<検問突破して警戒区域へ>
 このころ、正式に20km圏内に入れない私たちは、無人のゲートを突破して警戒区域へと侵入していた。国道や主要道路の検問には24時間警察がいるので、許可のない車両以外は通れないけれど、福島には意外に多くの林道があり、そこにも20㎞地点にゲートが造られているものの、無人で可動式だったので、侵入可能だった。
 私は以前にオフロードバイク雑誌で、未舗装のダートルートを紹介するページを担当していたことがあり、福島の林道もかなり把握しているので、楢葉町乙次郎集落へ繋がる「乙次郎林道(通称)」なら通れるかも? と行ってみたら通れた次第。
 
 
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▲2011年5月16日。富岡町の自宅(現在も帰還困難区域)で家族の帰りを待っていた「ジロさん」。「にゃんだーガード」で受け入れてもらい、2年以上過ごしたのち、現在はいわき市にある飼い主さんのご実家で暮らしている。
 
 このジロさん保護は、愛知のゆうさんがツイッターで「友人の犬が取り残されている」とつぶやき、それを「にゃんだーガード」でボランティアをしていた埼玉のIさん夫婦が拾い、侵入路できそうな林道を知っていた私が、たまたま同じ日にボランティアに来ていたということで実現できたレスキュー。
 
 無事に圏内に侵入し、目的の家に着いたとき、私たちが来るのを知っていたかのように、テラスにちょこんと座っていたジロさんを発見したときは、Iさん夫妻と3人で、
「本当にいたよ!!」
とびっくり&感動。しかも、家族以外には近づいてこないかも、と聞いていたのに、おとなしくリードを付けさせてくれた。
 
  ジロさんの飼い主家族のおじいさん、震災後、一度も笑わなかったのに、ジロさんが無事に保護されたのを知ったときは初めて笑顔を見せ、その後間もなく安心したかのように亡くなったそうだ。
 
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川内村に設置されていた警戒区域のゲート(2011年5月16日)。全国から2週間交替でやってくる警察が24時間常駐していた(現在は撤去。富岡町まで誰でも通行できるようになった)。検問の警察が近所の犬猫に餌をあげていてくれたため、ボランティアがフードを支援していた。
 
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▲大熊町の新聞店で子犬2匹を育てていた「ヘレン」。子犬2匹も一緒にレスキュー(2011年7月) 
 
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▲楢葉町の民家のベッドの上にちょこんと座っていたガリガリの「コブちゃん」。その家の飼い犬ではなかった(2011年6月、田村市大越町・「にゃんだーガード」シェルターにて)
 
 
 そのほか、住民の一時帰宅に同行して一緒にペットを探したり、フードを託して置いてきてもらったり、できる範囲で活動するほか、20km圏内同様に住民が全員避難している原発被災地の川内村、葛尾村、浪江町津島地区、飯舘村などを中心に給餌保護をしていた。
 
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▲2011年11月、双葉町の被災者さんの一時帰宅に同行。そのときに見かけた犬のために缶詰を置いてきた。1ケ月後に行ったら、缶がボロボロに…

 これらの地域は日中は自宅に戻れるので、仮設住宅や避難先で飼えないなどの理由で自宅にペットを置いて避難している人も多かった。ただし、毎日帰宅して世話をする住民はごく一部で、中には週に1度しか帰宅しない人もいた。飼育環境も適切とは言えず、ボランティアらが見かねて世話を始めたのだが、猫はネズミ取り、犬は番犬という住民との意識の隔たりはなかなか埋まらなかった。不妊手術も無料でやるからといっても、「ウチはいいから。自然が一番。産まれたらすぐ川に捨てっから大丈夫」と平然と言う。

 そのほかにも、
 「給料をもらってやっているのか?」
 「何かの宗教?」
 「犬猫を盗んで高い値段で売っているんだろう?」

 などと言われることもしばしばだった。わざわざ遠くから来て、自分と関係のない犬猫を自腹で世話する行為が理解できないのだ。

(つづく)