先日お客さんとお喋りしてて
21歳の頃
何してたー?って話になった

私の息子は22歳
そのかたの息子さんは20歳と24歳

私たちは強いからさぁ(笑)
自分は辛くても大変でもどうにでもなるんだよね~ニヤリ
(実際なんとかやってきたし)
でも息子が、辛そうなのは
耐えられんわ~
って話になり

その歳の頃
どうだった?ってことになった

このお客さんは月に2回来られるので
今までもかなり深い話をすることが
多かったんだけど
美容師成り立ての頃の話って
そう言えばしてなかった

美容学校を卒業して入ったお店は
当時忙しくて忙しくて
レッスンもあったから
朝8時~夜24時まで店にいる状態

法律的にはヤバイよねえー

いつも気がついたら
店の中にいる……みたいな。
それで食事作る当番とかもあったから
スゴいわ

そこは1年で辞めて
次のお店は
松山市のロープウェイ街あたり
広島が本店で松山が支店

広島から来た 当時27歳くらいの
女性店長と私と二人で任されてたんだけど
なにせ売上がない

月末になると
店長と二人
とりあえず五万ずつ取っとこ
残りはまた売上から少しずつもらおう 
なんて

今考えたらおかしい
本店あるのに……

でもここにいた頃
広島出張に行って
カットからロッド巻きから
商品の売り方
お客様の心のつかみかたなど
とことん教えてもらった

給料が怪しかったので
やはり1年くらいでやめたけど。

そのあとは 日曜日休みのとこないかなーと探していたら
県立中央病院の地下にある店が
募集してたので
面接に行き 即採用

理容師さんと美容師さんがいる店だったので
ここでも
たくさんのことを教えてもらった
独身は私一人で
みんな早く帰ったりするので

まだ23歳くらいだったけど
レジ閉めいきなり任されたり

先生は男性でいつもバックヤードの
ポンポンベッドで寝ていて

指名のお客さんが来たら 
カットお願いします~って呼びに行く

冬になると1ヶ月 北海道にスキーに行くような
経営者だったけど
別になんとも思わなかった
毎日髪の毛のついた先生のハサミを 
1本1本丁寧に
ハサミ用の革で拭いて帰るのが
私の日課だった

頼まれてしてたのか
私が自主的にしてたのかは
覚えていない

そこでは
刈り上げや顔剃りも習った
(と言うか見て覚えた)
入院患者さんもたくさんさせてもらった

そのあとは
もっともっと数をこなす練習がしたくて
また別の店に。

1日100人来るような大型店舗
今でも健在
店舗数は減ったかも知れないけど

そこでは
毎日8~12人くらいはさせてもらった

ほんとにスゴかった
パーマのペーパーはポリバケツいっぱいになり
髪の毛で床が見えないくらいの忙しさ

いろんなことを習得するために
1、2、3、4
ここまでですでに4店舗

このあと先輩が店を出すことになり
雇って~って頼んで
5店舗めに就職

そして1年が経ったころ
先輩が事情で経営できなくなり
引き継ぐことに……

このとき
私   27歳

そして怒涛の経営者人生が始まった……びっくり


と  こんな話をしたわけです(^-^;


そこから
今の 優風を作って
2店舗かけもちした時期があったり
子育て
1店舗目をスタッフに譲る
リコンする

などなど エトセトラ

ちょっと書きとめておきたくて
長々と書きました💦

読んでくださって
ありがとうございますウインク