子どもたちと公園で遊んでいる夢を見ていた。
息子が私になにか話しかけて来た瞬間…

「マヨさん!手術が終わりましたよ〜」

モヤ〜と視界が開けた。

ヘアキャップを被って手術着を着た
看護師さんの顔が目に映った。

あ、そうだ。
あたし手術してたんだ。

意外とすぐに状況を把握。

うわっ!!まさにワープだ!!

右手の甲に点滴を打たれてからほんとに
一瞬の感覚。

クマ先生が
「ちゃんと全部とって、
形成の先生が綺麗に仕上げてくれてあるからね!」

と声をかけてくれた。

「せんせ…リン…リンパは?」

気道確保をするための管が入っていたせいか
びっくりするほど声が出しずらい。
でも何とか必死に声を絞り出す。

「うん、リンパね。
両方いっちゃってたから
綺麗に全部取ったからね。」

ああ。
リンパ…いっちゃってたか。
しかも、全部取ったって。。
センチネルリンパだけじゃなくて…
全部?!

言葉がもう続かなかった。

その後すぐにベッドに移され、運ばれた。

頭がボーっとして、視界もボヤける。
むにゃむにゃしていると

突然母の顔…!

「お疲れ様!大丈夫?!」

泣きそうな顔をしていた。
とりあえず頷くだけで精一杯。

母の隣を見ると
来る予定ではなかった父の姿もあった。
どんな表情をしてたかは…思い出せない。

旦那は…?
と、思い首を動かすと端っこにいた。
でもやっぱり表情までは思い出せない。

会話はなかった。
私はそのまま病室へと運ばれた。

コロナ禍だから手術後とはいえ
家族との面会は一瞬だった。
私の体感では10秒もなかったような…ショック

病室に戻ると
だんだんと意識がはっきりしてきた。
胸は鈍痛があるけど
痛み止めのおかげかそこまで痛くない。

相変わらず声は出にくいが、
喉の痛みは全くなかった。

麻酔科の先生が
上手に気管内挿管をしてくれたのだと
感謝した。

恐る恐る胸に目を落とすと
いつもとあまり変わらない膨らみがあった。
何となくほっとして
そうっと、胸に手を当ててみる。

全く感覚がなかった。

鈍痛はあるのに、触っても感覚がない。
変な感じだ。
この感覚に、そのうち慣れるのかな?

1時間以上経って落ち着いてきたので
旦那にLINEした。

「リンパいっちゃってたね。」

「うん」

「先生何だって?包み隠さず教えて」

「今、子ども帰ってきたから後で電話する」

「はいよー」

数分後、旦那から電話。

リンパに転移していたのがわかったから
覚悟はしていた。

・画像上では
リンパに転移はないかと思われていたが、
センチネルリンパ節生検で取ったものに
転移が見られたため、すべて郭清した。

・組織診の結果は
大人しいタイプの癌だと思われていたが、
今回リンパに転移が見られたことで
そうではない可能性が出てきた。
今回の手術で取ったものを
病理検査に出して判明する。

・年末年始を挟むため、
生検の結果は年明けになる予定。

・リンパ節転移の状況から
抗がん剤を使用した方が良い。

・どの抗がん剤が効くのかは
生検の結果を見てからでないとわからない。

・再建をどうするか。
抗がん剤の後にシリコンを入れ
それから放射線治療にするか??

それとも一旦エキスパンダーを取り出すか?

今後話し合いで決めていこう。


ざっとそんな内容だった。

思っていたよりも、

事態は深刻。


なんで、こうなっちゃったんだろう?

3年半前から数ヶ月おきに病院行ってたよね?

万が一癌だったとしても
ステージ0の非浸潤癌だったんじゃないの?

あ、でもあの時。
ずっと通っていたクリニックの先生が
最後の診察で
「これが癌からくる出血だったら、
全身に回ってるよ!」
って笑いながら言っていた。

実際まさにそうなってるじゃん?!

