東日本大震災から3年。
ペット雑誌「いぬのきもちねこのきもち」WEB版で、福島のペットレスキューについての記事を書かせていただきました。
WEB版なので文章量が少なめですが、納品した原稿はもっと長いものです。また、公式なWEBでは書けないこともあるので、ここではそのへんも加筆して掲載します。
2011年3月11日午後2時46分。東日本大震災発生
我が家は福島県中通りの某村にある。農家でもなく、田舎暮らしでもなく、村の人口確保のために造られた住宅団地だ。
東日本大震災の当日、震度6強の地震に襲われた。長い横揺れが終わってから外に出てみると、庭や道路には亀裂が入り、側溝は落ち、家は傾いていた(後に大規模半壊の認定を受けた)。
▲手前が我が家。隣家も同様に「大規模半壊」
周辺の地震被害は甚大で、すぐ隣の市町村では山津波やダム決壊で10数名が亡くなった。近所の大型スーパーは一部倒壊のため休業。商店やコンビニはなんとか営業していたものの、あっという間にすべての食料品が棚から消えた。電気はその日の夜から復旧したが、水道はしばらく使えず、1日1回やってくる給水車を待った。
地震や津波の被害状況が次々と明らかになる中で、福島第1原発が爆発した。
TVの映像で見るそれは、9.11のときと同様、まるで現実感がなかったが、これはニューヨークではなく、今、私が住んでいる福島県で起きているのだと思うと急に恐ろしくなった。
慌てて地図で第1原発から我が家までの距離を調べた。70㎞だった。
危険なのか安全なのかもわからない。どうしたらいいのだろう。村の無線放送は「不要不急の外出は控えてください」と何度も繰り返す。
原発のある浜通りからの住民が続々と中通りや会津へ避難してくる。中通りから県外へ脱出する人たちもいた。
そんなときに関西に住む友人が慌てた様子で、
「福島はもうすぐ閉鎖されて出られなくなる。今のうちに逃げろ!」
と電話をくれた。実際、東海村の放射能漏れ事故のときもそんなことがあったらしい。
東京産まれ東京育ち。山スキーのフィールドが近いという理由で2005年に夫婦2人で移住しただけで、もともと福島県には何のゆかりもない。
一時は本気で避難するつもりで、1BOXの車に生活必需品や貴重品などを積み込んでいたのだが、とりあえず我が家の周囲は誰も避難している様子はない。夫の仕事もある。ガソリンの残量も心もとない。
そうこうしているうちに
「福島が今後どうなるのか、ここに留まって見届けてみよう」
と思うようになった。自宅軟禁状態の中、毎日TVやラジオで福島の惨状を見ているうちに、福島への愛着が少しづつ湧いてきたのだと思う。
▲近所のコンビニ。棚は空っぽ。電子マネーも使えなくなった
▲隣家の飼い猫で我が家の出入り猫の「トラ」も不安そうです
居残る覚悟ができたものの、実際問題、福島から出るすべは限られていた。
高速道路も鉄道も壊滅。郵便も宅配便も届かない。
唯一使えるのは一般道だが、崩壊箇所も多くガソリンスタンドも休業。福島は完全に陸の孤島になっていた。
また、県外に行くと福島ナンバーの車は宿泊拒否や給油拒否に遭ったり心無い中傷を受けるという噂も伝わってきた。
数日後、ガソリンがないという理由で新聞配達も来なくなった。
全員がマイカー通勤である夫の職場も住み込みで3日間勤務後3日間休みという体制になり、従業員が通勤できないために休業する店もあった。
福島県内でようやくガソリンが普通に買えるようになったのは、2011年3月30日。震災から3週間近く経っていた。
▲相馬市の津波被害地(2011.3.31)
▲いわき市・小名浜港(2011.3.30)
▲すぐ隣の須賀川市では有機栽培を頑張っていた農家の方が自殺
原発被災地に残されたペットは?
ガソリンが流通し始めると、スーパーも開業し新聞配達も復活、だんだんと以前の生活に戻っていった。それまでは自分のことだけで精一杯だったが、気持ちに余裕ができてくると、動物たちのことがどうにも気になって仕方がない。
そのころ、ようやくTVで被災動物のニュースが報道されるようになったが、福島の原発被災地の詳しい状況は伝わってこない。
ネットで検索してみると、県外の動物愛護団体が果敢にも原発近くまで入ってレスキューしているのがわかった。
福島県民が放射能を恐れてどんどん県外へ避難していく一方で、福島からはるか遠く離れた場所から被爆を恐れずに動物を助けるために頑張ってくれる人たちがいる! 本当にありがたいと思った。
私も動物のためになにかしなくては。
震災前までは動物保護活動には興味はあったものの、気ままな旅ができなくなることからペットは飼っていないし、保護活動にも意識的にかかわるのを避けていた。 でも、ここで福島の動物たちの惨状を見なかったふり、知らなかったことにして何も行動しなかったら、私は絶対に後悔する。一生、そのことを負い目に感じて暮らしていくことになるだろう。
その団体が仮拠点にしているペット霊園が我が家から比較的近かったこともあり、4月初旬、意を決して団体に連絡を取り、私のペットレスキュー活動が始まった。
(つづく)