なのだろう。

 

4月の初旬。

マツモト管楽器工房さんの「吹いて宣伝」企画への参加動画が完成する。楽器の修理調整と、管楽器レッスンの宣伝を兼ねた内容となっている。

 

 

社長のマツモトさんはYouTube配信でもかなり実績のある方なので、さすがにわかりやすい動画を制作をしていただき、教室を開講されているサックス教室講師の西智帆さんが渋いソロプレイで参加して下さり、動画の完成度の高さに感無量だった。

 

同じ時期、犬を飼っている愛知時代の友人夫婦のお誘いで、僕とかみさんは伊豆で合流し、ペット同伴可能のペンションに一泊旅行に行く。前に「ミスターコールの旅」という動画シリーズでも撮影に来た事がある、イガイガネという珍しい地形の観光地の近くだ。

桜の時期ではあったのだけれど外は生憎の雨という事で、到着日はペンションの食事の後、室内での飲み会となった。友人のペットは怖がりなので、あまり騒がないようにしなければならず、どんちゃん騒ぎとはいかないまでも、久しぶりの楽しい一夜を過ごした。

翌日は快晴となり、改めての伊豆観光となった。と言っても僕らは小田原なので、早ければ1時間の距離の地域のため、そう新鮮という訳でもないのだけれど。

 

ただ行く先々で驚かされたのは「ペット同伴施設」の多さ、というよりはすでにインフラ化されている流れだ。友人のペットがいるため、初めてこの事に気が付かされたのだった。ドッグランが併設されていたり、同伴で食事をできるところがケージで囲いをされた状態で常に併設されている。友人がそれらの施設を調べて来たという訳ではなく、どこへ行っても当たり前のように存在するのだ。また、すれ違うペットの飼い主同士が「何歳ですか?」などの軽い会話をし合う事も続き、僕らはその当たり前のようなペットを連れている人口の多さに驚かされた。

そんな友人達は夕方前には次の宿泊地へ向け移動、僕らも家路についた。

夜になると、さすがにペットの存在の強烈さに気付かされる。今さっきまでを振り返り「もうご飯食べた頃かな?」「もう遊び疲れて寝てるかな?」などとペット話が続いてしまう。

僕らは昔はげっ歯目の「チンチラ」を15年飼っていた。最後には介護になってしまったけれど、ふわふわな毛並みは忘れることはないだろう。今はペット不可の借家だし、生活的にもそれは難しいので、たまにペットコーナーを覗くくらいで我慢している。

 

4月中旬。

世間では大リーガー大谷翔平選手の通訳を務めていた友人が、違法賭博で逮捕されるという事件がメディアの話題を独占する。ひとりでスカイツリーを2棟建設できるほどの収入がある人物の財産を狙うにしても、24億5千万円という着服には全く唖然とさせられる。一体どれだけ負けるとそうなるのだろうか。僕はスポーツには全く詳しくないけれど、世界的な活躍をする日本人が、そんな事で本業に影響が出てしまってはと思うと非常に残念だ。

 

一方、我が家ではスケールの小さな一大事を迎えていた。僕とカミさんはスマホを一新する事にしたのだ。今やスマホは切っても切り離せない、生活の最優先の必需品だ。文字通り朝起きてから寝るまで僕は手放さないでいるほどだ。ほとんど病気といっても良い。

新しいiPhoneは、見た目にはひと回り大きいくらいしか違いがない。カメラ機能がかなり充実しているので、ハーモニカのミニ動画の企画においてはかなりの戦力になってくれる事だろう。

とにかく今回大変なのは、業者に頼んで機種変をするのではなく、自分達がその作業の全てを自宅で行うという事だ。といっても、ほとんどはカミさんが調べて「ここをこうやって」と言われたのを、僕が「はい、わかりました」と実行するだけだ。

それなりに大変だったのは、スマホの画面に保護フィルムを貼る作業だった。汚れやゴミを一切つけないために「素っ裸で風呂場でやるよう」指示されていた。それなりに抵抗はあったものの、その通り実行してみた。

2日間かけてすべての移行作業を行った。特に問題なく、すぐに使えるようになるのだけれど、全てが終わった後はもうぐったり疲れ果てて、何もしたくないほどだった。

僕にとってかなり大きく違ったのは、イヤホンがコードレスになった点だ。僕は寝る寸前までスマホで何かしらの動画を見ているので、朝起きるとコードが首に絡まっていて危険な状態もあった。これからはその問題が無くなる訳だ。

 

いよいよゴールデンウィークが間近に迫る。連休に入ると動けなくなってしまうので、ちょっとした打ち合わせもあり、僕はかみさんと箱根甘酒茶屋さんに顔を出す事にした。実はゴールデンウィーク明けの週に、ギタリストの渡邉英一さんとのデュオで、CD販売を目的とした簡単な演奏を企画していたのだ。

もちろん連休でのコロナやインフルエンザの推移も見定めなければいけないし、最近の気候変動の異常な状況を考えると、野外でのイベントは中止になる可能性もあるけれど、この企画で、僕は演奏現場に戻る足掛かりを作れればと思っていた。インターネットでのライブ配信やちょっとしたデモンストレーションのような演奏を除けば、オーディエンスの前でしっかりとハーモニカ演奏を聞かせるのは3年ぶり、いや、ひょっとすると4年ぶりに近いくらいかもしれない。

そんな中、この数日でもまた脇腹のつりの症状があった。以前に比べれば、圧倒的に頻度も減り、その痛みの度合いも弱くなったものの、まだこれが終わっていないので、演奏本番を考えるとかなり心配ではある。まぁ、そうなったらそうなったで、渡邉英一さんのギターのソロ演奏として、しばらくその場をつないでもらうしかないのだ。

おのおののCDを売るためとは言え、さしてメリットがないものに遠方から来てもらい2日間も付き合わされる渡邉さんにはさすがに申し訳がないので、寝るところと食事と酒、そして箱根の温泉をこちらで提供する事にした。

今回のこの企画を通して、僕らと箱根甘酒茶屋さんとのかつてのイベント企画「箱根八夜」シリーズを復活させられるのかも占う事になっている。

 

