60代カピバラ父です。

 

こんな爺のブログを訪れてくださりありがとうございます。

私は双極性障害1型です。

 

20代の美大を卒業したADHDの娘がいます。

絵で食べていけるのはほんの一握りの人だけです。

 

ADHDの症状がきついこともあり、娘はまだ無職です。

美大では絵とか、美術論などしか習ってないので、一般の会社に入るにはそれなりのスキルが必要です。

それで、職業訓練を受け、簿記とか、エクセルとかを習っています。

 

たぶん遺伝と思いますが、姿かたちを変えて娘に精神障害が遺伝したと思います。

病気の分類は違いますが、症状はよく似ています。

娘は私の完全なコピーです。運動神経が悪いところとか、吉本に行った方がいいくらい天然で珍妙なところもすべてです。

 

ちがうのは、私は双極性障害1型の特徴で、よく神のように万能感が強くなり、自己アピールをするのに対し、娘は真逆で自己肯定感がありません。

 

頭の方は二人とも悪くないです。

私は、まあまあの国立大学の工学部を出ましたし、娘は美大だから当たり前だけど、絵を描くのが上手です。

大体成績は良かったし、文章を書く能力は抜群です。

 

さて、この娘が4歳の時、私は自転車の乗り方を教えました。

その当時の私には、娘が自転車に乗れることが人生の難問題諸問題に立ち向かうための一大事であり、特急事項に思えたのです。

説明して見ろと言われれば、特にこれといった根拠はないのですが、そう感じました。

そのへんの思い込みが激しいのも双極性障害1型ぽいところですね。

 

双極性障害1型父とADHD娘の自転車の乗り方の秘密の特訓は、他人には窺い知れない激しい真剣勝負になります。

 

私が小さい頃、「巨人の星」という野球根性アニメがありました。

娘と私は主人公の「飛馬」と卓袱台をしょっちゅうひっくり返す「父ちゃん」みたいな珍妙な関係になりました。

 

娘はセンスがまったくなく、何度も癇癪を起こし、自転車を投げて放棄しようとしました。

せっかく買い与えた新品の自転車が台無しです。

 

私は娘がADHDだということを完璧に忘れて、真剣に腹が立って来ました。

ちょっと軽く娘の顔をビンタしたつもりが、手元が狂い鼻にあたりました。

娘は派手に鼻血を流し、泣きわめきました。

通りすがりの人が見て行きます。

とても恥ずかしかったです。

 

娘は何故かよく鼻血を流します。

私は娘が、実は私に恥をかかせて困らせる為に、故意に私の手のひらに鼻を当てに行っているのではないかとよく訝ったものです。

私はその大袈裟さに完璧に腹を立てました。

 

毎週、毎週、特訓は繰り返されました。

特訓の甲斐があり私がハンドルの真ん中を持つと娘は乗れるようになりました。

離すと、怖い怖いと言って大袈裟に泣きました。

でも、私が持っているふりをして実は離していることを示すと娘はにっこり笑ったのです。

 

私は嬉しくて仕方がありませんでした。

 

当時、私はフルマラソンに出場するくらい体力があり、自転車に乗れるようになった娘と、桂川の河川敷を嵐山から石清水八幡宮まで走ったのです。

私は嬉しくてスキップして、何やら動物のように絶叫しながら走りました。

30Km くらい走ったと思います。

石清水八幡宮に着いた頃にはあたりは薄暗くなっていました。

しまった!と思いました。

引き返すには父娘とも疲れ切っています。

幸い京阪電車の石清水八幡宮駅がありましたので、自転車をそのあたりの自転車置き場において電車で帰りました。

カネを持ってきてよかったです。

電車の中で二人とも肩を寄せ合って眠りました。

 

翌日朝早く、私は電車に乗り、自転車を回収に行きました。

大人が乗るには小さい自転車なので、ずっと私は立ちこぎで河川敷を引き返して帰りました。

 

双極性障害1型は病的にやりすぎるのがダメなところです。

 

ママ友とか、周囲から批判が殺到しました。

 

やはり娘には気の毒なことをしたと今でも思っています。

無茶苦茶なオヤジです。

 

まともな父親なら、もっと優しいですよね。