私の左頭部には傷痕がある。


昨日ブログに載せる写真を撮っていたら

久々にこの傷痕を見て

当時のことを思い出した。



これは私が6歳の時

交通事故に遭って出来た傷だ。


あの頃、空前のベビーブームで

近所には同年代の子どもが沢山いた。




今では本当に考えられない事なのだが

当時は


子どもだけで外で遊ぶのは

日常茶飯事。

さして珍しい事ではなかった。



そしてこの日も

私は同い年(6歳)の友だち2人と

子どもだけで遊びを楽しんでいた。


最初は友だちの家の庭で遊んでいたが

その場所に飽きてしまった為、

近くの公園かあるいは

別の友だちの家にでも行こうかという話になり


そこへ向かう途中で事故に遭った。



横断歩道のない交差点で

突然、

私は道路に飛び出したらしいチーン

↑この時の記憶はほぼとんでいるが…

恐らく、なぜだか急に競争心に火がついた私が

1番先に行ってやるぞー!よーいドンっ!

的な感じで急に飛び出したんだと思う滝汗


車に轢かれた瞬間、


小さな体は数メートルふっ飛び

地面に叩きつけられた。


頭部からは大量に出血。


直後、私は倒れたまま

しばらくの間声を上げて泣いていたらしいが


この時の記憶は全くない。



一緒に遊んでいた友だちは

事故を目撃したショックで

この日は夜泣きをして

全く眠れなかったそうだ。





事故が起きた場所は

うちの旅館と提携している酒屋の店先だった。


酒屋の店主は

事故の騒ぎで外に出てきて

すぐに救急車を呼んでくれたらしい。


更に、車に轢かれた子どもが

(旅館の娘)だとわかると

慌てて旅館にも電話をかけて

事故の一報を入れてくれた。



ほどなくして救急車が現場に到着。


できれば親にも同乗して欲しかったらしいが

親の到着を待っていたら私の命が危ない!

ってことで

大人の付き添いはないまま

病院に緊急搬送されることになった。


なお、頭を強く打っていたので

搬送先は脳外科専門の病院に決まる。


救急車が現場を出発してから約10分後、

ようやく

両親と祖父が乗った車が事故現場に到着。


既にその時には規制線が張られていて、

そこで実況見分をしていた警察官が

現場に残された血痕を見て


「これは助からないかもな…」


と会話をしていたのを

耳にしたと言っていた驚き


それを聞いたときの家族の心境たるや…

生きた心地がしなかったことだろう。


一方、私は救急車の中で

一度だけ意識を取り戻した。





知らないおじさん(救急隊員)

私に向かって

必死に声をかけ続けていた。



「頑張れ!頑張れ!

大丈夫だ!

もうすぐ病院に着くからね!

がんばれ!」



…この人は誰なんだろう?


知らないおじさんについて行ったら

おかあさんに叱られちゃう。


ここはどこ?


なんであたしは寝ているの?


とにかくこのおじさんに聞かなくちゃ…


そう思った矢先

自分の両手が視界に入り

血だらけになっている事に気が付いた。


途端に怖くなって起き上がろうとした


その瞬間!


突然胸が苦しくなり

息ができなくなった。


意に反して体も全く動かせない。


「う〜…う〜」


呻き声しか出てこない。


苦しいよ。


痛いよ!


助けて!!


息ができないっ…!



「頑張れ!大丈夫だよ!

もうすぐ病院に着くよ!

頑張れ!

頑張れ!!



救急隊員のおじさんは

病院に着くまでの間、

ずっと力強く

声をかけ続けてくれていたと思う。


この一瞬の記憶は

いまだに鮮明に覚えているから不思議だ。


しかし、病院に向かう途中で

再び私は意識を失った。



次に意識を取り戻したのは

病院に到着して

恐らく頭を縫われていた時(?)だ。


看護師さんに何度も

名前と年齢を聞かれた。


その都度フルネームでしっかりと応える。


体は動かせないけれど

声は出せるようになっていた。

 


その最中

両親と祖父が病院に到着。


まだ色々と処置をされていたときに

まず母だけが処置室に来た。


母は泣きそうな顔をして訊いた。



「マヨ…おかあさんだよ。わかる?」



「…おかあさ〜ん…おねだり



私は小さな声で母を呼んだ。


身体中が痛かったけど


やっとおかあさんに会えて

安堵したあの安心感は

言葉ではなかなか言い表すことができない。


とにかくほっとして嬉しかった。



結局この時の事故で

私は頭部外傷と左鎖骨を骨折。


頭部が切れて外に出血したことが

不幸中の幸いだったらしい。


内出血だったら多分助からなかった。


一命を取り留めることができ、

なんて運が良かったんだろうと思う。




事故を起こしたのは

免許をとったばかりの

50~60代の女性だった。


彼女は事故を起こした直後だったか

その翌日(?)

河川敷でフラフラしているところを

警察官に保護されたと聞いた。


子どもを車で轢いてしまい、

相当なショックを受けていたらしい。


彼女のためにも

私はあの時死ななくて本当に良かった。

そもそも飛び出してごめんなさいえーん





交通事故に遭ったのは

保育園の卒園式間近の3月だった。


残念ながら卒園式には出られなかったが

小学校の入学式にはギブスをして

出席をすることができた。


その後ギブスが外れるまでの数日間、

両親はランドセルだけ

学校に送り迎えで届けるという

ちょっと謎な行動に出る。

(私は手ぶらで歩いて登下校真顔どうなの?それ。

私ごと送り迎えしてくれたら良かったと思う…ちょっと不満)


1年生だったから

ランドセルを背負ってる同級生が

とにかく羨ましくて


一度、親がランドセルを取りに来る前に

ギブスをしたまま

ランドセルを背負ってしまった事があった。


したらその下校中、

当然親に見つかって

ぶちギレられた苦い思い出…チーン






頭の傷痕は

あの日、命を救ってもらった証だ。


“今”があるのは


懸命に声をかけ続けてくれた救急隊員、

治療にあたって下さった医師や

看護師さんのおかげであるという事は

言うまでもない。


そして“今”も私は命を救われている。


全ての医療従事者の方たちに

心からの敬意を表したい。