4月下旬

ゴールデンウィークに突入する。最長で10日の長期連休の方もいるらしい。僕もかみさんもあまり世間様のスケジュールとは合っていないので、自分の仕事や予定が無ければ、その日は休みになるのだけれど、観光地に住んでいるようなものなので、連休は逆にこもりがちになる。

今回の連休はさすがにコロナも収まったままでいてくれ、インフルエンザや心配されていたような「はしか」の問題も特に無いようなので、誰もがのんびりと過ごせそうだ。街でもまだマスク姿の人が半分ほどで、程よく警戒感もあり、急な状況悪化に備えている雰囲気も若干は残っている。

では皆がほどよく浮かれているか、というと決してそうではない。病とは別の問題に、日本人の誰もが苦しんでいた。日本経済の深刻な停滞だ。

円安に歯止めが掛からず、海外のメディア評価で、最も安く旅ができる国の上位に日本がランクインしたほどだ。経済大国などすでに遠い過去、今では貧しい先進国代表となったのだ。

それでもロシアのウクライナ侵略、イスラエルのガザ侵攻から始まったイランへの戦火拡大など、世界戦争の真っ只中に合っては、3度の食事が取れる国など何の問題もない。

とはいえ、年始に大震災に見舞われた能登は、まるで復興する様子もなく、そのままの状態がネットの映像で流れて来る。本当に国は対応する気が全く無いらしい。全壊してしまったような人達にたった5万円程度の助成金すら振り込まれず、政府はまだ水道すら整っていない地域に関して「すでに近郊で水が購入できるので問題はない」と平気でコメントする異常さだ。

誰もが、大阪万博をやめれば、それで人、物、金の全てがなんとかできるはずだと口にするけれど、その声は届きそうもない。開催する側の大阪の方も手放しで大歓迎という雰囲気でも無いらしく、強制的に見込んでいる生徒達の修学旅行も「ゴミ埋め立て地の懸念」問題が噴出するも、ただただ日々ごまかし続け、何としてでも逃げ切って、ダラダラと開催までこぎつけようとしている。そんな病んだ国の状況の中で、当たり前にこのゴールデンウィークは盛り上がる訳もない。

 

 

そして5月になる。

連休中、コロナ感染は全国的には落ち着いてはいるものの、ピンポイントでコロナ病棟満室という病院情報が出始める。休み明けには、5類移行後のほぼ半年で新型コロナ死者1.6万人なんて数字まで出た。インフルエンザの死者数が、2019年の1年間で3575人らしいので、尋常じゃない数字だ。それを連休明けまで隠しておくというのが、日本のメディアの恐ろしいところだ。とにかく、連休中に気にせず、とことん経済を回してくれれば、後はどうなっても良いという事なのだろう。

僕のオンラインレッスンの生徒さんの中でも、相変わらずコロナ感染が続いていた。重症者は聞かないまでも、誰もが後遺症を心配しながら生きて行く事になる。どうして「人混みではマスクをして、手洗いとうがいは続けましょう」というくらいの発信ができないのだろうか。

 

連休開け翌週の週末、イベントでの演奏のためギタリストの渡邉さんが前泊で我が家へやって来た。渡邉さんはヤマノのレッスン帰りの足で夜遅く到着し、軽く飲んで、深夜に軽く曲の打ち合わせをしてから寝てもらった。

誰かを泊めるのは本当に久しぶりの事だった。なんせ、コロナからはもう誰かを泊める事は無いと思っていたくらいなのだから。

翌日は朝から移動し、箱根甘酒茶屋へ。簡単な挨拶を済ませ、機材のセッティング。前日にある程度決めていたので20分くらいで作業は終了。11時、13時、15時という3ステージを予定しているものの、人が集まってくれれば少々時間を調整したりしながら演奏を開始する。逆に、誰もいなければ演奏は出来ないのだから。

では、当日のダイジェスト動画をご覧いただきたい。

 

 

円安の影響なのだろう、海外にいるのではと思えるほどの外国人の数で、まるで人種のるつぼだ。海外の人は生演奏に抵抗が無いので、平気で一番前の席に陣取ったり、普通に食事をしながらノリノリで聴いていたりする。そういう意味では非常に助かる存在だった。渡邉さんのオリジナル曲を中心に演奏したのだけれど、箱根の新緑との相性も素晴らしく、とてもすがすがしい時間を過ごす事ができた。

 

このダイジェスト動画が初日の動画で、翌日は記録がない。撮影をしてくれるかみさんが、初日で体調を崩してしまい、2日目は僕らだけだったからだ。1日目は太陽フレアの問題で世界中で通信障害や異常現象が起こってしまった日でもあり、北海道でもオーロラが見えたりしたほどだった。野外だった事もあり、かみさんはその影響をうけてしまったのかもしれない。

それに加え、天候にも恵まれず寒いほどだった箱根は、外でおしりが痛くなる丸太に座りながら演奏を聴いてもらうには酷なほどだった。やがてぽつりぽつりと雨が降りそうな感じになり、お客さんもまばらなままで、15時前に短めなラストステージを始め、早々と撤収を余儀なくされる残念なラストだった。

それでも、オンラインレッスンの生徒さんが数名来訪され、初めてリアルにお会いする事ができた。さらに以前の東京教室の生徒さんのご家族も来訪され、とても驚かされた。

この生徒さんも「箱根八夜」というイベントに来られた方々で、今年の再開を望む言葉を何度も口にされていた。なんとも嬉しい限りだ。

けれど、この2日間の演奏を通して、本音では箱根の観光地としての空気感の変化に、かなり戸惑ってしまっていた。今後のイベント再開を占うという意味もあったのだけれど、ここまで客層が変わってしまうと(これはある程度の方針変更が必要なのだろうな)と考えさせられる機会ともなった。

 

5月中旬。

GWが開けて約一週間後、僕の地元小田原はある変化により注目を集めていた。小田原市長選挙である。わかりやすく、現職は与党で、一騎打ちとなるのは市民派の元職だ。結果は2万票を空けての元職の加藤市長の圧勝で、「市民が政府にはっきりとNOを言った!」という文言がSNSを中心に飛び交った。