なんでもっと早く
紹介状を書いてもらわなかったんだろう。

なんであの時…

後悔の念に駆られた。

でも、今更もう遅い。


意外と冷静に話を聞けたと思う。

一旦電話を切った。

そして私が乳ガンを患っていることを
知っている友人たちに
LINEで生存報告をした。

親友、姉のような存在の友人、恩師
ママ友、そして高校時代の部活の仲間に。

高校時代の部活仲間の中に親友もいる。
今年の10月。
数年ぶりに6人で再開をした。
離れていた時間が嘘みたいに一気に縮まって
当時の記憶が沢山蘇ってきた。

高校時代に戻ったようにはしゃいで話して
本当に本当に楽しかった。

それがきっかけでグループLINEができ
頻繁に連絡をとるようになっていた。

11月に自分が癌だとわかったときも
2度目の再開の際に迷わず彼らに話しをした。

数年ぶりの再会からたった1ヶ月で
こんな話…
心配をかけてしまうだろう。
でも私自身が
彼らからのエールが欲しかった。
勇気づけて欲しかったんだと思う。

乳癌の告知をすると
みんなとても驚いていたが
優しく、温かく受け止めて
そして力強いエールを沢山くれた。

入院当日も手術当日も
みんなからのLINEが鳴り止まない。

感謝しかなかった。
自分はなんて幸せ者なんだと
本当に有難かった。


夕方が過ぎてもまだ酸素マスクは付けたままで
早く取りたかった。

身体中管に繋がれている感覚。
痛みで寝返りなんて打てるわけもないが
それでも、意外に元気な自分がいた。

夜になって、やっと酸素マスクが外された。

ふとリンパ節郭清のことが頭に浮かんだ。
リンパを郭清してしまうと
いずれリンパ浮腫になる恐れがあることを
私は学んでいたから…

【リンパ浮腫】
皮膚の下のリンパ管内に回収されなかった、
リンパ液がたまってむくんだ状態。
この症状は発症すると治りづらく、進行しやすいため、むくんだところが重くなる、関節が曲げづらくなるなど、生活にも影響することがある。

発症すると一生治らない。

画像を検索すると
腕や指がパンパンに腫れ上がった写真がみれる。
1.5倍から2倍くらい腫れ上がり
そうなると、もう治らない。

恐怖しかなかった。
もう治らない。って言葉がこんなにも怖いなんて。

ふと左手を見ると
術後だからなのか、
点滴をいっぱい入れてるからなのか
こころなしか浮腫んでる気がする。

どうしよう。

どうしよう。

ここへ来て、初めて泣けてきた。
そのタイミングで旦那から再び電話。

泣きながら「リンパ浮腫は嫌だ」と訴えた。
旦那も電話の向こうで泣いていた。

このまま左手がパンパンに腫れ上がったら
どうしよう。

一生治らないんだよ?

怖いよ。

嫌だよ。

なんでリンパ節全部とっちゃったの?!

クマ先生に聞きたい。

今朝の回診では「多分リンパにはいってないと思うよ」って言ってたのに。

なんで全部…



旦那は今日1日すごくキツかったはずだ。
私にとっては一瞬のワープも
彼にとっては5時間に渡る手術だった。

左胸を全摘し終え、
形成の先生にバトンタッチをしたところで
クマ先生から話があったそうだ。

リンパには転移がないと思っていたのに
あったと聞かされたこと。

抗がん剤のこと。

頭の中がいっぱいいっぱいになっていて
そこで私が手術を終えて戻ってきた。

酸素マスクをつけ
痛々しい姿の私を見た瞬間
声をかけたら泣き出してしまいそうで
声はかけられなかったと。

私が電話で泣くもんだから
旦那もつられて泣きながら話してくれた。

電話を切って少し落ち着いてから
旦那にあらためてLINEを送った。

感謝の気持ちと
一つずつ乗り越えていこう。
ヘタレで泣き虫なわたしだけど
よろしくお願いします。

ということを。



23時。
全身麻酔による副作用なのか
吐き気がすごい。
冷や汗が止まらない。

看護師さんに伝えて
点滴に吐き気止めの薬を注入してもらった。

しばらくしたら落ち着いて
2時間ほど眠ることができた。





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