今回もyoutubeのご紹介いたします。
この中で私が話しているのはロシアの心霊系番組でのエピソードですが、向こうの心霊現象は本当に凶悪でびっくりします。
つい先日の映像では廃屋の中の一部屋だけが大地震の様相に見舞われていました。ユーチューバーはとっさに隣の部屋に避難したのですが、そこはなんの異常もない。その部屋からガラガラ揺れる隣室の様子を映していました。
霊の言葉を捉える「スピリットボックス」を使うと「助けてくれ」という声が漏れてきて、どういう意味か測りかねていたのですが、やがて部屋の隅で山を作っていたボロ布の下から首のない遺体が出てくるといった具合で、呆気にとられます。
その廃屋は「魔女が住んでいた」といういわくがあるそうです。
「魔女」というと日本人の私たちは突如童話の世界にでも放り込まれたような印象を持ちますが、ロシアの心霊スポットには頻繁に「魔女」がかかわってきます。
思えばゴーゴリやトルストイの短編にも「魔女」や「悪魔」が出てくるので、ロシア人(キリスト教圏って言ってもいいのかな?)には馴染みが深いのかもしれません。
逆に日本の「狐霊」とか「お稲荷さん」は彼らはキョトンとするかもしれませんね。
「キツネ? 森に住んでるFoxのことかい? なんでキツネが出てくるの? 狼とかウサギは?」
といった印象をもつかもしれません。
ロシアでは「魔女」、中東では「ジン」、その国によって呼び名は違っても人間を敵視していることは共通で、心霊系ユーチューバーはいつも危険に見舞われています。
地下に突き落とされたり、唐突に閉まって来たドアに腕を挟まれたり、部屋に閉じ込めたり、箪笥が倒れ込んできたり、ナイフや鉄の棒や椅子を投げつけられたり、川底に引きずり込まれたり、毎回ひどい目にあって、しかし翌週にはいそいそ心霊スポットに出かけていくので、ユーチューバーは幽霊よりタフだと思います。
こうした番組を見ていていろんなことを考える内、閃いたことがあります。
日拝についてです。
太陽を拝む「日拝」は「太陽神の御分霊をいただく」ことを意味します。午前中の清い太陽の光はあらゆるものを浄化する力があるのですね。
ロシアの幽霊もすぐに家の中を真っ暗にしてくるので、邪な存在は光が嫌いなのでしょう。
しかし日拝における「御分霊をいただく」にはそれ以上の意味があると思います。
それに気がついたのはロシアのユーチュバーがスピリットボックスの声に導かれて四方を壁に塞がれただだっ広い地下室に閉じ込められた時でした。「これは罠です」というスピリットボックスの一言を最後に撮影用ライトも懐中電灯もすべて消されてしまったのです。真っ暗闇の中で大勢の人間の足音だけがザッザと迫ってきて彼は慌ててオイルライターをつけました。けれど指が熱せられて長時間つけていられない。
「これはやだなー」
閉所恐怖症の私は思いました。私だったらどうしよう……すぐに自分に置き換えて対策を練ります。
「こんな時は光明真言だなー」
光明真言は「あまねくところに大日如来様の光が降り注ぎますように」という意味だと聞いたことがあります。僧侶でもない、普通の人が唱えても構わないご真言のひとつで、魔を払う強力な力を秘めているそうです。
「私がこういう目にあったら慌てず、落ち着いて光明真言を唱える。大日如来様、大日如来様とお姿を観想しながら……。いやいや待てよ。大日如来様ってどんなお姿だっけ? 」
仏様にそう詳しくないので観想できません。
いやー、この時点で地下室の私は完全にパニックです!
と、ふと気がつきました。大日如来は神道でいうところの天照大神、太陽神です。つまり日拝をしている時のあの「太陽」を思い起こせばいいのではないか。
あのまばゆいプラチナの輝きです。
花や木々に振り注ぐ温もりです。
それをそのまま身の上に再現しながら光明真言を、もし光明真言を覚えていなければ「アマテラスオオミカミさま」でもいい、一心不乱に観想すれば身に沁み込んでいた御分霊が光を放ち始めるのではないか。
今回、この番組を収録した後、この考えを尚さんに聞いてもらいました。
「そうですね。それでも魔を払えると思います。光明真言を唱えたのと同じ効果と思います」
日拝における「御分霊をいただく」とはこういうことなのだ、と知った瞬間でした。日々の日拝は御分霊(光り輝く太陽のイメージ)を身に染み込ませて魂を清め、観想を容易にすることで魔を祓う力をつけることなのです。
ま、そんなことも考えながら心霊動画を見ています。
結構、勉強になるんですよ。