僕らも選挙はイベントとして欠かさないのだけれど、特に今回は現職のスキャンダルや「旧統一教会」と関係を持っていた議員達の諸問題もあって、最も盛り上がるという最終日の街頭演説を、夫婦揃って見にも行ってみた。様々なパフォーマンス、そしてゲストの応援演説や講演会が先導する合言葉などを眺めて、これは音楽のライブ演奏などより遥かに面白いのではと思わされた。

今回は統一教会の問題が大きかった事からも、演説会場でジャーナリストの「鈴木エイト」が取材に来ていた。本物が間近で取材している姿に大興奮で、僕とかみさんは大いに盛り上がった。

住んでいてもあまり実感は無いのだけれど、小田原は「保守王国」と言われているそうで、それだけにリベラル側が勝つ事は難しいらしいのだけれど、ここまで国民全体が政府にNOを言っているくらいだから、本当に大きな転換期なのだろう。今後も誰を選ぶかはともかく、選挙だけは欠かさず行くようにしようと思った。

 

5月末。

厚生労働省の発表で、今年1~2月だけですでにコロナ関連死者数が1万人を超えた事が発表される。昨年12月からの第10波全体で1万3千人という事だった。この数字を見るにやはり「コロナは終わった」なんて、とんでもない勘違いなのだろう。かと言って、今更誰が危機感を持って感染防止対策を行うだろうか。

僕はこの「自粛日誌ブログ」を書き続けている事もあって、ある程度は意識をしたまま生活しているので、マスクであれ手洗いうがいであれ、当たり前に続けている。ただ、さすがに緊張感を持って、感染予防を人一倍頑張ろうとまでは思わなくなった。結局は人それぞれだからだ。周りでそれなりに感染者が増え続けてはいるようだけれど、それでも気にしない人がいても仕方がないし、正直なところ、もう「運」という要素が結構強いようにも感じる。

今再びじわりじわりと感染者が増加傾向なのは、連休後からの影響なのだろうけれど、これが収まる頃には今度は夏休みの影響が出始めるだろうから本当にキリがない。感染を気にする人ともう気にしない人とが共存する社会なのだから。

 

 

6月になった。

3日の月曜日、早朝6時半頃に「緊急地震速報」で飛び起こされる。町内放送も加わり、かみさんとパジャマのまま玄関に向かい、まず戸を開け逃げ道だけは確保する。

けれど地震どころか微動だにせず、しばらくして部屋に戻り、ネットで情報確認をする。再び能登が震源となる震度5強の大地震で、倒壊し掛けたまま放置されていた家屋が何軒も倒壊してしまうほどの規模だったらしい。

この地震はかなり限られた範囲のものではあったようだけれど、全国規模での警報発出だったようだ。まぁ、何にしても、準備はし過ぎるくらいでちょうど良いくらいだと思うので、警報はもしもの時を想定して、とりあえず出してくれた方が良いとは思う。

 

能登の被災地の情報が、ほとんど入って来なくなった。政府が手付かずである事を隠しているのはもはや公然の事実なのだけれど、こうして次の大地震が来てもなお状況を報道しないのは、全く異常なレベルの情報統制だ。

この少し前に、経済再生担当の西村大臣が「もう能登には地震は来ないだろうから原発を建てろ」と発言したテープを入手したという、週刊誌のスクープ記事が出た。助けず、さらにリスクを追わせろという訳か。もともとネットで自分の趣味から美女図鑑なるものを作っていて話題になったトンデモ政治家ではあるものの、まさに時代劇の悪代官さながらではないか。

 

その少し前には、大阪の万博会場の4箇所で埋め立て地の問題と思われるガス噴出により爆発事故にまでなるのだけれど、消防へ連絡するまで4時間、爆発現場の写真を4点入手しつつも、鉄の扉がひしゃげた写真などは避け、大した事がないような写真を一点だけ選び公開するなど、政治家や行政サイドの悪質さも度を超えて来た。

それを受け、教育委員会も大阪の子供達が強制的に遠足に組み込まれるのを安全上の理由で拒否したらしい。それはそうだろう、我が子を爆発するようなガスが噴出する場へ送る親がいるものか。まるで映画の中でみるようなぶっ飛んだ異常な話の数々ではないか。

 

そんな中で、また当たり前のようなコロナの感染者は増加し始め、第11波を迎えつつあった。沖縄はすでに入院が限界を超え、面会が不可になった事を発表する。それと並ぶように、昨年4月からの一年間でコロナによる死亡者が40300人を超えていた事を厚労省がさらりと発表する。それが話題になるはずもなく、大手メディアの「もう終わった感」による情報操作も相変わらずだ。

友人知人も含め、すでに感染者も多く、幸いにも重症者は聞かないものの様々な後遺症は出始めている。それに逆行するかのように「コロナは結局無かった、嘘だった」とする、いわゆる「反ワクチン」集団の情報拡散も益々活発となっていて、もう日本は通常の情報経路を失ったと言って間違いないだろう。

 

6月中旬。 

僕のハーモニカのオンラインレッスンの方は、ありがたい事に順調に新しい方々に恵まれ、新鮮な気持ちで続けられていた。

どうしても新規の生徒さんの最初のレッスンは「無料体験」での通信ツールの話題が話の中心となってしまうので、なかなかハーモニカ自体の話に入れない。LINE、Messenger、Zoom、FaceTimeなど通信アプリをいろいろ試すのだけれど、やはりSkypeに落ち着くのが常だった。もちろん最初からSkypeでお申し込みされる方が全体の半分くらいなので、その場合は話が早い。

日本中で値上げが相次ぎ、増税ラッシュの中、僕自身もオンラインレッスンを値上げせざるをえなかったので、ずっと習い続けてくれている生徒さん達はもとより、この時期に新たに申し込んでくれる生徒さんには大感謝だ。

 

そんな折、オンラインレッスンの卒業生マルモさんが小田原に来る事になった。福島から静岡方面への旅の帰りに途中下車してくれるというのだ。

マルモさんは「ハモニカフェ・ワン」という動画企画を一緒にやって来た仲なので、かつての卒業生というよりチームのようなものだ。

という訳で、2人揃って「コラボで掛け合い演奏」を撮影する。

 

 

