今年はマメに更新するって書いたのに、
結局、2週間以上も更新しないままでした。
ダメじゃん、ワタシ。

今日、思い立ったのは、阪神淡路大震災が起こった日だから。
あの日、私はペルーの田舎町にいました。

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▲南米ツーリング中のワタシ。若かったねー。

ペルーに入ってすぐの田舎町。
観光客など誰も来ない小さな町でしたが、朝起きて町を散歩していると、
キオスクのおばちゃんが、私が日本人だとわかって、
血相を変えて何か叫んでいました。
「テレモト! ハポン!」
2つの単語だけ聞き取れました。
「ハポン」というのは日本のことですが、「テレモト」ってなんだろう?
不思議そうにしていたら、おばちゃんが新聞をもってきて見せてくれたのです。
一面に大きく、地震らしき写真が出ていて、
「テレモト」というのがスペイン語で「地震」の意味だと初めてわかりました。


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▲拙著「来て見てラテンアメリカ」のコラム

 インターネットなどない時代、事の重大さがつかめないまま、首都のリマまで進み、そこで初めて、大震災の詳細を知りました。

 その2ケ月後、今度は「ガス」事件が南米に伝わってきました。
 あの、オウム真理教の地下鉄サリン事件です。
 あの頃、日本のニュースといえば、「テレモト(地震)」と「ガス(地下鉄サリン事件)」だけ。南米の人は日本って、なんて危ない国なんだろうと思ったでしょうね。

 南米には8ケ月間、中米と合わせると1年半も日本を留守にしていました。
 インターネットなどない時代、その間の情報がよくわからず、浦島太郎状態になったものです。

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 ちなみに、夫のけんいちも、このときペルーにいたそうです。