177無人島でオーディエンスなしでもやってるだろうこと | ゼロ詩人の自己愛エクリチュール

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このブログは社会的基準に合わせられない自分の存在価値を自ら認め、さらには愛するために、自己愛の完成に向けての書き物である。葛藤と矛盾する気持ちを認め、自分を限りなくどこまでも許せるまでの旅である。
詩で世界に、未来に貢献する活動を行っている。

177無人島でオーディエンスなしでもやってるだろうことは?!お願い


※無人島にピアノはあるのか?!
※あれ?このブログのジャンルなんだ?ジャンルには入れないblogger me


このテーマは

ブログにアップしようよー
内なる声が言ってたのに
スルーした内容が、また違う方面から
意識に触れる事になり、きょうは書こうー

しばらくブログを触る気持ちになれず、照れ
そういう時はやめよう、義務からアップするのはエネルギー間違ってるから!
とこの数日ブログは空白だった。お願い


最初に書こうと思ったのは、書こうと思ったというか、意識にやってきた内容は、

「自己表現」

について。

その時ひとりでピアノを弾いていた。

好きに自由に音を探しながら弾いていた。

その時に気がついた。

あー
「音」には

「素直」に「抵抗なく」
「自分の感情が乗っている、乗せられる」

なぁー照れ


そして一方、
詩人(詩的芸術的家)であるにもかかわらず

「ことば」には

「ひねくれ」ポーン「抵抗感あり」ゲッソリ
「自分の感情載せない」

なぁー
もちろん嘘を書くわけではない。

嘘はかけないからこそ
かけないんだなぁーショボーン



と一人感じ入る。


なんでかなあ?



今年に入って二人の違うタイプの、でもどちらも自分の求めていた異色な先生にピアノと音楽創作の指導を受けている。


二人はいずれも普通のクラッシック音楽家の指導とは全く趣旨がちがうので、コメントも枠を超えた自由なもの。


それぞれの先生と話したこと。


「ずっと声や歌にこだわっていたのに今年に入って全く興味が行かなくなった!何ででしょう?」



「ことばは限定、指定、するけど音はもっと粒子のようというか、無意識へのアクセスだからかな?」

もう一人の先生は
「あ、それは、音の世界に入ってきたんですね!素晴らしい!音との対話をし始めたのですね」


いま自分が興味を持って取り組んでいるのが

「耳と心の対話」

「心の底にあるものへのアクセス」

それをなんのために?

理由はない。

ただやりたいから。



いきなり横道で終わりそうだー



タイトルの話にいこう。



無人島で自分一人で誰もオーディエンスなしで、
それでもやりたいことは何だろう?理由なく究極のやりたいことは何だろう?心の針はどこを指すのだろう?本当の自分の欲求の羅針盤。評価も損得もカッコいいもカッコ悪いもなくやりたいこと。誰も素敵なんて言ってくれない。お金にもならない。でもやりたいことは何?


自分にとってそれはなんなんだろう?



先に書いた音の話と言葉の話だが、

自分は言葉が好きなんだと思っていた。
なのに言葉では自分の感情をうまく表現してないではないか?!ポーンという気づき。


じゃあ自分は本当は音楽がやりたいのか?

誰も聞いてなくてもやる気ある?

あるお願い



ふらーっとピアノは触りたくなる。音出したくなる。
もう一つ楽器でギターも好きだが、ギターよりピアノの方が自分には自由にを与えてくれる。

感情がリンクしやすい。


じゃあ脱言葉GO音楽かー!?照れ


自問自答は一筋縄ではいかない。この先また、考えたことが有るのだが、長くなるからここで一回終わりにする。お願い

私の答えはいかに?


オーディエンスいないんだけどきいてみる、これを読んでいるかもしれない方は島で何したいですか?!

続く!