安倍辞任
首相が辞任したようですねぇーー
はっきり言って総理にはカリスマ性がありませんでした。前代の小泉氏にはあっただけにそれが際立っていました。国民もそれにはとうに気付いていたことでしょう。
それではなぜ彼にそれがなかったか、またはないように見えたか。
私が思うに、トップ、とりわけ国のトップに立つ人なのであれば、自分というものを持っているべきなのですが、彼にはそれが稀薄でした。
『美しい国へ』には彼の主張がこと細かに記述されていますが、どれもどこかで聞いたことのあるような、そして、抽象的に描写されています。
別にそれがいけないというわけではありません。本というのは“見栄え”ですから、一見“美しく”見えるこの表現方法は読者の関心を集めます。
所詮人間というのは、自分がかつて触れたものに近いもの、本質的に見えるものに群がるものですから。
少し話がそれましたが、このように、主張の礎がしっかりとしていない人にカリスマ性がないのは当たり前で、加えて、「私が尊敬するのは岸信介だ」とする彼オリジナル性のなさは、首相であるどころか、指揮をとる人間として魅力に欠けます。いや、失格でしょう。
「自分には求心力がなかった」と弁明したそうですが、気付くのが遅すぎでした。いや、気付いていたのかもしれません。きっと、良家であるというプライド、自分には潜在性があるに違いないという思い込みがそれを阻んだのでしょう。
次代首相には、しっかりとした自己を持っている人を望みます。
はっきり言って総理にはカリスマ性がありませんでした。前代の小泉氏にはあっただけにそれが際立っていました。国民もそれにはとうに気付いていたことでしょう。
それではなぜ彼にそれがなかったか、またはないように見えたか。
私が思うに、トップ、とりわけ国のトップに立つ人なのであれば、自分というものを持っているべきなのですが、彼にはそれが稀薄でした。
『美しい国へ』には彼の主張がこと細かに記述されていますが、どれもどこかで聞いたことのあるような、そして、抽象的に描写されています。
別にそれがいけないというわけではありません。本というのは“見栄え”ですから、一見“美しく”見えるこの表現方法は読者の関心を集めます。
所詮人間というのは、自分がかつて触れたものに近いもの、本質的に見えるものに群がるものですから。
少し話がそれましたが、このように、主張の礎がしっかりとしていない人にカリスマ性がないのは当たり前で、加えて、「私が尊敬するのは岸信介だ」とする彼オリジナル性のなさは、首相であるどころか、指揮をとる人間として魅力に欠けます。いや、失格でしょう。
「自分には求心力がなかった」と弁明したそうですが、気付くのが遅すぎでした。いや、気付いていたのかもしれません。きっと、良家であるというプライド、自分には潜在性があるに違いないという思い込みがそれを阻んだのでしょう。
次代首相には、しっかりとした自己を持っている人を望みます。