アリゾナ | Yuki-2

アリゾナ

 

 


「君は・・・日本のプロ野球チームのどこが好きだい?」
 
 
突然そう聞かれて、次男は驚いた。

なぜならここはカナダ、質問されたのは当然英語、そして声をかけて来た男はどう見ても日本人ではない白人男性。
 
答えに戸惑っている次男を見て、男はさらに続けた・・・

「まさかキミ・・・阪神ファンじゃないよね?、タイガースのファンなら僕は怒るよ!」
 
 
そう言って人懐っこそうな笑顔を見せたこの男、名前がD・マシソン。
 

「マシソン?・・・」
 
マシソン?、マシソン?・・・どこかで聞いたような名前だな~と思っていたら、実はこの男性、東京読売ジャイアンツで大活躍している剛速球投手スコット・マシソンのお父さん!

そして、なんとカナダ&アラスカ地区を担当している現役のメジャーリーグのスカウトさんだった。
 
 

このマシソン父ちゃんと初めて会ったのは今年の5月、次男がBC選抜チームのトライアウトを受けに行った日の事だ。
 
キャッチャー希望の次男が、POPテスト(キャッチャーがボールを捕球してからセカンドへ送球するタイムを計るテスト)にトライした後、そのタイムを見てからずーっと後ろを付いて来て声をかけてきたのだ。
 
 
「君は10月にアリゾナに来る気はないかい?」
「えっ、アリゾナ?・・・」

「スカウトが勢揃いするキャンプがアリゾナであるんだが、来る気はないかい?」
「あっ、あります、あります・・・行きたいです!」
「そうかい、じゃあ親御さんにメールするからね」
 
・・・と言うような会話が次男との間にあったらしい。
 
 
実際、その後にキャンプへの参加招待のメール等もあり、何度かやりとりをし、本当なら大喜びで送り出してあげたいところなのだが・・・

9月から新年度が始まったばかりだというのに、また学校の勉強を何日も休まなければいけない事。
各地から選手が集まる為、自費で現地集合・現地解散になる事。
・・・となれば、僕か妻のどちらか一方が、また何日も仕事を休んでアメリカまで一緒に行かなければいけなくなる事。
当然、飛行機代と宿泊代、食費、そしてスカウトキャンプへの参加費用等々、またもやドカっと出費がかさんでしまう事。
 
その上、もし今回のトライアウトにも合格すれば8月のアメリカ遠征も待っているというのに、更に10月のアリゾナキャンプなんて・・・
 
今年に入って次男を取り巻く環境が猛スピードで変わっていく中、僕達は答えが出せないまま時間が過ぎて行った。
 
 
 

マシソン父ちゃんとの再会はそれから数カ月後の事だった。

トライアウトで選ばれた最終候補者達のミニキャンプが7月に行われ、その後、次男は無事BC代表となって8月にアメリカで行われたスカウト・トーナメントに参加した。この時のカナダチームの監督兼最高責任者がまたマシソン父ちゃんだったのだ。
 
 
 
トーナメントそのものはアメリカ勢の圧倒的迫力にカナダチームは握り潰されてしまったのだが、そんな事よりも大きな収穫は、ここには普段は接触する機会の無い野球関係者と直接話せるチャンスがゴロゴロ転がっていた事だった。
 
 
 
そして全日程終了後、監督・コーチに挨拶に行くと、こう声をかけられた・・・
 

「YOSUKEはもうアリゾナ行きを決めてくれましたか?」
「えっ・・・いやっ、実は・・・」
 
 
実は、費用や時間、様々な条件も考えて「来年また選んでもらえるように今から一年頑張って、グレード11(日本の高校2年生)になってからでも遅くないんじゃないか?」と、我が家では今年は不参加の方向でほぼ話は決まっていた。
 
 
 
