訪問ありがとうございます。
まずは自己紹介的な記事を貼りますね。
私は性別は男だけど、男性と恋愛してるときは完全に心は女になるから、このブログジャンルにいても問題ないですよね。
ちなみに体の方は、10歳の頃から脳内のホルモン分泌異常で、女性ホルモンの分泌が過多で、性器は男のまま、おっぱいは大きくなり、顔は女性で、体つきは丸く、細く、華奢で、小柄で、肌も白く、うぶ毛ひとつないすべすべツルツルで、成長しました。いつも女性と思われます。
まあ、10歳から女性ホルモン注射を打っているようなもので、男性らしくは成長しませんでした。
女性ホルモン過多だと、性格も女になります。
要は、男性と恋愛しているときは私の性自認は女だから、女が男性とセックスしてもノーマルだということです。
仕事の関係でイタリアが長かったです。
大体私は、イタリアに行くまでにすでに何人か男性経験はありました。
でも、簡単に誰にでも自分を抱かせるようなことはしません。
恋愛して、体の関係になるってことは大変なことです。
このようなエロジャンルに参加している私ですが、そんなに乱れてはいません。
体を許すには、そこに至るまでの、それなりの理由があるのです。
私は、とにかく優しい男性にホロッとまいってしまいます。
イタリア人の彼は、ほんとにやさしかったです。
彼は最初、私に何も求めなかったのです。
私を助けて、何とか楽しませようとしてくれたのです。
私は23歳の頃、海外出張して工場の機械設備を稼働する部門に所属していました。
始めは台湾に出張し、次にイタリアに長期出張しました。
フィレンツェの近くの田舎村にある工場です。
工場から車で30分のところにホテルはありました。
イタリア人の助手兼運転手が一緒です。
さて、その工場、イタリアの最南部のシチリア島に向き合う爪先のカラブリア州に新工場を建てるということで、そこで雇った20人ほどの私と同じ年齢の青年たちが、研修に来ていました。
やかましかったですね。
他の宿泊客たちは
Grande casino! (大混乱!)と言っていましたね。
この若者たちが、また私に絡むこと、絡むこと。
Ragazza cinese! (中国人の娘!)
私にやらせろとか露骨な表現は口にしませんでしたが、みんな自分の珍珍をよく握っていました。イタリア人は自分の珍珍を握る癖があるのです。
普通と違うのは、この若者らは明らかに勃起していました。
ものすごい侮辱です。
私はよく部屋で泣きました。
それとホントにあの連中にやられるんじゃないかと怯えました。
ホテルには工場に出入りするいろんな業者が入っていましたが、誰もが私を女と思いました。
ある日、イタリアの若者たちが中国人、中国人とうるさいので、私は若者たちに言ってやりました。
「日本人と中国人は全然違う。」
彼らは「どのように違う?」と聞き返しました。
私は、「中国人の方がはるかに下。」と言いました。
その当時は、中国は本当に鄧小平が改革路線を始めたばかりで、ずっと下だったのです。
イタリアの若者は騒ぎ出しました。
「この日本人は人を差別する悪いやつだ。」
この話題は拡散し、私は評判を落としました。
私はとても孤独でした。
そんな時、工場でメカニックの主任だった彼が私に声をかけてくれたのです。
仕事の終わりに、トスカーナ周辺をドライブして回ってくれました。
トスカーナの丘が連なる風景は素敵でした。
丘の上には中世に建てられた城壁で囲まれた町がいまだに残り、人々が暮らしていました。
Visto? Visto?(見たか?見たか?) というのが癖の人で、牧場の牧草を俵状に巻いたものの説明とか、何でも目に入るものを説明してくれました。
彼は、友達とか親戚とかいろいろな人に私のことを日本から来た高貴な人として紹介しました。
