カピバラ父です。
ご訪問くださりありがとうございます。
双極性障害1型の父です。
ADHDの美大を卒業した無職の娘がいます。
嫁は健常者です。
この嫁には気の毒なことをしたと思っています。
この嫁とは市民合唱団で知り合いました。
私は2年ほどイタリアで仕事をしていました。
クラシック音楽のことは何も知らなかったのですが、現地の駐在員の方がミラノのスカラ座で上演されるモーツアルトの「フィガロの結婚」に誘ってくれました。
これは、音楽の素人の私でも感激しました。
コミカルなイタリア語オペラで、私でも音楽の授業で聞いたことのある曲がちりばめられていました。
その頃の私はオペラの内容が聴きとれるぐらい、イタリア語ができたのです。
幕が下りた後、全観客がスタンディングオーベーションでブラボーという中、私も無意識でブラボーを連呼していました。
指揮はリッカルドムーティでした。
私はすっかりオペラにハマり、スカラ座ではトスカやラ・ボエーム、夏はヴェローナの古代ローマ時代の円形劇場で上演されるアイーダやカルメンなどを観に行きました。
オペラ三昧です。
日本に帰国後は何か音楽をやりたいと思ったのですが、バイオリンなどの器楽は今さらできません。
そこで目を付けたのが自分自身が楽器である合唱でした。
オーケストラとともに、モーツアルトのレクイエム、オルフのカルミナブラーナ、フォーレのレクイエム、ベートーベンの第九などをやりました。
合唱団の中にひときわ目立つ、背の高いスラっとした美女がいました。
こういう美人は自分とは関係がなくて高嶺の花だろうなと思っていました。
関西の合唱団が合同で集まって練習する機会がありましたが、その関西の中でやはり一番の美女でした。
ところで、私は自炊していました。毎日イタリア料理を作って、研究し、自分でウマい!と絶叫していました。
その当時はバジル、セージ、イタリアンパセリ、タイム、ローズマリー、ルッコラなどそこらへんのスーパーに並んでいなかったので、自分でプランターで栽培して、剪定がてら収穫して料理に使っていました。
合唱団の仲間に料理を振舞う機会がありました。
その時、いつも私を無視していた、この美女もやって来たのです。
この美女はクリスマスや、年越しなど毎回やってきました。
サルティンボッカ・アッラ・ロマーニャとかコトレッタ・ディ・ミラネーゼとかスパゲッティ・ポモドーロ・アル・バジリコなどなどを振舞いました。
子牛肉は普通のスーパーやデパ地下では入手不可能なので、三条河原町の明治屋で買いました。
高いワインや、チーズも振舞いました。
私は何もしゃべる必要はなく、勝手にみんなが盛り上がって、この美女もご満悦でした。
さて、私は「僕と結婚したら、毎日おいしいものが食べられるよ」と言いました。
そして、いつの間にか、私たちは結婚していました。
この美女は食べ物につられて私と結婚してくれたのです。
私の記憶では4人ほどの将来有望な男性がこの美女にアプローチをかけていましたが、私の料理が勝ったのです。
今日、この美女は精神障害者を二人も抱え、鬼嫁と化しています。
結婚前に、よく「私だって幸せになりたいと言っていました。」
「すみません。」
大変可哀相だと思っています。
全部私のせいです。