だが、僕達の返事がはっきりしないのを見て、コーチがこう話し始めた・・・

「アリゾナでは一年を通して様々なキャンプが行われてますが・・・今回のキャンプは、実際にメジャーリーガが春のキャンプに使用しているグラウンドや施設をそのまま使える最高の環境で行われます・・・しかも北米全土から招待されたトップレベルの子達だけが集まり、大学やメジャーのスカウトが勢揃いするので、行けばきっと新しいチャンスが広がりますよ」

それはその通りだと思う、そんな事は言われなくても分かっている・・・
この先チャンスは何度も無いかも知れない事も十分理解している。
 
行けば新しい世界が広がるかもしれない・・・でも、大金持ちのお坊ちゃまではない我が家の場合、そこには家庭の事情ってものがあるんだよ、分かるかねマシソン君!
 

僕が思わずそう叫びそうになった時、横から先に妻がこう言った・・・
 
「何人くらいの選手がカナダから参加するのですか?」
 
いやいや、どうせ断るんだから、人数聞いても関係ないだろ・・・と僕は思ったが・・・

「う~む、まだ正確な人数は決まってないけど、参加してる州がそれぞれに作る州代表のチームと、それとは別に多数の州が合同で作るチーム・カナダもあるからね」
 

えぇっ!!・・・チッ・・チーム・カナダ!?

僕は思わずここでグラッと来た。

暑さや疲れのせいではなく、それはずーっと憧れていた言葉を聞いたから・・・
 
《チーム・カナダ》
 
もちろんそれは多州連合チームに入れてもらえたらの話だが、それでももしかしたらCANADAの文字の入ったユニフォームが着れるかもしれないなんて・・・
 
 
元々、次男は都会の強豪チームから野球を始めたわけではない。お父さんが監督をするような田舎町の小さなチームのシングルAレベルから野球を始め、町の代表チームに選ばれただけでも大喜びし、州大会に出ただけでも大はしゃぎしていた。それがいつの間にやらチームBCのユニフォームを着せてもらって、今度はカナダの文字が入ったユニフォームが着れるかもしれないなんて、それはあまりにも魅力的過ぎる!!
 
・・・と、子供ではなく僕の方が興奮して、思わずその場で「はい、参加します」・・・と言いそうになるのを妻が遮り、また聞いた。
 
 
「陽介は誕生日が遅いのでまだ14歳です、年上の高校生達と一緒に参加するには早いんじゃないでしょうか?」
 
だが、これは他の親からも良く聞かれる質問なんだろうか?一人のコーチが直ぐに答え始めた。
 
「彼はこの9月にグレード10(日本の高一)になります、ここが一番大事な一年なんですよ」
「G10が?・・・」
 
「そうG10です。…スカウトが選手をリストアップし、調査を開始するのはG10です。G11は確認作業と最終判断。・・・良い選手だと判断した場合はG12のシーズンが始まる前に、交渉にはいります。G10で参加する事に早すぎるなんて事はありませんよ!」
 
ひぇ~…そうなんだ~、グレード10で動き始めなきゃ手遅れじゃん!…と、僕はまた「では、参加!お願いします」と言いかけたが、またまた妻が・・・
 
 
「でも、他のカナダの子に比べて陽介は体が一回りも小さいですが、大丈夫でしょうか?・・・」
 
真顔で聞く妻に対し、今度はマシソン父ちゃんが嬉しそうに笑いながらこう答えた。
 
「彼はとても良いキャッチャーだよ・・・カナダには怠け者の子が多いが、彼は野球に対してとても真面目でクレバーだ、それに攻撃的で俊敏性もありブロッキングも上手い、そのうえあの年齢で既に強い肩も持っている・・・他のポジションなら6フィート(約180センチ)は絶対条件だけど、キャッチャーなら小さくても気にしなくていいよ」
 
