相撲及び野球について | メイリさんのブログ

相撲及び野球について

この2競技は今日、日本の国技のように認識されていますね。人気もあります。

外国人力士や外国人プロ野球選手、特にアジア出身の選手が目立つようになりました。

そういう現状と相反するように、相撲界では「一つの相撲部屋に外国人力士一人」という決まりや、プロ野球には「1軍登録に外人は四人まで(一部略)」という規則があります。

さて、この制度をどう思いますか?

このルールをとっ払えば、確かに活性化はされますねぇ。スポーツとしては楽しいかもしれません。

しかし、相撲はスポーツというよりは、神聖な儀式という意味合いのほうを強く持つべきものだと私は思います。

そもそも、相撲とは豊穣を祈願して神前にて力を捧げる儀式を端に発するものなので、スポーツではないのです。大阪の府長(メス)が以前、土俵に上がれない(大相撲春(大阪)場所では大阪府長が知事賞を渡すことになっている)ことで問題になっていましたけど、ちゃんちゃらおかしな話で、上げてもらえなくて当然です。土俵は神聖な場所なのだからだ!法律とか無視に決まってるだろうが。このバカチンが。

野球についてですが、まず、前提として言っておきたいことは、日本のプロ野球がメジャーの下部リーグのようになると予想なさる方がいらっしゃいますが、それはないと思います。

第一に、リーグには大まかではあるもの、違いが見て取れます。簡潔に言えば、アメリカは、人種のサラダボウルと言われているくらいですから、選手の個人プレーが光ります。一方、日本のプロ野球では、チームプレーが重んじられ、チームに献身する選手が評価の対象になることが多いと思います。それに、向こうでは投球や打撃のフォームはバラバラですが、日本は比較的整っています。

これは、アメリカが多文化主義、日本が単一文化だというのが根底にあるのはもちろん、日本ではリトルリーグやシニアリーグ、中学校で変な癖のある選手は矯正を強いられるのが理由としてあげられます。

第二に、上記の説明と重複しますが、両リーグでは特色が大きく違うということです。米は個人プレー、日はチームプレーという違いです。この違いは、いくらMLBとNPBとの間の障壁が低くなっても変わらないと思います。観客の文化に対するとらえ方はそう変わるものじゃないからです。

NPBが外国人枠を設定するのは、“ベースボール”ではなく、“野球”を維持するためだと考えてよいでしょう。日本的な“野球”を残すためです。

結局両者に共通することは、伝統の維持のためでしょうね。革新よりも伝統の方が重いのですよ。ただ、過去をいつまでも引きずるのは“守り”になりますから、注意が必要です。この“守り”というのは無意識なんだよね。それに、年寄りが多い。(この“守り”の意識についてはいずれ書きたい話題である)


さて、今日は代ゼミ模試と参議院選挙の日でした。選挙については明日書きたいと思います。

模試についてだけどね。書いてもよいのだけどね。惨めになるだけだから書きたくないです。リス死んだし。英語は新傾向になってからさっぱりだし。それに、できがよかった科目ベスト3が、数学ⅠA、数学ⅡB、生物だからね。泣きたくなるよ。ホント高一の時に適当に進路決めて後悔してるよ。

最後に、「がんしゃ」とはねぇ、 ぶっかけ のことですよ。グフフ。うどんじゃねーぞ。ちなみに和製英語でもあったりします。漢字で書くと顔射ですな。グフフ。昨日のコメント欄に質問があったので一応書いておきましたよ。が→げ ってだけなんですけどね。

ドピュッ