極力、男に見えるよう、胸を押しつぶすためのブラをしていました。
私は化粧したことがないので、もちろんすっぴんだったけど、誰もが私を彼の彼女だと思いました。
彼はラリーをする人で、未舗装路ではドリフトするなど荒っぽい運転をして、私を驚かせました。
見てくれだけでなく、性格までが女みたいな私は悲鳴を上げました。
彼と私は、毎日、その地方の名物を食べに行きました。
例えば、山羊の肉を焼き鳥みたいに30㎝もある串焼きにしたものを食べに行きました。
彼の仲間のバーベキユーに連れて行ってくれました。
バーベキューといってもシンプルなもので、牛肉を炭火であぶったものや、目玉焼きを焼いて、ワインを飲むと言ったものです。
このシンプルなのがおいしかったです。
彼の仲間は、この日本のお嬢さんと結婚するのか?と彼に聞きました。
彼は彼女がその気になってくれたら嬉しいのだけど。
と、私のことをはっきり彼女といいました。
その頃には、私も彼のことをイケメンではないけれど、素朴で素敵な人だと意識するようになっていました。
とてもやさしい。
私の孤独感は和らいでいきました。
ある日、彼が私を家に招待してくれました。
その家がびっくりです。
いくつもの丘に連なる広大な葡萄畑と、オリーブ畑が続いています。
家屋のそばに大きなイチジクの木があり、何やら騒がしかったので、見ると鶏がなっていました。
鶏たちは放し飼いで、この木によく上るのだそう。
私が興味深く見ていると、彼は、ほらあの鶏まる一羽が、お前の夕食だからなと優しく私の両肩にポンと手を置きました。
ここでは、巨大な石窯で、鶏とか、豚を焼くのです。
その日の夕食には、家族や、親戚一同が集まっていました。
彼の妹さんはすごく美人さんでした。
フィレンツェの街で大学に行っているとのこと。このために実家に戻っていました。
誰もが、私を彼の彼女だと思っていました。
その日は特別メニューで、彼の庭でとれたカタツムリ千匹くらいをトマトソースに、茄子と一緒に煮込んだものでした。
カタツムリは殻を取って、生きているうちに煮立っているトマトソースに投入されたので、あまりもの熱さに目が引っ込む途中のようでした。
新鮮さの証拠です。
カタツムリは、その日が雨上がりだったので、家族が総出して、庭で獲ったのだとか。
大変なご馳走で、大変な賓客が来た時のみ、親戚一同を呼んで食べるんだそう。
食パンに挟んで食べます。見た目はグロだけどとてもおいしかったです。
私は、日本はここから列車で何時間か?と、おばあさんからマジで聞かれました。
妹さんからは、彼といつ結婚するのかとか聞かれました。
さて、帰り際、彼が20L入りのポリ容器4缶に彼の家で作った白ワインと、同じく20L入りのポリ容器4缶に彼の家で作ったオリーブオイルをお土産に持たしてくれました。
ホテルまで送って、部屋まで運んでくれました。
私は、こんなホテル暮らしで、これだけ大量のワインとオリーブオイルをどうやって消費するのか途方に暮れたけど、彼のやさしさで幸せに充ち溢れました。
これほどの幸福感!
彼が、じゃあまた明日と言って部屋のドアに向かいました。
このまま彼が帰るのは絶対に嫌だ!と私は思いました。
私は、まったく無意識に、Tシャツに、胸を押しつぶしていたブラ、パンツなど自分の着ているものを全部脱ぎ捨てながら彼を追いかけました。
Aspetta! (待って!) と私は言いました。
彼は私の方を向きました。
私は全裸のまま、彼に飛びついて、彼に抱きつき、彼の腰のあたりに両脚を絡めました。
Ti amo! (好き!) と私は言い、彼の口に吸い付くようにキスしました。
彼は最初、私を抱っこしたまま、いったい何なんだといったふうですが、事態が分かったのか舌を絡めて激しいキスをしてくれました。
私たちは、一晩中愛し合ったのは言うまでもありません。