地元小田原が舞台となったNetflixドラマ「忍びの家」の世界的な大ヒットを記念して、二人で忍者の「変身の術」を指真似の定番ポーズで「ニンニン」とやってみた。多くの人が見ている中で音を出すので、恥ずかしさもあり、なんだかお互いに笑ってしまう。

先月も、ネットでしかお会いした事がない生徒さん達と、箱根のイベントで初めてリアルでお会いでき、とても不思議な感じだった。この独特な感じはお互いさまなのだろうか。どことなくバーチャルの延長線上にあるようで、フワフワとした気持ちになってしまう。

この動画企画に関しては、他にもInstagramでつながった「ノルマント元人」さんが「ダッシュ~」シリーズを非常にパワフルなブローで決めてくれた。なんとどうやったのか丸みをおびたデザインのホーナーのハーモニカ、ゴールデンメロディを立てての動画だったので、さらに驚かされた。

「絵になる景色でワンフレーズ」のシリーズの方にも新たな参加者「我善坊」さんが登場。視点がかなり個性的で、模様やパターンのようなものに着目してしまうようで、どことなくシュールな作風となっている。Twitter(僕はもうXとは言わない)では僕の「代理投稿」にさせていただいてはいるものの、残念ながらお二人はYouTube動画ではないので写真だけのご紹介だ。

 

●hamonicafe_one 専用Twitterリンク

 

6月末となる。

僕が開講して来たヤマノミュージックサロンでの対面型レッスンが、いよいよ終わりを迎えた。この事が決まったのは契約上の取り決めで、3ヶ月前の3月初旬の事だった。

 

少し前の話になる。

2月に想像していたよりも大幅にコロナの新規感染者が減少したのを受け、ややギリギリの判断ではあるものの、3月よりヤマノミュージックサロン有楽町での対面型レッスンを再開できるかどうかを打診してみた。

スケジュール上まだ10日ほどあったので、生徒さん方への再開の連絡は可能とのメールが来たのだけれど「再開時に今後の方針について話し合いたい」との文章が付け加えられていた。

そして迎えた再開日、厚生労働省がCOVID-19を5類感染症と分類したのを受け、講師の個人判断による休講は山野楽器として認められないため、休講期間の後任を指名するか、退任に向け動いて欲しい旨の通達がスタッフからあった。まぁ、簡単に言えば「コロナ感染を理由に、今後も個人的に休講をするのならクビ」という事だ。

僕の方も、どのタイミングであったとしてもやぶさかな話ではなく(よくここまで続けられたよなぁ~)というのが本音だった。企業的には、5類になった時にこの通達をしていてもおかしくはないのだから。

当然「呼吸楽器のレッスンとして感染増加の際は休講」という判断をしているので、その間を他の先生に委ねるというのは論外として、すぐに退任の決定をする。そのまま退任届けを受け取り、記入を済ませ、その日の内に提出した。その書類を提出しても実際に退任となるのはルール上3ヶ月後なので、この6月末日が最終日となった訳だ。

ヤマノの方針により、3月の時点ではすぐには生徒さん達には伝える事ができないため、僕が個人的の行っていた対面レッスンの告知動画や文章等を非公開にし、まずは今後の募集の動きを止める。そのまま有楽町店で別の講師によるハーモニカレッスンを続ける方もおられるかもしれないので、その際の引き継ぎ書も作った。この自粛日誌はだいたい3ヶ月単位で公開しているので、4~6月号で公開する事となり、前回の記事には書けないまま、今回に至ったのだった。

 

実際にそれを生徒さん達へ伝える許可がヤマノ側から降りたのは、5月に入ってからの事だった。「あと4回のレッスンでキリが良い内容を」との突然の説明に驚かれる方がほとんどではあったものの、「よくコロナの状況によって休み続けて来た教室がここまで認められたものだ」という感想も聞かれた。それが理由ですでにお辞めになられた方も数名おられたので、あえて今まで僕の教室を選んで続けてこられた方々ならではの感想なのだろう。

10年以上通って来た教室なのでそれなりに趣深いものはあるものの、生徒さんそれぞれに「その生徒さんならではのあと4回のレッスン」をやり切るために全力で臨むのが先だ。「今までのまま、普通のレッスンで良い」という方、「もう一度おさらいを」という方、「半分、先生のソロライブを見ているようなレッスンを」という方など、本当にさまざまだ。レッスンとしては30分しかなく、時間枠が連なっている方々は片付けや入れ替わりの時間もあり、そこに換気の時間の分も入るのでかなり慌ただしいものとなった。

 

そんな中、世間では「都知事選挙」が話題を席巻する。学歴詐称や都職員へのパワハラ疑惑など、何かと黒い話題が絶えない現職小池百合子都知事と、野党第一党立憲民主党の蓮舫議員との、実質一騎打ちの形だ。ともにいずれは日本人初の女性総理と名前が挙がる人物達なので、女性の時代を象徴するような戦いと言えるのかもしれない。

他にも様々な人達が出馬するものの、宣伝などの名目でのニセ出馬が多く、総勢50人を超えるほどの候補者にまで増えたらしい。まぁ、ほとんどは話題にすら登らない人達なのだけれど。

 

僕とかみさんは、ネットで上位4候補の合同記者会見を観た。僕らは一票を持つ側の都民ではないので、晩御飯を食べながら、ただ番組として観るだけだった。割と内容的には盛り上がっていたせいもあり、つい最後までしっかりと観てしまい、その事が、翌朝様々な発見をもたらす事になった。

現職小池都知事の打ち出すイメージカラーと蓮舫を共産党が指示したという状況から「赤いきつねと緑のたぬき」とも称されたこの戦いは、ネットでは「ネトウヨ」と「ネトサヨ」のかっこうの舌戦の場となっていた。ともに合同記者会見の切り取り編集動画のシェア記事が溢れかえり、両陣営とも自ら側を有利にするべく誘導する情報を大量に垂れ流す。「秒で論破」「瞬殺」「ワロタ、草」などの独特なネット用語が乱れ飛ぶのだけれど、ネットで会見全てのやりとりを観ていた僕ら夫婦には「あっ、この後の言葉の方が重要だったのに、削除してる!」とか「この編集だとニュアンスが真逆になってしまうぞ!」という悪質な誘導を、いくつも発見できたのだ。

