あの日からもう6年
たまには真面目なブログです。
そして、画像は特にブログの内容とは関係ありません。

東日本大震災の起こったあの日は私も帰宅難民になり、3時間以上歩いて帰宅したことは忘れられません。
歩いて帰れる距離で良かったけど、その後数日間足がパンパンで階段の上り下りが辛かった。。。
そして、テレビで放送された震災の様子には衝撃を受けました。
最近のニュースでも被災して転校して、そこでいじめにあったとか自殺とか…悲しい話しを色々聞きますよね。
私個人では東北に知り合いはあまりいないのですが…
なぜか
私の生徒さんは東北出身の方が多く震災の時の話しを伺う機会もあり、現地で被災した方々は未だに大変だと聞きます。
生徒さん自身はすでに神奈川で十年以上も住んでいらっしゃる方ばかりですが、親戚や友達が被災地に住んでいるのだそうです。
たぶん…報道されていないであろうお話しも幾つか伺うことが出来たので、ぜひ知って頂けたらと思いアップしてみました。
以下は生徒さんから聞いた話しです。
「親戚のおばさんが娘さんが家に戻るのを待ってから一緒に逃げようと待っていたもののなかなか娘さんが帰ってこないので仕方ないから避難しようとドアを開けたら黒くうねった波が見えて、外に逃げることが出来ず自宅の2階へ避難。1階は浸水し、1週間以上?その2階で過ごしたとのこと。その間は湯たんぽに入っていた冷めた水をちびちび飲んで凌いだそうです。また2階から外を眺めると何もなくなっていて、近所の家は流されたり水没していて…自宅のガレージには近所の車や流されてきた人の遺体がたくさんあったとのこと…自衛隊のヘリによって助け出され、自衛隊のジープに乗って避難所に行くまでの道にも山のように遺体が積み重なっていて、未だに忘れられないのだそうです。」
「津波が引いた際、橋や歩道橋などにたくさんの遺体が引っかかり…亡くなった人の霊が出るのだといいます。そして、親族は幽霊でもいいから会いたいと夜そこに会いに来るのだそうです。」
「たまたま高台に家を移して家も家族も無事だった方もいますが、そういう方は被災して家をなくした方々から心ない言葉の暴力で精神的に追い詰められ、今でも苛められているのだとか。」
「ペットボトルの水はコップがないので回しのみ…どこの誰ともわからない人が飲んでたりしても命をつなぐために少しでも飲みたい!嫌だと言うより欲しい!になるそうです」
「奥さんがいなくなり、探し回ったところ…裏の方に泥だらけの女性の遺体があると聞き、みんなで家に運び布団に寝かせ親族が集まって泣いてすがるも水がないから遺体をキレイにしてあげることも出来ず…ただただ悲しむ家族。2日後にひょっこり奥さんが帰宅。どうやら離れたところで避難所のお手伝いをしていたのだとか。亡くなられた女性は津波で流れ着いた方で身元がわからないまま…」
「おばあちゃんとお母さんと娘さんの3人で逃げるときに、寒いからと上着を取りに娘さんが家に戻った直後に津波がきて娘さんはそのまま津波にのまれてしまった。」
「住むことが出来なくなり、他県に移り住んだはいいけれど…まだその土地を買い上げてもらえず困っている」
など…
まだまだ色んなケースで今も大変な思いをしていたり、トラウマで苦しんでいる人もたくさんいるんですね。
流石に遺体の山などはテレビで報道出来ないし、言葉で聞いてもその凄惨さは計り知れません。
詳細などは聞いたままを思い出すことが出来なかったのですが、思い出せる限り聞いたまま脚色はせずに文章にしました。
あくまでも伝え聞いた話しですし、若干聞き違い等もあるかもしれないですがその辺りはご容赦願いますm(_ _)m
私の知り合いで東北に住んでいた方は、被災後ご主人と別れて2人の小さなお子さんを連れ 彼女の母親が引っ越した中部地方に移り住みました。
震災で色んな人の人生が変わってしまったのですよね。
無事だった人のことを被災した人が責める。。。
心が蝕まれていくと他者への攻撃という形で闇が向かってしまうんですね。
自己防衛のひとつなんでしょうが、標的になった方は本当にお気の毒です。

