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ポコペン映画館

極々私的偏見きまぐれ映画感想


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アルモドバルの新作。

期待に違わずとてもいい出来栄え。素晴しい。


「愛の喪失と再生」・・・字面にするとなんとも陳腐だね。

でも、そういう映画。


「中年のオヤジふたりが若い女を取り合うハナシ」・・・って言っちゃうと

ミもフタもないけど、でも、そういうハナシ。




盲目のオヤジが「道を渡らせてくれたから誘った」っていう若い女を

家に連れ込んで、いきなりヤっちゃう。

このオープニングからいきなりアルモドバルの世界に放り込まれる。


いつもながら“リアリティー”はどこかに吹っ飛んじゃう。

しかし《アルモドバルの世界》だから、これでいいと思う。

違和感もない。


いつもの《アルモドバル的世界》ではあるんだけど

でもどこかちょっと違うテイスト。

なんでだろう・・・・構成でもないし・・・・

ハナシはどんどん深くなっていく。

いくんだけど、アルモドバルは、あえて全部を描ききって

ないんじゃなかろうか。そう感じた。


隠してるわけではなく、かといって省略してる訳でもないんだけど

言い切っていないセリフとか、描ききってないシークエンスが時々ある。

こちら(観客)を突き放してるんじゃないんだろうけど

こっちで考えなきゃいけない部分が、今までの作品にはないくらい

多くあるように感じた。

それが、逆に作品にある種の“深み”を加えてるように思う。

そうだとしたら、アルモドバルの技術はすごく高いところに

行っちゃったんだろうな。スゴイね。




『オール・アバウト・マイ・マザー』以降のアルモドバルは《過去》を

きちんと設定するようになるけど、本作はそれがより一層際立っている

・・・というか《過去》がとても大事な要素になっている。


「なぜそうなったのか?」「何があったのか?」という事が

ハナシの核になっている。

この構成も、いままでとはちょっと違う。

手法としての目新しさはないけど、アルモドバルがやると

ひと味違ってるからスゴイ。



そして、この映画のラスト。ある意味“後説”と言ってもいいかも。

「なぜそうなったのか?」「何があったのか?」が分かった後

主人公の盲目のマテオやビジネスパートナーのジュディット、

その息子のディエゴの行動がいい。グッときた。

押し付けがましくクドクドやらないで、サラッとやってしまうから

尚更だ。泣けたし、希望も垣間見えた。

素晴しいエンディングだった。


それからペネロペ・クルス、すごくいい。

『ボルベール』から更によくなっている。


時にソフィア・ローレンのように、時にヘップバーンのように見える。

でも、やっぱりペネロペ・クルスなんだ。それがすごくいい。

どんどんいい女優さんになっていく。

次回作が楽しみ。



こういう映画には1800円出しても文句なし。

できればもう一回劇場で観たい。

たぶんDVDも買うと思う。

何度でも観たい映画。

何度でも観れる映画。







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監督・脚本:オリヴィエ・アサイラス



この監督さん、『イルマ・ヴェップ』の監督さんだったね。

(そういえば最近マギー・チャンあんまり見ない。ちょっと残念)

『パリ、ジュテーム』にも参加してたかな。



「オルセー美術館開館20周年記念作品」「オルセー美術館全面協力」

との謳い文句は・・・・まぁご愛嬌ってことで、ひとつよしなに。



家や家具(美術館級の美術品も多数)を守りたい長男、自分の家族を優先させたい

次男、アメリカでバリバリやってる長女・・・・とくれば、この三者と亡き両親との

思い出(=家や家具)との葛藤、ってのが定番。

しかもバリバリやってる長女がビノシュ姐さんとくれば、その構造は間違いないところ。

この映画もそういう構造で始まる。



『田舎の日曜日』は、生前の父(画家)と、はねっ返りの娘をじっくりゆっくりしみじみと

描いたとてもいい映画だったけど、この映画もそういうとこを狙ったのかもしれないけど

及びもつかない。

ストーリーがまとまっていないからか、こっちに伝わってくるものがあんまりなかった。

ひとつひとつのエピソードがヘンな終わり方で、宙に浮いたままって言うか、

“ほったらかし”って言ってもいいくらい繋がってこないし、効いてもこない。

もったいないなぁ、って思った。



全体を覆う空気感はとても心地いい。

通低音のように流れる家族の絆(それほど大袈裟じゃないけど)のようなものも

決して悪くない。

なのに、シークエンスごとにぶつ切りにされるようなプロットは、ちょっと問題ありじゃないかな。



確かに大上段に構える必要はないテーマだと思うけど、だからこそじんわりと

染み込んでくるような情感が描けたと思うんだけどなぁ・・・・・。



画はとても素敵だし、間もとても心地いいだけに、なんだかもったいない。

オルセー美術館の使い方は(意味としては)あんなもんだと思うけど

どうせ使うなら、もっと大仰に使ってもいいんじゃないかな。

勿論下品にならないように品よく、だけど。



ラストも「いつの時代も同じだよ」ってことを言いたいんだと思うけど・・・

でも、もっと違う描き方があるんじゃないかな。

あまりにも《記号的》過ぎるように感じた。

ビノシュ姐さんも、なんだか中途半端なキャラだし。

(最後は出てこないし)