やはりライブ中継に勝てるものはないなと再確認すると同時に、ネットってこんなにも簡単に情報を歪曲させられるのかと、改めて驚かされた。まぁ、今となってはそれをさらに意見例としてコピペして使っている大手のメディアの方が、より悪質な存在なのだけれど。

これこそまさに「ナラティブ・ロンダリング」だ。国の情報網の分断攻撃以外のなにものでもないだろう。雇われのSNSヘイトのアルバイトもいるのだろうが、右も左も良かれと思って行っている事の全てが、結局は国へのサイバー攻撃に繋がってしまっているのだ。なんて恐ろしく、また取り返しがつかない事態なのだろう。

とにかく面倒でも、垂れ流される情報は全て疑ってかかり、今まで以上に片っ端から情報ソースを確認するしかなさそうだ。

 

その翌日、ヤマノの対面型ハーモニカレッスンの最終日を迎える。コロナの第11波到来により、いよいよ新規感染者が急増していた。大手各メディアは経済優先の名目からか、相変わらず沈黙のまま全くのスルーなので、ほとんどの人は気にする訳もなかった。

近郊の川崎市のサーベイランスのグラフは急上昇傾向で、全国の感染者が3万人を突破というのだから、僕がこの日で対面型レッスンを辞めなかったとしても、今までの個人判断ならば休講に入っている目安の数値だ。予定通り最終日を迎えるにしても、自分的には開講ギリギリの状況だった。

 

最初のレッスンから「今回で一区切りなので、ぜひこのレッスンを」という申し出がおのおのの生徒さんから飛び出す。それぞれに感慨深い状況ではあろうけれど、入れ替わりを考えると約25分ほどしかないので、テキパキと進めるしかない。

次々に最終のレッスンは続き、「今度は先生のライブ会場でお会いしましょう!」と元気に挨拶をされ、教室自体もお辞めになられるという方、また別の講師のレッスンへ編入される方などそれぞれだったけれど、皆さん最後のレッスンにふさわしく、なかなかに渋いハーモニカの響きを聴かせてくれた。

僕のレッスンは比較的早い段階でカリキュラム全体を大雑把に一周し、2周目、3周目と繰り返す事で精度を高めて行くやり方をとっている。先にトレーニングコースを覚えてもらい、いつ教室をやめてしまっても、自主練を続けられるようにするためだ。レッスンではもっぱら「意地悪な引っかけ問題」や「間違えやすいワナ」などを曲の中に仕掛け、それをレッスンで得た知識や技術でクリアーしてもらう事で、こちらが生徒さんの理解度を把握して来た。この点はオンラインレッスンでも同じで、ただ曲を演奏できるようになるというゴールにとどまらず、生活の中で臨機応変にハーモニカを使いこなせるショーマンを目指してもらいたいからだ。

見方によっては、毎回「はい、急に相手が掛け合いを仕掛けてきたぞ!」「困った、急に長調から短調に曲調が変わったぞ!」というように、様々な意地悪な試練をぶつけられているようなものなのだけれど、ゲームのような娯楽性があり笑いも絶えない。この最終日というようなシチュエーションにこそぴったりなレッスンでもあるので、出題するこちらは成長が見てとれ、演奏で返す生徒さん側もレッスンの卒業を感じる事ができるようだった。おかげで、自然に大人の教室らしいエンディングを迎えられたように感じる。

これで僕の方はしばらく東京に行く用事もないので、またややおこもり状態にはなりそうだけれど、次のネットコンテンツを準備しているので、また随時、こちらの近況などはお伝えできるし、動画募集企画なども個人で運営しているので、ぜひ対面型の生徒さん達にも、気軽にご参加をいただければと思う。

 

今後も単発のワークショップなどは企画するかもしれないけれど、定期的な対面型レッスンに関しては僕としては一旦終了となる。コロナでの強制的な休講や、パーテーション越しのレッスン、時間を決めての換気や、毎度のアルコール消毒にマスクの着用など、振り返ればなかなかに忙しく、いろいろな事があった。僕個人でハーモニカマスクを提案し、生徒さん達に配布し使ってもらった事もあった。いろいろな事があったけれど、僕にとっては自分の番組配信や、教則本の執筆、オンラインレッスンのカリキュラムなどを制作するノウハウを培った重要な場でもあった。ヤマノだけではなく、今まで開講させてもらってきた多くの対面型教室に感謝をしてやまない。生徒さん方、スタッフの方々、お世話になりました。誠にありがとうございました。

 

と、ここまで書き、一区切りのアップをしてみたいと思う。

前回の『その⑫』にも、 “やや終わりに差し掛かった” とつけるしかない感染状況のままだけれど、いつかは「もう“終わりとなった”自粛日誌」と銘打ちたいものだと、『その⑭』に期待したいと思う。

 

2024年6月26日 広瀬哲哉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブルースハーモニカ音頭」の12小節ブルースの間奏を、自分のハーモニカでアドリブ演奏し、その時間分だけ「自分がしたい宣伝をする」企画「吹いて宣伝!ハーモニカ音頭」の第九陣をご紹介いたします。

 

専用HPは<こちら>

 

では、今回ご紹介させていただく、2つの「吹いて宣伝!」CM作品です。

1本目は、サックス奏者の西智帆さんの演奏で、マツカンこと、マツモト管楽器工房さんを「吹いて宣伝!」していただきました。
では動画をご覧いただきましょう。

 

 

いかがでしたでしょうか?

マツモト管楽器工房さんは、サックス、トランペット、トロンボーンなど、さまざまな管楽器の修理を行っている工房です。

「管楽器の修理」「楽器のレッスン」「中古管楽器の販売」がマツカンさんの3本の柱で、修理については松本さんが直接楽器を預かり、調整・修理をなさるとの事です。

マツカンさんのYouTubeサイトはかなり動画の完成度が高く、人気があるようです。是非チェックをしてみて下さい。

 

そして今回の演奏者はマツカンさんでも楽器教室を開講されている「西 智帆」さんです。

いやぁ〜、優しそうな笑顔で、リフを手拍子でまとめるところから始めるので、てっきりほのぼのとした演奏になるのかと思いきや、バリバリにブルージーなトーンで来ましたね〜。X(旧Twitter)でも公開するやいなや、かなりの反響がありました。

この「吹いて宣伝!」シリーズは、ある意味で「街の演奏家達」という音楽を身近に感じさせる心地良いカラーが上手く出せた企画だと思いますが、このマツカンさんと西さんほど最適なペアは無かったかもしれませんね。最強ですね!!

