思いきり、かいつまんで言っちゃえば

 

大切な人を犠牲にして世界を救うか。
大切な人を救うために世界を犠牲にするか。

 

そんな物語

 

 

 

晴れ女である天野陽菜と
陽菜を守ろうとする森嶋帆高。
そんな青春恋愛物語と思い気や。

 

実は、帆高を助け、自分の会社に住み込みで雇った須加圭介がこの物語の陰の主役。

 


大切な人を救うために世界を犠牲にした帆高
大切な人を犠牲にして世界を救ったのであろう圭介とが
対比的に視聴者に問いかける。

 

大切な人を犠牲にして世界を救うか。
大切な人を救うために世界を犠牲にするか。

俺の選択は正しかったのか?と

 

 

帆高は「大切な人を救うために世界を犠牲にした」と断定できる物語の連続だが。
圭介は「大切な人を犠牲にして世界を救ったのであろう」と断定できない。

帆高の物語の物的証拠と圭介の物語の状況証拠が対比的に絡みあい
そのふとした瞬間の表情にその言葉に、物語の時間や空間を越えた深さが広がる。
謎解きに似た深読みにいざなう。
まさに新海映画の真骨頂だ。

 

あなたは
大切な人を犠牲にして世界を救うか。
大切な人を救うために世界を犠牲にするか。

 

 


「おい。まぁ気にすんなよ青年。世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから。」
圭介が帆高に言う


それは愛する人を犠牲にして世界を救った圭介自身へのなぐさめでもあり。
それは大切な人を救うために世界を犠牲にした帆高への賛辞なのかもしれない。

否、もしかしたら
それは大切な人を救うために世界を犠牲にした帆高へのなぐさめであり。
それは愛する人を犠牲にして世界を救った圭介自身への言い訳なのかもしれない。

 

いずれにせよ。人生に絶対的正解なんて分らない。
何故なら人生には無数の正解があるからだ。
同時に無数の不正解があるからだ。

それにして正解も不正解も大差なんてないんだ。
だって
世界なんて。どうせもともと狂っているんだ。

 

 

 


大切な人を犠牲にして世界を救うか。
大切な人を救うために世界を犠牲にするか。


今の僕には答えは出せない。
でも、きっとそんな難問も、その瞬間瞬間に悩むことなく答えは出せるだろう。
だって。
世界なんて。どうせもともと狂っているんだ。

という割り切りを僕はもう持っているから。


迷う時は
誰かの言う正しいか正しくないかではなく
自分の思う楽しいか楽しくないかで決めたらいい。
結果。その方がうまくいく。

それは僕の50年の人生から導き出した答えだ。


世界なんて。どうせもともと狂っているんだ。

 

だから美しいのだ。

 

どうせもともと狂っている世界で。

どうせもともと狂っている僕が。

どうせもともと狂っている君を。

好きになった。

 

だから美しいのだ!

 

こんなに美しい事はないではないか!