なにもかも「もったいないなぁ」って思わせる映画でした。





久しぶりの更新。

また頑張ります。



さて、『イングロリアス・バスターズ』。



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ご存知タラちゃんの新作。

劇場に足運ぼうかどうか、結構迷った。

ハズすとヒドいことになるのが目に見えてるからね。


「まぁ、あまり期待せずに・・・」と言い聞かせて劇場へ。

観終わってしばらく考え込んじゃった。


「ムツかしい映画だなぁ・・・・」


ストーリーはムツかしくはない。

展開も読めるし。

じゃあ何が「ムツかしい」のか・・・。

どう判断すりゃいいんだかよくわかんないんだよね。


この映画、たぶんプロット段階ではとてもおもしろい映画になる

要素をたっぷり持ってると思う。


ハナシはドンドン転がるし、キャラも立ってるし、胡散臭いメッセージはないし。

プロットだとエンターティメント映画として成り立ってるんじゃなかろうか。


・・・・・ただなぁ・・・・映画になると“間”とか“テンポ”って結構重要だったりするけど

タラちゃん、それ無視だもんなぁ。

セリフもいつもながらの、ムダにダラダラダラダラ・・・・・・。

観ててイライラするとこいっぱいあった。


ユダヤハンターのランダ大佐(クリストフ・ヴァルツがいい味出してる)