 

 

2本目は、私が良く行く地元のお蕎麦屋さんを私のハーモニカで「吹いて宣伝!」させていただきました。

こちらのお蕎麦屋さんは2つ目の動画制作になるのですが、店舗の二階で始められた新しいレンタルスペース・サービスについての「吹いて宣伝!」となります。
では動画をご覧いただきましょう。

 

 

いかがでしたでしょうか?

私の馴染のお蕎麦屋さんで、以前は「大むら」さん、今は「カフェほかふ」さんといいます。

コロナ禍を挟んで、お蕎麦屋さんのまま、甘味やカフェも楽しめるようなリニューアルをされたのですが、その2階をコワーキングスペースとしてレンタルされています。

お蕎麦屋さんの2階ですので、もちろん和室です。道路沿いですが程よく静かですよ。

レンタルの費用など詳細は「カフェほかふ」のHPをご覧下さいませ。

 

さて、この時の私のハーモニカ演奏映像は、同じ日に撮影したものなのですが、実は一箇所だけ大きな違いがあります。

答えは、前回はお蕎麦をこねて打つ場面、今回は包丁で細く裁断する場面となっております!!

いやぁ、お蕎麦通ならお解りになるでしょうね〜

みなさまも、お仕事スペースのレンタルの際は、ぜひご利用下さいませ。もちろん、お食事の際も、ぜひぜひご利用下さいませ!!

 

手打蕎麦とカフェ&コワーキングスペース「カフェほかふ/hokafucafe」
「カフェ感覚で気軽に蕎麦を楽しんでください」
神奈川県足柄上郡大井町上大井110-1 
R255 あしがらモールの隣の隣 
営業時間:11時~15時(L.O.14:30) 
定休日:毎週水曜 不定休あります
<お食事メニュー> 二八せいろ、鴨せいろ、天せいろ、天ぷらそば、鴨南ばん
<スイーツメニュー> 仙草ゼリー、白玉ごま団子ぜんざい 
<カフェメニュー>(テイクアウト) コーヒー(hot ice)、カフェラテ(hot ice)、生搾りフレッシュジュース
https://twitter.com/hokafucafe 
https://www.instagram.com/hokafucafe/

 


ぜひ、みなさまも「ブルースハーモニカ音頭」を通じて、間奏の12小節ブルースを気軽にお楽しみ下さい。


ブルースハーモニカ音頭<専用ページ>

 

もちろん、宣伝などはないのだけれど、普通にこの曲のカラオケを使いたいという方も大歓迎です。
ぜひ、お楽しみいただいているブルース部分のアドリブ演奏動画を、SNSなどでアップして下さいませ。
その際に #hamonicafe_one というハッシュタグをつけていただければ、repost専用のX(旧Twitter)を運営しておりますので、見つけ次第、シェアをさせていただきます。


●ハモニカフェ・ワン<専用X(旧Twitter)>

 

こちらは私のレッスンの卒業生の「マルモさん」による演奏動画です。

 

 

マルモさんは私の動画サイトのカラオケをバックに演奏され、ご自身でアプリの画面編集をされています。

みなさまも、お気軽にカラオケをご利用下さいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

118話 キッチン・ブルース②

 

店の仕事に慣れた僕は、本格的に、接客というものに興味が湧き始め、反対に音楽の方からはどんどん意識が離れて行った。

マスターの接客を横で見ていて、話を聞く際の呼吸の見事さに初めて気づいたのだ。

一見すると、ほとんどの客から軽んじられ、からかわれたりバカにされたりもするのだけれど、その押し引きは見事なものだった。客が話したくて来たのか、聞き出して欲しいのかを見極め、ほぼ確実に相手の表情を和らげて行く。

相手はやや肩の力が抜けたようになると、「よし、じゃあもう一杯行くか」なんて、不思議と注文を追加したりもするので、それは接客へのチップのようなものでもあった。

 

またその接客は、客の全員に平等なようで微妙な差異もあった。

すごく雰囲気の良い楽しい客だろうが、常連客達の多くに人気があろうが、マスターはある一定以上の接客はしないように見えた。目立つ人には特にそうで、おそらくはそれが店内で客同士のねたみなどを作り出さない、密かなコツなのだろう。

ただ、その加減が傍目には同じように見えるのだけれど、マスターの側では微妙に変えているのだ。それは上手く言い表せないもので、呼吸のようなものとしか言いようがないのだけれど。

 

さらにマスターは、日やコンディションによる違いをまるで感じさせなかった。疲れていようが気分が悪かろうが、それを僕も含め店の誰かに、感じさせた事がなかったのだ。上機嫌に見えた日に、ものひどく嫌な目に遭っていたのだと後で知らされた事すらあった。

「ね?広瀬さん。僕、本当に、参っている事、わからなかったでしょ?そういう部分が、実はとっても重要なんですよ。この仕事って」

そう言った時のマスターの顔は、まだ見習いの僕には2、3割カッコ良く見えたものだ。

 

僕の積極的な面も、Barという場では裏目に出ていた。僕はよくヘタな笑いをとろうとして自分の話に夢中になるのだけれど、マスターからは「必要なのは聞き役だ」とたびたび注意をされたものだった。

面白いバーテンを見て笑うのは良くても、バーテンの話で笑わせて欲しい訳ではない。むしろ自分の話題でバーテンを笑わせて、気分が良くなりたい人だって多いのだ。

それに気が付いてからは、僕は(本当に自分には向いていない仕事なんだ)と思いつつも(いや、むしろこの機会に、このマスターのような聞き上手になるんだ)という、途方もない目標を持つようになった。

 

しばらく経ち、気がつけば僕の見習い期間は一段落していて、マスターは僕に、完全に1人で店番を任せてくれるようになった。一方マスターはその時間を、店の次の目玉メニューとなる中国茶の勉強や、新たにオープンする喫茶店の構想などに使っていたらしい。