ここで僕はまたもやグラッと来た。

カナディアンの圧倒的なパワーと身体のサイズの差は、小柄な次男にとって絶対的なハンデとして今までずーっと見えない敵となって戦ってきた相手だ。その見えない敵から、現役のプロスカウトマンが「キャッチャーはサイズを気にしなくても良い」という一言で一気に解き放ってくれた気がした。
心の中でしっかりと閉まったままだった扉を開けてくれた気がした。

僕は嬉しくなって今度こそ「はいっ、参加します」・・・と、言いそうになったが、またしても妻が・・・
 
「実はキャッチャーだけでなく、ショートも大好きらしいのですが、何歳くらいまでに他の選手はポジションを一つに絞って行くのですか?」・・・と聞いた。
 
「う~むショートか~・・・」
 
ここでマシソン父ちゃんは今までとは違う明らかに困った表情をほんの一瞬見せた。
 
「このトーナメント期間、僕はずっと試合を見て来て彼が優秀なショート・ストップであると言う事は知っている。動きも速い、肩も強い、攻撃的にどんどん走り込む、おそらく同年代のショートの中でもトップクラスだろう・・・」
 
次男をショートとしても認め、褒めてくれてはいるが、表情からは笑みが消えていた。

「僕はYOSUKE以外にも日本から来た野球少年を沢山知っている。彼等は本当に守備が上手い、知識も技術もある。こちらの少年野球にくれば直ぐにレギュラーになれる」
 
ここでマシソン父ちゃんは一度話を切って僕達を見つめ、少し厳しい口調でこう続けた・・・
 
「でもね・・・通用するのは中学か・・・高校生くらいまでなんだ」
「高校生まで?」

「これから彼らが戦う相手は日本人じゃない。ドミニカやプエルトリコのような中南米の選手達もいる。彼らは6フィート以上の身体を持ち、バズーカのような肩を持ち、強靭で俊敏な身体能力を持っている。申し訳ないがこれから先さらに上のレベルへ上がった時、アジア人が彼らを押しのけてショートのレギュラーを取るのは・・・残念ながら、とても難しいだろうね」
 
少し遠慮気味に、しかしはっきりとした口調で、ショートとしての死刑宣告を受けた気がした。
 
でも僕はここでまたグラッと来た・・・いやっ、今回はゾクゾクっとした。
 
《ドミニカやプエルトリコのような身体能力のずば抜けた中南米の選手》
 
僕達はこれまで、そんな事を想定しながら練習した事など一度も無かった。
そんな選手は野球漫画の中でしか出会わない相手だと思っていた。
でも、実際に今次男はそんな名前を耳にする位置に来たんだと思うと、僕はもうゾクゾクが止まらなくなってきた。
 
僕はそのままの勢いで「わかりました、そんな凄い選手を自分の眼で見るチャンスなら、是非参加させてください!」・・・と言おうとしたのに、今度はコーチの一人が遮って話始めた。
 
 
「でもね、キャッチャーとしては別だよ」
「キャッチャーとしては・・・別?」
 
「ここに参加する子達の多くはPOPタイムが2.2~2.3秒台だ、これが2.1秒台ならかなり速い、もし2.0秒台ならメジャーのスカウトが必ずリストアップするし、試合を見に来てくれる可能性もある」
 
「でもYOSUKEは・・・・1.9秒台だ」
「1.9秒台?・・・」
 
「そう、1.9・・・このタイムの意味が分かるかい?・・・これは、今回トライアウトを受けた中で一番の速さなんだよ。彼はアリゾナに行くときっと世界が広がるし、きっとチャンスが広がる・・・彼は行くべきだと思うよ」

嬉しかった・・・
 
ゾクゾクがワクワクに変わって来た。
 
僕が撮ったビデオを自分で分析してタイムを計った時も確かに1.9秒台だったけど、それはあくまでも素人計測しただけで本当は自信がなかったのだ。でも今、プロのコーチ達がはっきり数字で可能性を告げてくれると、僕は思わず嬉しくて顔がニヤけて来た。
 
