言葉という凶器 | 粗土ログ

言葉という凶器

「言葉は凶器になる」という話は、昔からよく耳にする。

現代では、マスコミやネットに溢れる言葉によって傷つけられる人は増え続けてもいる。

暴漢が闇雲に凶器を振り回しているようだ。



「武」の漢字の意味は、「矛(ほこ、戈)を持って進む(闘う)」だという。

矛とは、槍の原形ともいわれる、長柄の先に両刃の剣をつけた殺傷のために用いられる道具。

つまり、「武」とは凶器を操ること。



それ故に、後々それを私欲乱用しないためにコントロールする術として「武道」が発達したのだと思う。

日本では「矛を収める」とも言われるように、ただ凶器を振り回すという乱暴を戒めることにもなった。

そして、剣を抜かずに紛争を収めることが美徳ともされた。



紛争には、凶器が介入することは珍しくない。

しかし、その凶器に立ち向かうには、凶器に対する怖れがあっては身体も心も委縮して何もできなくなる。

そうならないためには、自身も凶器の扱い方を身に付けて扱えるようになっていることが効果的なのだ。



「言葉は凶器」ということならば、その凶器については知り得ていなければならない術があるはずだ。

今の僕は、若いころよりも言葉で他人を傷つけることが少なくなった。

相手を知ること、そして言葉を選ぶという術が身についているのかも知れない。



僕も幼少のころから、言葉で多くの人を傷つけ続けてきた。

そして自分自身も多くの人たちからの言葉で傷つけられてきたのだ。

武道を学ぶように、知らず知らずのうちに言葉という凶器の使い方を学んできたということだろうか。



(sodo)






    
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