成人の日の華やぎにゐて孤り   楠本憲吉 | 葉音ののんびりブログ

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成人を迎えた皆様、ご家族の皆様、おめでとうございます。

 

この句は、私の成人式の苦い思い出と繋がる。

私が成人を迎えたころは、高度成長期から安定期に入り成人を迎える若者たちの姿が、だんだん華やかになっていく時期だった。当時の我が家はあまり裕福ではなかったので、初めから振袖などは当てにしていなかったが、母方の伯母(母の兄嫁)が祖母の使いでやって来て、着物を誂えてくれた。いつまでも長く着られるようにと、振袖ではなく小振袖だった。

成人式の朝、近所の美容院で髪を整えて、母に着物を着せてもらって、父の車で会場である地元の中学校の体育館に向かった。

その中学校は、私の出身校ではない。私は、中学卒業後、父の仕事の都合で転居したのだ。だから、そこに私の同窓生は一人もいなかった。その中学校の卒業生で4人、高校での同級生がいたが、二人は大学の試験が近いという理由で、成人式当日は地元に戻ってこなかった。

ようやく見つけた残りの二人も、かなり東京ナイズされたきらびやかな振袖姿で、中学校の同級生と話に興じていたので、あまり話をすることはできなかった。

 

周りの華やぎの中で、私は、ひどく孤独だった。

結局、式典に参加しないまま、体育館を出て家路についた。父に迎えを頼むこともできず、バスの待合所で、1時間近くバスを待った。家に帰ってからも、式に参加しなかったとは、言えなかった。

 

一時期、ホールや会館などで出身中学にはとらわれずに行われるようになった成人式も、「荒れる成人式」への対策として、また出身中学ごとに行われるようになった。

我が家の子供たちの頃からは、中学卒業の時点で「成人式の実行委員」を決めるようになったそうだ。自分の経験から、そのようなやり方には賛成できないと思ったが、今の子たちは携帯電話のおかげで、いつまでも小・中時代の友達と繋がっている。希望すれば、現住所が異なっていても、出身中学がある地域で、成人式に参加することも可能らしい。

 

あの頃の私のように、いじけた感情を抱く若者が、いなければ良いのだが・・・・