世の中は新コロで大騒ぎだ。
まるで新コロは僕ら一人一人に人生哲学を死生観を問うているようだ。


日本人は真面目な国民だと言われるが。
きっとそれは勘違いだ。
日本人は真面目な国民ではない。
直ぐに思考停止する国民なのだ。
自ら考える事を放棄し。
誰かの言葉に従い。
誰かの言葉に文句を並べ。
自分の思いを捨てて誰かに合わせる事を真面目さなど勘違いしているならとても恥ずかしい事だ。

そんなの真面目ではない。
自分の思いに従わない事は、もっとも自分の人生に不真面目なのだ。

 


「人生は自己満足を追求する自己責任がある」
これが僕の人生訓だ。

 

 それが「生きる」と言う事だ。
「生きる」とは「活きる」事だ。
「活きる」とはリスクを恐れずにチャレンジする事だ。
それが「自己責任」だ。
「自己責任」とはチャレンジして失敗した人を叩く言葉ではない。
チャレンジする自分を奮い立たせる言葉だ。


新コロの感染が怖くて死にたくないが為になにもしないなんて
死ぬ前に生きる事を放棄したも同じだ。

そんなのは死んでないだけで生きていない。

そんな生き方はくだらない。


そもそも新コロは恐れる感染症ではない。
PCR陽性数と感染者数は違う。
感染者数と発病者数も違う。
そんな当たり前の事をここでくどくど書くつもりはない。
僕なりに徹底的に調べた結果。
今のところ、日本においては「普通の風邪」だ。

まあ、その見解は人それぞれであろうから。ここではどうでもいい。

 

それにしても
みんなどこかこの新コロ騒動はおかしいと思っていないだろうか?
思っていないのなら目も当てられないが。。。

 

常識的数値見識能力のある大人の日本人であれば。
どこかおかしいと思うのが当然であると思うが、それは僕の思い違いか?

どう考えても。おかしいのだ。
きっとみんなどこかおかしいと思っているだろう。
おかしいと思う事をおかしいと言えないのが日本人で。
おかしいと思いながらもマスクを取れないのが日本人だ。

 

交通事故が怖いからと剣道の装具をつけて街を歩く人がいるだろうか?
剣道の装具より効果がないであろうマスクを全員がつけている。
それも、きっと、どこかおかしいと思いながら。
他人の視線が怖いからという、関係ない恐怖から。

 

その
マスクを外せない集団心理が戦争を起こすのだ。
カリスマ的指導者がいなくても、なんとなしの空気で戦争を起こす国民である事は歴史が物語っている。

その75年前と同じ空気感に、世の中が崩れない事を祈っている。

 

 

 

さてさて。とにもかくにも夏休みだ。

感染が広がっているとか、帰省するなとか。
アホか。と思いつつ。
勝手にやってろ。と思いつつ。

僕らは例年通りに8日~16日まで旅行に出る。

 

みんな無意味に引きこもればいい。
それだけ快適な旅行が約束される。
みんな無意味に引きこもればいい。
それだけGOTOキャンペンは盛り上がらず、当日予約もできるだろう。

なんだか素敵な夏になる予感しかない。

 

勘違いしないでほしい。

自粛論者を批判しているのではない。

自粛したい人はどうぞ自粛してほしい。

でも

僕のように「自己満足を追求する自己責任」を持とうとしている人を邪魔はしないでほしい。

それだけだ。


では

よい夏を!