夏目漱石の『坊っちゃん』

赤シャツと野だいこの会話に出てくる ”ターナー”

おそらく、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーのことだろう

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner、1775年4月23日 - 1851年12月19日)は18世紀末~19世紀のイギリスのロマン主義の画家である。イギリスを代表する国民的画家であるとともに、西洋絵画史における最初の本格的な風景画家の1人である。
ウィキペディアより


その夏目漱石の『坊っちゃん』のくだり…
「あの松を見たまえ、幹が真直(まっすぐ)で、上が傘(かさ)のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙(だま)っていた。


多分、こんな木だったのかな…?
たまねぎの劇場に行こう
『金枝』

夏目漱石の『坊っちゃん』の続き…
舟は島を右に見てぐるりと廻(まわ)った。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平(たいら)だ。赤シャツのお陰(かげ)ではなはだ愉快(ゆかい)だ。出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議(ほつぎ)をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々(われわれ)はこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑(めいわく)だ。おれには青嶋でたくさんだ。

それから、ターナー島

『坊っちゃん』の小説から名づけられた島がある

正式名称は「四十島」といい、四国本土と興居島(ごごしま)の間に位置する島。
3つの岩が連なった、周囲135mの小さな島。
四十島(しじゅうしま)は瀬戸内海、松山市の高浜港の南約700m、黒岩と呼ばれる四国本島の岬から目と鼻の先、興居島の黒崎から四十島瀬戸と呼ばれる海峡を挟んだ位置にある、面積約0.0002km²(2006年の愛媛県の資料では1199平米)の小島。無人島。別名ターナー島(-とう)。北緯33度42分 東経132度41分(世界測地系参考値)。地番は、松山市高浜町一丁目乙115番地。 全体が花崗閃緑岩の3つの岩礁からなる島しょ群で、松(下記)以外に植生はほとんどなく、岩肌が露出している。 周辺海域は南北方向の海流が急。
ウィキペディア他より

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再び、夏目漱石の『坊ちゃん』の続き…
あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。

次に、野だいこが言った ラフファエルのマドンナ なんだけど

多分、ラフファエルは、ラファエロ・サンティのことじゃないかなって思う

ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi, 1483年4月6日 - 1520年4月6日)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家。ラッファエッロ・サンツィオ・ダ・ウルビーノ(Raffaello Sanzio da Urbino)との表記もあり、英語名でラファエル(Raphael)と書かれることもある。

ミケランジェロが偉大な改革者であるのに対し、ラファエロはそれまでの芸術手法を統合、洗練し、優雅な様式を確立した、総合芸術の天才であると言える。調和された世界を最良とするルネサンス芸術を完成させた存在として、その資質は死後も賞賛され、模倣された。 彼はその繊細な美しい描写で聖母を描いたことから、「聖母の画家」とも呼ばれた。
ウィキペディアより


ラファエロのマドンナ
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このマドンナって言うのは、聖母マリアのことね


赤シャツと野だいこの会話は

こういうイメージだったんじゃないかなって思う

結局は、坊ちゃんが知らないであろうことの羅列みたいなものなのかな?