初便り皆生きてゐてくれしかな  石塚友二 追記在り | 葉音ののんびりブログ

葉音ののんびりブログ

平凡な毎日をのんびり更新・・・

1/10追記

下記の鑑賞文は、初便りを年賀状として書いてあります。

しかしながら、後で歳時記をよく読んだところ

年賀状は通常、初便りとはいわない。<出典 新年俳句歳時記(角川学芸出版編)角川ソフィア文庫>

とありました。大変、失礼いたしました。

 

NHK俳句テキスト1月号巻頭名句に掲載されています。

 

大石悦子さんの鑑賞によると(同誌P36掲載)

この初便りは実は、日本が戦争に負けた後の最初の正月のもの。

戦地から復員した人や、疎開先から帰ってきた人など、消息のわからなかった人たちから届く初便りに、よくぞ生きていてくれたものだと、手を取り肩を抱きたい思いに駆られているのだ。

 

ということだそうです。

そう思って読むと、一層身につまされますね。

 

私たち夫婦も還暦を過ぎた。本人たちは「まだまだ若い」と思っているのだが、体は正直である。

思うように体が動かない。毎日の薬が欠かせない。時に救急車で運ばれる。

なんてことを繰り返している。

一時期は、

「年賀状なんて、もういいんじゃないの?今は、メールの時代だし」

などと言っていたのだが、今は、年賀状が届くのを結構楽しみにしている。

 

いつも、元日には必ず年賀状が届いていた方の年賀状が届かない。

夏に会ったとき、「もうだめだな」なんて気の弱いことを言っていたけど、大丈夫なんだろうか?

と心配していたら、3日に届いてほっとした。

 

「この字、ちょっと震えてないか?大丈夫かな?」

賀状の筆跡を見て心配になったらしい夫は、

「今度、行ってみるかな・・・」

と、つぶやいている。

 

もう古希をとうに過ぎているはずの中学時代の恩師は、自称「遊び人」として毎年元気を送ってくれる。

 

自由気ままに会うことは難しいが、賀状を通して互いの無事を確認し、さらに互いの健康安全を祈願する。

平和な時代であるはずの現代であっても、初便りは、互いの無事を確認する大切な絆の一つであり、初便りを見て「生きてゐてくれしかな」と安堵のため息をつくのである。