今度こそ「アリゾナ参加します!」・・・と言おうとしてるのに、今度はマシソン父ちゃんがまた邪魔をした(笑)。
 
 
「いいかい、なぜこういう大きなスカウトキャンプに参加する意味があるか分かるかい?」
「意味?」
 
「今、YOSUKEは全くのノーマークだ。彼のキャッチングが優秀な事を知ってるのは我々カナダチームだけ。もちろん彼を目当てに試合を見に来るスカウトもいないだろう・・・でもね」
「でも・・・・?」
 
「例えば90マイルの速球を投げる投手がいたとしたら、スカウトは間違いなくリストアップしてるし、試合をチェックしにきてる可能性も高い。そこでもしその90マイルの速球をフェンスまでかっ飛ばす無名の少年がいたらどうなると思う?」
「どっ、どうって・・・?」
 
「誰だ、誰だ?・・・今のフェンスまでかっ飛ばした奴は誰だ?ってスカウト達は資料ひっくり返して大慌てでその無名の少年のデータを探し始めるんだ・・・どうだい、楽しいと思わないかい」
 
確かにその通りだ、もしその無名の少年が自分の知っている子だったら、いやっ自分の息子だったら・・・野球のアニメやドラマで劇的なストーリーを見るよりもよっぽどスリリングで、ドキドキワクワク楽しいに違いない。
 
 
コーチが再び聞いた・・・
 
「アリゾナ行き・・・きっとプラスになると思いますよ」
 
僕と妻の眼が合い
「はい、陽介も参加しますので、よろしくお願いします」・・・やっと言えた(笑)。
 
 
 
そんな訳で、妻と次男は今朝からまたアメリカです。

次男はなんとこの2カ月の間に4度目のアメリカ旅行です。

結局、出発の10日ほど前に発表されたチーム編成で、次男はチーム・カナダに入れる事になりました。
 
周りの人からは「将来が楽しみね」とか、いろいろ言ってくれる人もいます・・・・ですが、とんでもないです、《今の時点で》彼が将来プロの選手になれるなんて僕はまだひとかけらも思っていません、ひとかけらも!
 
そんなに簡単に入れる世界じゃありません。
 
それがどれほど難しく、どれほど低い確率でしか入る事の出来ない世界なのか・・・やっている本人ですら全く自覚してない状態です(苦笑)。

今はただ監督やコーチが言ってくれたように、どんどん外の世界に目を向け、自分自身で可能性を広げていって欲しい・・・ただそれだけです。
 
 
期待はしません。
結果を気にする必要もありません。
 

ただし・・・・やる以上は全力で頑張って欲しい。
 
 
プレッシャーを与え過ぎてはいけないのかもしれません・・・でも、僕は彼にはあえてプレッシャーを感じながらやって欲しいと思います。「ただノビノビ楽しくやればそれで良い」・・・もうそんな位置にいない事をしっかり本人が意識して、周りからの期待を感じ、協力してくれてる人達への感謝を忘れず、そのプレッシャーの中で思い切りもがき苦しみながら必死になって欲しい。後で中途半端な悔いが残らないように、元気に楽しく思い切り挑戦して欲しい。
 
 
そして、もし本当に少しでもその先にチャンスが広がっているのなら・・・
 
もし本当に本人に本気でやる意思があるのなら・・・
 

その時は、僕も可能な限りのサポートはしてあげたい・・・
 
 
出発ゲートへと向かう二人の後姿を見ながら、そんな事を考えていた今日・・・10月4日、早朝のバンクーバー国際空港でした。
 
 
・・・・って、どうなるかも分からない遠い未来の野球の話してる場合じゃねーんだよ!
うちにはもう一人息子と娘がいるので、明日からは6時の弁当作りに始まり、昼間に写真の仕事して、夜中も別の仕事が詰まってるので感慨にふけってるような暇はありません!!
さあ、今日から1週間父子家庭がんばるぞ~・・・オーッ!