ぽふのあの足あと

ぽふのあの足あと

K家の愛犬ポッキーとフランとのあの記録とK家の日常

ポッキーの最後を思い出すのはまだまだ辛い。
書けるようになったら書こうと思います。


最近は仕事のストレスMAX😥


仕事というかね、人間がね。


こんなに人を嫌いになるのは、珍しい😱


現実逃避で


水曜日の最終新幹線に乗ったのあちんと私。


ただ今、仙台帰省中。



東京駅にて。


カバンないよーって言ったら


このスリングが送られてきた。


ネットで覆っても、すぐに出てくる💦



新幹線の席は隣に誰もいない席を探したけど


全く見つからず。


グリーン車で。


スリングに押し込み→のあちん頭出す


これの繰り返しで疲れ果てた1時間半。


仙台駅前で呑んでた主と合流して


無事帰宅。


お休みを満喫しようね、のあちん。



では、楽しい週末を🖐️




本日、有給デー。

そろそろポッキーの記録を残しておこうと

思いつつ、どんどん時間が過ぎてます。

ポッキーの辛い姿を見てた期間は

フランより長かったし

何より腎臓病の最期って辛い。

でも、きちんと記録しようと思ってます。


その前に


ずっとこの骨壷が嫌でした。


火葬の日を思い出してしまうから。


見るたびに辛い。


今年の2月、ぽふのお骨を粉砕して頂きました。


郵送は不安だったので、


この骨壷2個持ってお店まで行きました。


きちんとした説明もあって


粉砕前の重さと粉砕後の重さも


記録されてました。


粉砕している所も見せて頂き


とても安心しました。



粉砕された骨は、真空パックになり


桐の箱に入れられていました。


真空パックはそれぞれ3個に分けてもらって


一個は仙台の主用。


今までの骨壷とカバーはお預かりサービスを利用しました。


千葉のお部屋では、小さな骨壷へ。



小さなお地蔵さんも。


木製の蓋には名前を刻印。


そして、ずっと探していたおりん。


音に拘り、色々探してたけど


やっと見つけた💡


この音色に癒される☺️


手を合わせる度に心が安らぎます❤️


我が家は子供がいないし


今のこのバラバラ生活がいつまで


続くのかもわからない。


動物達は、遺骨に執着しないというのを


読んだこともあり


ならば、私が最期を迎えたら


ぽふと一緒に散骨して欲しいなと。


その頃には、のあもかなぁ。


今後の事はわからないけど、


これが私たち夫婦が決めた手元供養。


ぽふの亡き後も、ずっと


自分のお気に入りで供養したいです。


姿が見えなくても


私たちの愛は無限大❤️


ずーっと大好きだよ。


ぽふ、ありがとう😊




夏休み終了。

夕方、のあちんは主と仙台へ。

またまたお一人様生活😔

わんこの居ない生活、辛い🥲


出発前に皆んなで送り火


来年も帰っておいで。


というか


ずっと一緒に居て欲しい。



ちょっと風が強くて怖かったけど



無事にぽふをお見送り。



お空組のみんなと仲良くね。


またいつでも帰っておいでね。



のあちんも寂しいね。


明日からまたお留守番だね。


でも、主といた方がお留守番時間は


断然短い。


だから頑張れ👍


来月の連休に会いに行くよおねがい



では、また👋

お久しぶりのブログです。

その間にフランの一周忌を迎えました。



あれからもう1年かぁ。


相変わらず私はグダグダで、


ポッキーの最後の記録はまだ書けなくて。


でも少しずつ前向きにと思ってます。



そして昨日は、ぽふの新盆です。



夕方、皆んなで迎え火を。


ぽふが迷わず帰ってこれるように。



ごはん、おやつ、新しいおもちゃ。


のあちんに狙われて笑い泣き



もう離れません。



お供物を狙うのあ。


どうせ全部のあのお腹におさまるのにねえー



提灯も精霊馬も


ちゃんと準備したよ。


お盆はお家でゆっくりしてね。


狭いワンルームには、これが限界😵


あー😩早く引っ越したいなぁ。



では、お空組さんは楽しいお盆を。


みんなは楽しい夏休みを🙌


フランがいなくなって間も無く

7ヶ月が経とうとしています。

いまは毎日泣くことはなくなりました。


愛犬を亡くす経験をされた方々は


みんなこの様な思いをして


辛い毎日を過ごしているのだと思う。


生き物と共に暮らすという事は


こういう事なのだと学びました。





可愛い、楽しいだけじゃない


出会いがあれば必ず別れがある。


時間が経つにつれて


あの時ああすればとか


後悔ばかりが湧いてくる。


最後の検査はしなくて良かったのでは。


そう思う事もあります。


でも私の性格からして、わからないまま


そのまま治療する事は


絶対に嫌だった。


それは私の思いであり、フランは?


いくら意識がほぼないとはいえ、


嫌だったかもしれない。



どうしてもっと早く気づかなかったのか。


なんで痴呆症と信じてたのか。


気づくチャンスは何度もあった。


今思えば、後ろ足がふらふらして


歩けなくなった時。


夜中に吠える様になった時。


性格がきつくなった時。


粗相をするようになった時。



フランは色んなサインをくれていた。


どうしてって思っても仕方ないのだけど。



今は何をしてもあまり楽しくない。


やっぱりフランの存在が


あまりにも大きすぎた。



こんな感じじゃダメ🙅‍♀️


ちゃんとしなきゃと思うんだけど。


なかなか前に進めない。


ゆっくりゆっくり。


フランは今もそばにいるから。