双極カピパラ父です。
俺は来年のGWにお遍路に行く予定だ。
本当は今年のGWに俺と次女で行く予定だったが、俺はつまらぬことで嫁の実家と揉めて家出した。
だから計画は頓挫した。
このブログではあまり出さないが、俺には大学生の次女がいる。
同じ京都市内に住んでいて、大学の近くに下宿している。
京都は広い。大学はバスを2本乗り継いで1時間ちょっとかかるところにある。
次女は生活費から、学費まで自分で稼いでいる。
そんなにうちは貧乏ではない。貯蓄もあるし、平均以上だ。
俺がそうやって、苦学して大学を出たから同じように体験したいという。
当たり前のことだが、この次女のことがとても可愛い。
俺は、毎日次女の写真を見て泣いている。
胸がずきんとする。
来年のGWは長女も一緒に行くことになった。
よく修羅場になるが、長女も俺に懐いている。
長女はADHDで美大を出たけど、まだ職に就けていない。
家族でお遍路に行って楽しんだらいい。
お遍路 写真はお借りしました。
今年、なぜ次女だけ連れて行こうとしたのか?
俺はお遍路に深いこだわりがあった。
映画で「砂の器」というのがある。
俺はこの映画にハマった。
特に最後に主人公が「宿命」というピアノ協奏曲を演奏するとき、親子のお遍路シーンと音楽が重なる。
巡礼というテーマは、報われなかった俺の両親と俺の生涯のメインテーマである。
俺は暗いな。
映画では、皮膚病の父が男の子を連れて巡礼していた。
お遍路に行くには、男の子が必要だ。
うちの次女は、日頃自分のことを「女わらし」だと妙なことを言っていた。
女子大生だけど目を細めてぼやかして見れば、「男わらし」というか「小僧」に見えた。
これはいい!「男わらし」の代用でいける。
同行するにはうってつけだと思った。
映画では、親子は村の子供に石つぶてを投げつけられた。
巡礼にはこのような試練が絶対に必要だろう。
俺は次女に村の子供たちに石つぶてを投げられる手配をせよと無茶振りした。
どう実現させるかは知らない。
次女の能力に俺は賭けた。
次女は素直に「はい」と返事した。
映画では、善良な村人にコメをめぐんでもらって、洞窟で火を起こして飯を炊くシーンがあった。
その段取りも次女に命じた。
次女は素直に「はい」と返事した。
さて、石つぶてを投げる件は難航を極めたらしい。
次女がネットで石つぶてを投げてくれる子供の募集をかけたところ、「ほほう。これは面白い。いまだに四国のことを江戸時代か何かと勘違いしているのか?馬鹿にするな!」「映画の親子の旅のシーンはお遍路ではない!」といったクレームが殺到した。
これはまだ来年までの課題として残しておこう。
巡礼のクライマックスというか、重要なタスクだ。
石つぶての追体験はストーリーを完結するために絶対要る。
コメをめぐんでもらうのも、コメの価格が高騰している折もあり、危ぶまれた。
次女がニコッと笑えば、どんな悪人であろうとも、たちまち善人になって、めぐんでくれそうな気がするのだが、次女は気乗りしないようだった。
コメは持参して、キャンプで使うガスコンロとコッヘルで飯を炊こうということになった。
火を起こすのはヤバいらしい。
次女は、ご褒美として、要所要所でうまいうどん屋まで調べてくれた。
さて、来年長女が参加したいと言った。
長女は長澤まさみに似ていて、その顔に時折うっすらと狂気を見せる。
その病んだ感じがまた美しい。
その女優よりなまめかしくて、美しいと言っても過言ではない。
お遍路の人々が写真を撮らせてくれと行列するのではないかと今から心配している。
俺はそういうので旅するのではない。