僕は夕方頃店に着くと、まず鍵をあけ、テーブルと椅子のセッティングを済ませ、簡単な掃除と酒の配達などの受け取りを行う。

手が空き次第料理の仕込みに入るのだけれど、その週のライブやセッションイベントの性質も考慮し、よく出るものを予想しつつ作り置きをする。もちろんキッチンだけではなく冷蔵庫だって小さいのだし、賞味期限の問題もあるので適当な判断は出来ない。

それぞれが部分的な役割分担の範囲の仕事ではあっても、僕にとっては、半分は経営の練習をしているような気分だった。

 

開店前はライブのブッキング(イベント予約)やセッションの問い合わせの電話も多く、ある程度の用件を聞いておくのも僕の仕事だった。当時はメールなんて限られた人しか使ってはいなかったし、まだ問い合わせのハガキや手紙だってあったほどなのだから。

そして奥のキッチンで仕込みをしながら、お客さんが入って来しだいカウンターに移り、接客に入る。

店が始まってしばらくすると、マスターから電話が入り、僕はそれまでのお客さんの入り状況を伝える。今までならこの電話の時間帯くらいに、マスターが店に入って来ていたのだ。

人数や注文、常連の有無などの情報で、そのまま僕ひとりにどれくらい任せておけるかまでをマスターが判断し、その日の店の入り時間を決めるようになった。

 

僕ひとりという事は、当然ドリンク・フード全ての注文を僕が受けるので、調理が入るかどうかが問題となる。厨房にいる間は、誰もカウンターにいなくなるからだ。

これに対して常連が多ければ、安心して厨房に入れるのだけれど、稀に新規の客が羽振り良くボトルなんて入れてくれた日には、簡単には目を離せなくなってしまう。飲み逃げをされる可能性があるからだ。

そういった意味でも、常連さんは見慣れない客をなんとなくでも見ていてくれるので、見張り役のようでもあるし、何気ない協力体制で僕への食事の注文を待っていてくれたりもしてくれた。それ自体が、店員と常連客との連携作業のようなものだった。

そして簡単な司会をし、ホストメンバーによるセッション演奏が始まってしまえばもうこっちのもの。しばらくはドリンクのオーダーも出ないし、溜まっていたフードをまとめて作り、曲の切れ目にちょこっと顔を出し、追加オーダーがあるかどうかをチェックすればいいのだ。そうなれば店のサイズ的には、十分に一人でも回せる範囲だった。

 

やがてマスターが現れ、カウンターに入って来ると、すぐに客はいつもの悪態を付き始める。

「マスター、どこ行ってたんだよ?またパチンコかよ?」

「広瀬さんひとりに任せてよ。酷くねぇ~?なぁ、広瀬さん?文句言っていいぜ!」

「よし!じゃあ、マスター来たんだからさ、広瀬さん、ちょっと一曲、どうよ?」

一見するとみんなでマスターを悪く言っているように見えて、一気に店が湧く瞬間だった。みんななんだかんだいっても、マスターを中心に店に集まっているのだ。

僕はそんな様子が羨ましく、自分の新しい目標像を見つけたようにすら思えていた。

 

そしてマスターは、僕をセッションへと送り出す。

「じゃあ、行きます?広瀬さん」

僕は少々照れたようにしつつも、店に置きっぱなしにしている良く使うKeyをだけをさしたハーモニカベルトを手に持ち、「どうもどうも」と、ややおちゃらけながらステージに上がる。

明らかに今までより好意的な拍手が出るようになっていた。僕がまだ客のいない時間帯のオープニングを除けば、ほとんどセッションで演奏しなくなったため、新鮮に感じるようになったのかもしれないけれど、店員としてがむしゃらに頑張って来た事で、少なくとも、みんなが集う場所を守ろうとしている姿勢が、評価され始めたのかもしれなかった。

 

すぐに演奏が始まる。

当たり前の様に演奏にはすぐに溶け込めるのだけれど、どうしてもステージから見える景色の中に、参加者のドリンクの減り具合などが気になってしまう。

そんな僕の落ち着かなさとは裏腹に、セッションメンバー達は僕をねぎらうような気持ちで、演奏に気合いを入れて行くのが伝わって来る。

それは、今の今まで注文を受けていた側と音を重ねているという、独特な不思議さもあるのかもしれない。もはや僕がカウンターの中に居るのが自然になったからこその、見え方の変化なのだろう。

「それでは、行きますか?ヘイ、スーパー・ハープ!広瀬さぁ~ん!」

ホストバンドのリーダーが僕をかなりフィーチャーしたソロをふって来る。共に演奏をする側も、聴いている側も、かなり僕に注目をしているのがわかる。それはハッキリとした、客側から店への気遣いだった。

 

演奏が終わると、割れんばかりの拍手の中をカウンターの中に戻る途中、ちょっと茶化すように握手を求めて来る常連客がいる。

僕は恐縮しつつも、握手をしながらお礼を言おうとすると、そこで「広瀬さん、注文。あんかけスパ、あと生ビールね!」と一言。

これを聞いた全員が笑い、僕もズッコケたような自然なオチを付ける事で自分の出番をしめる事ができた。これもまた、常連との集団芸のようなものだった。

カウンターを通り奥に行く僕に、マスターも軽く「お疲れ」とは言うものの、さっと渡して来るのが、僕が演奏している間に来たフードメニューの追加オーダーだった。

僕はそれをポーズで少し面倒そうな顔をしながら受けとり、生ビールの方の注文をマスターに引き継いでもらい調理に入るのだけれど、キッチンに入る頃には不思議と顔がニンマリとしてしまうのだった。

それは演奏のできや客へのウケ方などから来る満足ではなかった。自分だけが感じる「プロっぽさ」への快感だった。演奏はもちろんちゃんと演る、けれどお客さんの状況も見ているし料理の方も問題はないという「仕事ができる人」になれたような万能感だった。

 

僕はその感覚の先に(ひょっとして、自分がお店をやるようになったら、もっとこのプロっぽさに酔いしれていられるのかな)と、甘い想像をしていた。

このBarは音楽の店なので、めったに喧嘩なども起きず、大きなトラブルらしいものも無かったので、Barの良い面ばかりを見ていられるようなところがあった。ましてや雇われのバーテンダー見習いなのだから責任なんて何もない。仕事が大変でも、本来の水商売の「負の面」を知らずに済んでいたのだ。

