僕は今日、何度目になるかわからないため息をついて、店を出た。これで五件目だ。



 今日は、僕たちの結婚記念日だ。結婚したときに小さな家を買い、一年間、僕たちは生活をしてきた。



 それで、何か記念になるものを、と思っていろいろと店を覗いているのだが、これだ、と思うものは僕の小遣いでは手が出ない。



 贈り物というのは、送る相手に秘密で用意しなくては意味がない、と僕は思っている。だから、妻に小遣いを貰うわけにもいかなかった。



 僕よりちょうど耳一つ分小さい妻は、絵を描く仕事をしている。本の挿絵やポスター、それから、ときどき公園で似顔絵を描いたりしている。僕と出会ったのも、楽団のポスターを彼女が描くことになったからだった。



 彼女は今夜、御馳走を作って待っているらしい。御馳走とはいっても、そんなに料理が得意なわけではないから、大体予想はつくけれど。



 僕は手にした、というよりも抱えているケースを見つめた。コントラバスの入ったケースは僕より大きく、持ち運ぶのにはコツがいる。いざとなったら誕生日と同じく、これで一曲送るしかない。



 そこまで考え、僕はふと首をかしげた。結婚記念日には、何の曲を演奏するものなのだろう。



 ああ、そういえば――



 昔、「賢者の贈り物」という物語を聞いたことがあった。貧しい夫婦がお互いに大切にしているものを売り、相手に贈り物をするというものだった。



 僕は苦笑した。



 僕は、このコントラバスを売ることはできない。こちつが生活を支えているのだし。



 賢者にはなれそうもない。



 それは妻にも言えることで、彼女もイーゼルや絵の道具を売ることはないだろう。まあ、絵を売ることが出来るのは、僕と違うところだけれど。



 



 六件目に入ったのは、雑貨店だった。



 同じ楽団のお坊ちゃん(渾名だ)が通い詰めているという話を聞いたことがあるのを、思い出したからだった。



 中に入ると、僕は入り口のところにケースを置かせてもらい、店内を見回した。



 壁に、沢山のカードが並んでいるのに目が留まる。



 僕は近付くと、一枚のカードを手に取った。



 モチーフは花と少女だ。少女に昆虫らしき羽根が生えているところを見ると、妖精なのだろうか。



 何種類か絵柄がある中で僕が手にしたのは、少年にも見える妖精のものだった。



「それ、いいでしょう?」



 店主が声を掛けてきた。



「それと、あと、これですね。多分、少女なんですけど、少年っぽく見えるんです。そのせいか、人気が高いんですよ」



 店主が言うのを聞きながら、僕はその妖精が妻に似ているなぁ、と思っていた。



 「僕の妻はまるで妖精のようです」と、のろけるつもりではない。



 初めて彼女に会ったとき、僕はずいぶん若い男だと思ったのだった。女性だと知って驚き、僕と一つしか年が違わないと聞いて更に驚いた。



 妙に気が合って、付き合うようになるのに、それほど時間はいらなかった。



 彼女はとても不思議で、気まぐれで、少年のようなのに、ときどきぎょっとするほど大人びて見えることもあった。



 恥ずかしいけれど、妖精というものが現実にいたら、彼女のようなのかもしれないな、と思ったこともある。



 僕は、そのカードをレジカウンターに置いた。



「これ、ください」



「はい、ありがとうございます」



 店主は慣れた手つきでレジを打ち、カードを袋へと入れた。



 



 僕は玄関の前で、大きく深呼吸をした。



 妖精のカードで頭がいっぱいで、肝心の贈り物を買うことができなかった。いや、カードが贈り物ということで――ああ、結局、僕はいつもこんなことになってしまうんだ。



「ただいま」



 ドアを開け、声を掛けた。家の中は予想通り、妻の得意なシチューとパイの香りでいっぱいだった。



「お帰りなさい」



 妻が笑顔で、僕を迎えた。



 僕はカードの入った袋を渡した。彼女は開けると、嬉しそうに瞳を輝かす。



「ごめん。こんなものしか送れなくて」



「何で?すごくいいじゃない。ありがとう」



 嬉しそうに礼を言われ、僕は複雑な気持ちになる。来年はもっと、高価なものが買えるようになっていればいいのだけれど。



「これ、君に似ていると思って」



「ええ?私に?妖精が?」



「うん」



 僕が答えると、彼女は照れたような、困ったような表情を浮かべてカードを見つめた。その様子を見つめていると、彼女が顔を上げた。



「実は、私もあなたに贈り物があるの」



「へえ」



「はい、どうぞ」



 彼女は食卓の横に置いてある、布の掛かったイーゼルを恭しく手で示した。



 僕が布を取ると、そこには彼女の描いた絵が置いてあった。



 それは、僕がコントラバスを弾いている絵だった。しかし、その僕の背中には、まるで鳥のような羽根が生えている。



「これは――」



「あなたよ?」



「いや、それは分かるけれど」



「私には、あなたは天使に見えるの」



 彼女は、いたずらっ子のような瞳をして笑った。



「妖精から天使に贈り物です」



 彼女がふざけた様子で言った。僕は苦笑して、耳を掻いた。



 僕たちは賢者にはなれないけれど、妖精と天使にはなれたらしい。



 



20020930初稿 20080303改稿