今年はマメに更新するって書いたのに、
結局、2週間以上も更新しないままでした。
ダメじゃん、ワタシ。
今日、思い立ったのは、阪神淡路大震災が起こった日だから。
あの日、私はペルーの田舎町にいました。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191128/12/pocoyuko/84/ae/j/o0864129614651803573.jpg?caw=800)
ペルーに入ってすぐの田舎町。
観光客など誰も来ない小さな町でしたが、朝起きて町を散歩していると、
キオスクのおばちゃんが、私が日本人だとわかって、
血相を変えて何か叫んでいました。
「テレモト! ハポン!」
2つの単語だけ聞き取れました。
「ハポン」というのは日本のことですが、「テレモト」ってなんだろう?
不思議そうにしていたら、おばちゃんが新聞をもってきて見せてくれたのです。
一面に大きく、地震らしき写真が出ていて、
「テレモト」というのがスペイン語で「地震」の意味だと初めてわかりました。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191128/12/pocoyuko/9c/5b/j/o0864129614651803583.jpg?caw=800)
▲拙著「来て見てラテンアメリカ」のコラム
その2ケ月後、今度は「ガス」事件が南米に伝わってきました。
あの、オウム真理教の地下鉄サリン事件です。
あの頃、日本のニュースといえば、「テレモト(地震)」と「ガス(地下鉄サリン事件)」だけ。南米の人は日本って、なんて危ない国なんだろうと思ったでしょうね。
南米には8ケ月間、中米と合わせると1年半も日本を留守にしていました。
インターネットなどない時代、その間の情報がよくわからず、浦島太郎状態になったものです。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191128/12/pocoyuko/87/3e/j/o0864129614651803589.jpg?caw=800)
ちなみに、夫のけんいちも、このときペルーにいたそうです。