60代カピバラ父です。
私は双極性障害1型を隠して、派遣社員として大手企業で設計業務をしています。
そこを1年と3か月勤めているのですが、クビになりそうで精神的にヤバいです。
下記のリブログを参照ください。
おかげで昨日は会社に行くつもりでしたが、どうしても出勤する気力が出ず、休みました。
今日こそは出勤するぞと、鼻息も荒く起床したのですが、その気合は5分も持ちませんでした。
たちどころに、引きこもりモードになり、会社を休みました。
今日は妙に回顧的な気分です。
記憶ははるか昔の小学校2年生に飛びます。
その当時は1クラス45人もいました。
高度経済成長真っただ中で、今の時代に比べてよっぽどみんな金持ちでしたね。
一目で貧乏人と分かるのは、私ともう一人の女の子でした。
友達の家に遊びに行くと、すごいお屋敷が多かったです。
家の中で鬼ごっこができました。
私の家は、母と私と弟の3人暮らしでした。
ぼろい長屋住まいで、父が借金を作って、私が小学校に上がる前に行方不明になりました。
母は新聞配達と工場のパートをしていましたが、不足分を生活保護で補っていました。
母はその頃から精神的な調子が悪く(のちに統合失調症と診断)、部屋は散らかしっぱなしでした。
服を買わなかったし、洗濯もしなかったし、子どもに風呂に入れとも言わなかったし、散髪もめったにさせなかった。
勉強しろとも一切言わなかった。
政治に力を入れる宗教を狂信的にやっていました。
母は私をその宗教の寺で小僧さんにしたかった。
私は、寺の坊主になりたくなかった。
頭を剃るのが嫌だった。
しかし、寺の小僧さんになるには成績が学校でも1,2番でないとダメだとわかりました。
母はひどく落胆しましたが、私は精神的苦痛から解放され、喜びました。
小学校での私は、どうしようもない底辺の子でした。
そのような家庭教育しか受けてないから仕方がないですね。
私は、服はボロボロだし、汚いし、垢だらけで臭いし、髪の毛はぼさぼさペタペタでした。
なんと掛け算の九九は小学校の4年生になっても言えなかったのです。いまだに苦手です。
母が、担任と面談した時、「息子さんと大平君(お屋敷の子)では月とすっぽん、雲泥の差がありますね。同じ小学校2年とは思えない。」と言われたらしい。
さすがの母親も泣いたそうです。
さて、そんな小学校での、私の中でのワーストイベントは「拾われなかったワンコ」事件です。
2年生の時、即興の寸劇で5~6匹のワンコと少女が出会い、拾ってあげるというのがあったのです。
私も含めて5~6人の男の子がワンコになり、四つん這いになり女の子にワンワン泣きながら拾って、拾ってと近寄るのです。
女の子は「あら~この子も可愛いわね!」「この子も可愛い!」と一匹ずつ拾い、最後に私だけが残りました。
女の子は真剣に首を横に振り、このイヌだけは嫌と言いました。
私がワンワンとにじり寄ると女の子が後ろに引き始め、担任の先生が「STOP!」と言って割り込みました。
この件はずっとトラウマとして残っています。
生活保護の負の連鎖はよく聞きます。
それは、本人のやる気次第で断ち切れると思います。
そこにメンタルの問題がしつこく絡んでいて、解決しないのでしょう。
勉強の問題は、私も弟もいつしか興味が出て、自発的に勉強するようになり、塾にもいかずに自力で解決し、国立大に入りました。
私はメンタルが病んでいましたが、何とか就職し、今日に至っています。
精神病は遺伝するようで
母が統合失調症
→私が非定型精神病(双極性障害と統合失調症の合いの子)、のちに双極性障害1型に診断名が変わる
→娘がADHDと姿かたちを変えて連鎖しました。
弟にはメンタルの問題はなく、証券会社を経て、立派に保険代理店を経営しています。