まだまだ心の傷は根深く残っているとは思いますが、皆さんが心安く過ごせるようお祈りします。
たまには真面目なブログです。
そして、画像は特にブログの内容とは関係ありません。

東日本大震災の起こったあの日は私も帰宅難民になり、3時間以上歩いて帰宅したことは忘れられません。
歩いて帰れる距離で良かったけど、その後数日間足がパンパンで階段の上り下りが辛かった。。。
そして、テレビで放送された震災の様子には衝撃を受けました。
最近のニュースでも被災して転校して、そこでいじめにあったとか自殺とか…悲しい話しを色々聞きますよね。
私個人では東北に知り合いはあまりいないのですが…
なぜか
私の生徒さんは東北出身の方が多く震災の時の話しを伺う機会もあり、現地で被災した方々は未だに大変だと聞きます。
生徒さん自身はすでに神奈川で十年以上も住んでいらっしゃる方ばかりですが、親戚や友達が被災地に住んでいるのだそうです。
たぶん…報道されていないであろうお話しも幾つか伺うことが出来たので、ぜひ知って頂けたらと思いアップしてみました。
以下は生徒さんから聞いた話しです。
「親戚のおばさんが娘さんが家に戻るのを待ってから一緒に逃げようと待っていたもののなかなか娘さんが帰ってこないので仕方ないから避難しようとドアを開けたら黒くうねった波が見えて、外に逃げることが出来ず自宅の2階へ避難。1階は浸水し、1週間以上?その2階で過ごしたとのこと。その間は湯たんぽに入っていた冷めた水をちびちび飲んで凌いだそうです。また2階から外を眺めると何もなくなっていて、近所の家は流されたり水没していて…自宅のガレージには近所の車や流されてきた人の遺体がたくさんあったとのこと…自衛隊のヘリによって助け出され、自衛隊のジープに乗って避難所に行くまでの道にも山のように遺体が積み重なっていて、未だに忘れられないのだそうです。」
「津波が引いた際、橋や歩道橋などにたくさんの遺体が引っかかり…亡くなった人の霊が出るのだといいます。そして、親族は幽霊でもいいから会いたいと夜そこに会いに来るのだそうです。」
「たまたま高台に家を移して家も家族も無事だった方もいますが、そういう方は被災して家をなくした方々から心ない言葉の暴力で精神的に追い詰められ、今でも苛められているのだとか。」
「ペットボトルの水はコップがないので回しのみ…どこの誰ともわからない人が飲んでたりしても命をつなぐために少しでも飲みたい!嫌だと言うより欲しい!になるそうです」
「奥さんがいなくなり、探し回ったところ…裏の方に泥だらけの女性の遺体があると聞き、みんなで家に運び布団に寝かせ親族が集まって泣いてすがるも水がないから遺体をキレイにしてあげることも出来ず…ただただ悲しむ家族。2日後にひょっこり奥さんが帰宅。どうやら離れたところで避難所のお手伝いをしていたのだとか。亡くなられた女性は津波で流れ着いた方で身元がわからないまま…」
「おばあちゃんとお母さんと娘さんの3人で逃げるときに、寒いからと上着を取りに娘さんが家に戻った直後に津波がきて娘さんはそのまま津波にのまれてしまった。」
「住むことが出来なくなり、他県に移り住んだはいいけれど…まだその土地を買い上げてもらえず困っている」
など…
まだまだ色んなケースで今も大変な思いをしていたり、トラウマで苦しんでいる人もたくさんいるんですね。
流石に遺体の山などはテレビで報道出来ないし、言葉で聞いてもその凄惨さは計り知れません。
詳細などは聞いたままを思い出すことが出来なかったのですが、思い出せる限り聞いたまま脚色はせずに文章にしました。
あくまでも伝え聞いた話しですし、若干聞き違い等もあるかもしれないですがその辺りはご容赦願いますm(_ _)m
私の知り合いで東北に住んでいた方は、被災後ご主人と別れて2人の小さなお子さんを連れ 彼女の母親が引っ越した中部地方に移り住みました。
震災で色んな人の人生が変わってしまったのですよね。
無事だった人のことを被災した人が責める。。。
心が蝕まれていくと他者への攻撃という形で闇が向かってしまうんですね。
自己防衛のひとつなんでしょうが、標的になった方は本当にお気の毒です。

まだまだ心の傷は根深く残っているとは思いますが、皆さんが心安く過ごせるようお祈りします。