草いきれ | 葉音ののんびりブログ

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草いきれ(晩夏)
烈々たる夏日に照らされた草の茂みから立ちのぼる、むっとするような熱気をいう。古歌には用いられていないようであるし、俳諧でも江戸時代の歳時記には挙げられていない。しかし例句はいくつかある。例えば<草いきれ人死に居ると札の立つ   蕪村>など真夏の生命力を示す季語であるので、近代俳句、現代俳句でよく使われるようになっている。[有馬朗人]
カラー版新日本大歳時記愛蔵版(講談社)より引用
例句
草いきれ人死に居ると札の立つ\与謝蕪村
江戸時代の庶民の墓は、墓石のない墓も多かった。木札とは、塔婆のことだろうか。
墓の周りには、夏草がみっしりと茂って、熱気が立ち上っている。人の死と草いきれの生命力との対比が活きている句であると思う。

身もあらず鶏の砂あぶ草いきれ\富田木歩
「身もあらず」とは、自分のことなんか考えていられない、普通ではいられないという意味らしい。この句には2つの意味があると思う。
どうしようもない暑さと草いきれの中で、鶏が砂を浴びている。作者はそれを眺めている。
もう1つ、鶏の砂を浴びているのは、作者自身であるという捉え方もできると思う。むせるような暑さと草いきれの中で、鶏の砂を浴びても、自分をどうすることもできないイライラ感が「身もあらず」という言葉の中に感じられ、私は、後者の意味で捉えたいと思う。

うつし身や坐して聖地の草いきれ\宇咲冬男
聖地とは何処だろう。インド?エルサレム?
宇咲は、海外で多くの俳句を詠んだらしい。
聖地のうだるような暑さが感じられる。「うつし身や」で聖地で感じた「生かされている」という実感を詠んだのであろうか。

また一つ魚の墓や草いきれ\葉音