大好きなNotebookと私 | 【心を癒し未来を描くワーク】セドナスピリチュアルライフサポートコーチ&オルゴナイトスピリチュアルアートヒーラー

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大好きなNotebook.
昨日アウトレットで衝動買い。
特にこのRollbahnシリーズは大好き。
今日もここに何が書き残されるかな。

私は昔から内向的。社交性は人とのかかわり合いの中で幾度も育まれてきた術として、私が後進的に身につけてきたもの。

人間は果てしなく続く思考の中で悶々と生きている。
ああでもない、こうでもない…と。
だから、昔から考えすぎるのがたまにキズ。

日常的に、あ、これは残しておきたい記憶だなぁ…と、思うことはすぐさま記録。
メモは私の日課であり、楽しみ。
まるでネタのように。

人の記憶は拙い。
誰かが言ってた。
人は忘れながら生きていく生き物だよ、と。
うん、たしかに。
写真もそう、日記もそう、FBもそう、残そうと思うのは、ただただ人とのかかわり合いの中で自分の想いを人と共有したいだけの目的だけじゃなく、所謂電子日記、なのかもしれない。
誰かとつながりたい、誰かに見せたい、もしくは見たい、共有したい、聞いてみたい、どう思うのか知りたい評価されたい、そして人を知りたい…と同時に、私を含め人は自身の記録、その時の記憶の備忘録…を残すことが目的であると思うのだ。

人は忘れるいきものだから、書き綴る、続けるとも考える。
ブログも同じく。
もちろん、それ以外の目的も多々あるのは承知の上と知りつつ、そこはあえて論じず。

話は飛んだが、私は沢山のNotebookを買い集め、あえて大好きなペンを持って思いの丈を書き綴っていく。
直に紙とペンを持ってその場で何を書きのこす事があるのかと思う人もいるだろうけど、私の中の出来事は全部が大事なんじゃなくて、あえてその時の、あ!と思う気持ちをその場で残したいと思うだけのこと。
だから、打つこととは若干違うし、その時その時の私にとっては、想いを記録出来るタイミングがとても大事。
だからnoteする。
手放せない必需品なんだ。

かなりの進化を遂げている昨今、あえて退行的にアナログ的な方法、物事の思考は時として必要不可欠。
そこにはかなりの懐かしさと安心さと、修正しきれない痕跡を残しつつ今と昔を比較し、また進化を遂げていくものだと思うからだ。
私は自身がデジタル派だと感じるのだが、だからこそ余計にアナログにたいしてはそう思う。そこだけをただ維持は出来ない世の中だけど。古き中にある良さは知らない訳じゃないし、忘れちゃいけない事でもある。そこが大事な土台となり、今の進化があるということ。ものだけじゃなく、時代、社会、人、全てに言える。

私が語る事は自分の世界という小規模な事。そこから振り返り残された記憶をどんな媒体から見て辿ってみたも、やはりどんだけ時代が流れても変わらない事がある。
その一つとしてやはり私は私として残っている。とてもリアルにドラマティックに、でも読み返し振り返ってみるととても深いし照れくさくもあるし、と同時に青臭い。
どうしてそんな想いをしてたのか、たまに振り返ってみるのは悪いことじゃない。
決して後退的な過去を振り返るものだけじゃなく、それらの考えについてあえて今の自分と照らし合わせて分析してみるのも面白い。また今後の想いの進化の行く果てが気になるが、私はそこはフレキシブルに自然体を目指し、何に媚びたり気兼ねする事もなく自身の想いを大切に生きたいと思う。

そう考えると、今も昔もこれからも、ほんとは実質何も変わらない私がいるのだろうと思える。
本来何事にも情熱的で気持ち熱く、感性鋭敏、果てしなく感受性も強。
でも、もしかするとそれとは紙一重な私もいたりもする。
唯一言えるのは、読まれるであろう人を意識して書くFBやブログとは違い、私のほんとの想いや気持ち心の内は、誰に推し量られる事なく、繕いもせず、ペンとnoteで淡々と残すべきなんだろうと改めて思う、昨今。

ここに残していくであろう私のnoteが、今後も私の想いの全てなのだろうと思うのだ。