マスターのように聞き上手でもないし、人柄で人を惹きつけることまでは出来ないまでも、やがては今よりは接客に向いた人になれるだろうし、この仕事が当たり前に体に馴染む日が来るだろう。そうなれば、僕は自分に足りない魅力の分を、ハーモニカという武器でなんとかできるはずだ。それこそ、隠しておいた必殺技みたいに。

 

やがてバーテンダーになって初めて場を支配し切るという感覚を持つようにまでなった。店が狭かったせいか、店の隅々までが分かり、まるで自分の一部のように感じながら、その中でハーモニカの音をコントロールしている感覚だ。

調子の良いアンプと悪いアンプ。勝手が良いマイク、動きやすい立ち位置、PAのクセや照明の効果までの全てを網羅しながら出すハーモニカの音は、何の緊張も気負いも無く、自然で伸びやかなものになって行くのが分かった。さらにそれを仕事の延長で積み重ねて行ける事で、僕は堂々と、集中しながら音を追求する事が出来るのだ。

それは楽器の鍛錬では無く、ライブの積み重ねのようなものだった。常に飲食を含めた接客を伴っていたので、ミュージシャンというより、芸人の下積みをしているような感覚だ。

 

もちろん勉強をさせてもらった先輩バンドマン達や、まれに来店する大物ミュージシャンを店員という立ち位置で間近に見られる刺激は、確固たるものとして自分の血肉となって行った。それは楽器や演奏うんぬんではなく、ステージ構成や生き様といった、表現者の輪郭となる大きな部分だった。それがあって出て来る言葉、それがあっての楽器の音色なのだ。

ただ、悲しいかな、給料をもらい仕事をしながら一方で芸事を磨く中で、その芸自体では、所詮どこまで磨いても収入と呼べる仕事にまでは出来ないという結論が、すでに出てしまっていた。

たまに出入りしていたメジャーなミュージシャンですら、ライブ興行ではほぼ採算がとれないのを、毎回のように見ていたのだから。

だからこそ(自分の将来向かうべき道は「店を持つ事」なんだ!せっかくのハーモニカの演奏力を武器にするためにも。それ以外には、今までの自分の経験を活かせる道はないんだ!)と、強く思い込んで行った。

それには、まず飲食業の経験と、マスターのような接客向きの対応を身につけてみせる事。それだけが当時の僕のハーモニカへの情熱を正当化でき、人に理解してもらえる範囲の、僕の新たなる常識的な人生設計だった。

 

自分の城を持ちたい、普通はそんな風に考えて将来の店への夢を持つのだろう。あるいは、音楽だけをやりたい、それが出来ないから、せめて音楽に関係のある店で働きたいという人も多いだろう。自分の音楽を自分のやりたいようにやるために、そのベストな環境として、自分の店を持つという人もいるはずだ。

けれど、僕はそのどれでもなかった。いろいろな事をしながら、いざという時に出せる必殺技のようなハーモニカの演奏、そんな想像に酔いしれていたのだ。そんなオマケのような部分を中心に、他のもっと大事な部分の方針まで決めようとしていたのだった。

 

マスターがひょいっとキッチンに顔を出しながら、僕に言った。

「広瀬さん、手空いたらさ、僕のスパお願いね。なんか胃がもたれないような、さっぱりしたやつ。前に作ってくれた『サラダスパ』みたいなやつね。頼むね」

僕は帰って来た皿を素早く洗い、次の料理の湯を沸かし、空いた片手でフライパンを空焼きしながら、ぼんやりとステージから流れてくるブルースセッションを聴いていた。

その時にたまたま流れて来たのは、僕にとっては懐かしいブルース、ジミヘンの「リトルウィング」だった。ロックの定番曲ではあるけれど、ブルースの店のセッションでも人気の曲だ。

僕は追加となったマスターの分のスパ麺を足して、鍋で湯がきながら、店に置いているハーモニカベルトに手を伸ばし、Cのkeyのハーモニカをとると、普段は使わないポジションで音を合わせてみる。それはCのハーモニカでEmのkeyを演奏する、5th(フィフス)ポジションというマニアックな奏法だった。

ある程度音を重ねて、それが(今の自分になら吹ける)と確認すると、僕はまたハーモニカベルトにCのハーモニカを戻し、空焼きしていたフライパンに油をひき、あんかけスパの具材の方を炒め始めた。

誰に聴かせる訳ではないハーモニカだけれど、かつては落ち込むほどまるで吹けなかった曲が、今では何の苦もなくできるようになった自分に得意になる。

 

僕はいつもの慣れた調理を続けながら、頭の中では久しぶりに東京にいた頃を思い出していた。

当時、セッションに通い始めの僕に親切にしてくれた「ジャガ」というセッション仲間がいたのだ。彼の口利きで、僕はとあるBarのセッションのホストバンドを経験し、そこでこの曲「リトルウィング」に打ちのめされた事があった。

当時はジミヘンすら知らず周りに驚かれたけれど、今は当たり前にブルースのBGMが流れる店で過ごし、随分とプレイヤー名や曲名も覚える事ができた。今では、キッチンで調理仕事をしながら、片手間でも音を重ねられるくらいにまでなったのだ。

今でもジャガはサックスを吹いているのだろうか。音楽の店で働いていれば、いずれは会う事もあるのかもしれない。それこそ、ある日ステージから聴こえて来るセッションの音の中に、彼の優等生っぽい真面目なサックスの響きと、観客を巻き込もうとするサービス精神旺盛なトークが混じる日が来るのかもしれない。

 

その時、僕は何から話そうか。

まぁ考えてみれば、あの頃の僕が数年後には東京を離れ、名古屋のライブBarでバーテンダーの見習いをやるようになるなんて、お互いに想像もつかなかったはずた。

 

つづく

☆私、広瀬哲哉が配信するハーモニカの娯楽番組「ハモニカフェ」もお楽しみ下さいませ♫

(この配信回で、物語に登場する「セッションイベント」について解説しています)