がイジってて楽しいのはとても分かるんだけど、クドいよ。

喋らせ過ぎ。

これだけキャラ立ってるんだから、もっとセリフが少ないほうが

よりキャラを際立たせるのに効果的だったように感じた。


それからブラピ・・・・・なんであんな演技プランでいっちゃったかなぁ。


マーロン・ブランドの位置づけとか捉え方、ってアメリカではどうなんだろう。

ブランドの何とかっていう演技法が、今でも受け継がれてて

学生なんかが学んでる、ってのは聞いたことあるけど

今回ブラピがやったのは、それじゃないでしょ。

タチの悪いモノマネ・・・いや、単なる悪ふざけにしか取れなかったなぁ。


そんなことしなくても、もっとノーマルな演技プランで充分だったように

思うけどなぁ。

タラちゃんのアイディアなのかどうなのか知らないけど、映画的には

邪魔で邪魔で仕方なかった。


などなど、いつもながらタラちゃんの映画は突っ込みどころ満載。

プロットは映画として成立してるけど、出来上がった映画はイマイチ・・・・。

タラちゃん的要素を全部はずすと、おもしろい映画になるんだろうけど

それじゃ誰の映画だ、ってことになっちゃうし。


タラちゃんが好きか嫌いか、って問題じゃなく、この映画をどう評価していいものやら。

ディテールはそれほど楽しめなかった。

でもストーリーは楽しめた。

不出来な映画とは言えない。

でもいい映画とも言えない。


『Kill Bill』みたいに思いっきりヒドい目に合わされれば、それはそれで

ボロクソに言えるんだけど、そこまでじゃないし。


・・・・・・・・う~ん、やっかいな映画だ。

manhattan 1979年 96min




ポコペン映画館-manhattan



監督・脚本:ウッディ・アレン

音楽:ジョージ・ガーシュイン

出演:ウッディ・アレン

   ダイアン・キートン

   メリル・ストリープ

   マリエル・ヘミングウェイ







いつも通り情緒不安定のアレン扮するアイザックは42歳の売れっ子放送作家。

だが、小説家への転向を考えている。

離婚した妻は、女性に走り、しかもアイザックとの結婚生活を赤裸々に

本にしようとしている。

そんなアイザックは17歳の女子高生(ヘミングィエイ)と付き合っている。

どちらかと言えば、彼女のほうが積極的だ。

アイザックは、深入りを恐れている。

そんな時、アイザックの友人の不倫相手・メリー(キートン)と仲良くなる。

女子高生より同世代のメリーを選ぼうとするのだが、

メリーは不倫相手が忘れられず・・・・・・・・。





散々言われてることだけど、オープニングのアレンのモノローグ、

モノクロのニューヨーク、ガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』は

何度見ても素敵だ。ため息が出るほど。

時々このオープニングだけ観ることもある。


この映画、中年オヤジのファンタジー、って受け止めれば

スムーズに入ってくるかな。



42歳と17歳なんて、現実じゃめったにないしね。

傍目には援交にしか見えないだろうし。

ただ、マリエル・ヘミングウェイ演じるトレイシーは一生懸命背伸びしてる部分と

若さを隠そうともしない、そのアンバラスさを見事に演じてる。素晴しい。



ダイアン・キートンはいつも通り素晴しい。うまいね。



メリル・ストリープはこういう嫌な女が似合う。

そうじゃない設定の役が多いけど。



ウッディ・アレンの映画は、好き嫌いがはっきり分かれる映画だと思う。

あの固有名詞をいっぱい使った、ちょっとシニカルなセリフのせいだと思う。

個人的には、あれがいいんだけどね。



アレンの映画は『魅惑のアフロディーテ』以降はあまり好きではない。

なんだかただのラブコメ映画みたいで。



『ギター弾きの恋』を最後に、以降の作品は観てない。

70年代~80年代までが一番いいかな。



この映画、オープニングから結構ベタなニューヨークを押し出してくる。

馬車に乗ってデートとか、(恐らく)MOMAでデートとか、トレイシーとアイザックが

デートで観た映画はイナガキだったり。

「ベルイマンは神だ」なんて、いまどき分かんないかもね。

TUTAYAには時々あるけど、そこらへんの街場のレンタルショップには

ベルイマンなんてもう置いてないし。



そうそう、ベルイマンとかヌーベルバーグ、タルコフスキー・・・・

挙げていけばキリがないけど、古い映画を置いてない店って結構多い。



アレンの映画だって、90年代以降のものしかないし。

TUTAYAが近くにないとこに引っ越したワタシが悪いんだけど

でも、なんとかなんないかなぁ。

 (TUTAYAは探しにくいから好きではないけど、物量は文句ないからね。

  あれば行っちゃうかな。結構古い映画はDVDになってからは

  ないのがあるけど)

回転率や利益率を考えると、そういうのは置かなくなっちゃうのは

判るんだけどねぇ・・・・。



脇道に逸れました。すいません。



この映画、映像も音楽も素晴しく、人物造形も巧みで、構成もセリフも素晴しい。

ラヴロマンスでありながらファンタジー。

文句なくいい映画です。

ラストのアレンの笑顔はとてもチャーミングです。






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12   2007年   ロシア   160min




監督:ニキータ・ミハルコフ

出演:セルゲイ・マコヴェツキー

  ニキータ・ミハルコフ

  セルゲイ・ガルマッシュ





シドニー・ルメットの傑作『十二人の怒れる男』のロシア版リメイク。



オリジナル同様、一見単純な殺人事件を陪審員が評決にはいると

有罪11名、無罪1名となり、会話劇が続く・・・・・。



う~ん・・・・・・・・中高年のオヤジたちの『しゃべり場』?

とにかく本人たちの身の上話しが多い。

本筋とかなり離れたところから喋りだすから

本筋に戻ってきても「だからそれがなに?」ってなってしまうものが結構ある。



と言うことは、カットすべき部分ということ。ムダ。

だからこの映画、やたら長い。160分。



オリジナルは100分足らず。

この尺の違いだけでも、オリジナルがいかにムダをカットして

研ぎ澄ましてるかがわかる。



それから、演者が急にハイテンションになって

ちょっとついて行けないところがある。

緊迫した場面の演出に、演劇ばりのハイテンションを

それも脈絡なく持ち込まれてもねぇ。

感情移入できないよ。



チェチェンの少年がロシア人将校の養父を殺した事件の裁判だから

チェチェン問題や、今のロシアが抱える問題なんかが

もっと織り込まれてるのかと思った。

予告編だと、そういう印象を持つようになってたし。



一応そういう作りにはなってるんだけど、決して掘り下げてない。

悪い言い方をすれば、世界中の誰もが知ってる程度の内容。

「んなこたぁニュース見れば分かるよ」ってレベルでしかない。



ただ、この映画、残り30分から「!」と思わせる。

オリジナルとは違う“ひと工夫”がしてある。

そこにはキチンと“問題提議”もあり、今のロシアが抱える問題のようだが

ある意味普遍的問題でもある、という、なかなか深いテーマを投げかける。



「お、ここからか」と思って観てると、あっさり片付けてしまう。



肩透かし。

こりゃないよ。一番肝心のテーマをこんなにぞんざいに扱うなんて。



しかも、有罪だった人たちが無罪に主張を変える理由を

それまで結構あやふやにしてきたのに

ラスト付近でいきなりいくつか事例をあげて、辻褄を合わせる

なんていう暴挙(?)に出る。



だったら「それまでのジジイたちのしゃべり場をカットしろよ」って思っちゃった。



この映画、別に『十二人の怒れる男』のフォーマットを使わなくても

良かったんじゃないかなぁ。

・・・・・こんなこと言っちゃうとミもフタもないけど。



もっと別の形でやったほうがスムースになってたように感じる。

ムリヤリ『十二人の~』のフォーマットに押し込めたみたいな

違和感と無理繰り感を感じる。



ラストのアイディアが良いだけに、前半のムダなお喋りが

余計邪魔に感じる。



悪い映画じゃないけど、“ちょっと物足りない”感を

味あわせてくれる映画でした。