ご訪問いただき、ありがとうございます。
過去の記事を書いています。
今まで言えなかったこと。
心にフタをかけていて言えなかったこと。
最近、ポロポロと思い出しながら書いています。
時系列がバラバラですがよろしくお願いいたします。
舅は、なくなりました。
姑は、元気です。
先日、記事にも書き皆さまから暖かいお言葉をいただいた、認知症になりその後、すい臓ガンになり特別養護老人ホームで旅立った、実母の納骨式が無事に終わりました。
なかなかお家からだすことができなかったのですが、母もこれでゆっくり休めることと思います。
私
納骨式が終わり、日にちが経ち寂しさが募ってきています。
ぽこたは、お坊様のお経を聞きながら泣いていました。
「ばぁば、ありがとう」と、ぽこたなりの気持ちの現れだったのでしょうか。
実母の最期に聞けた言葉はぽこたに手を伸ばし
「かわいいねぇ」でした。
お母さん、ぽこたにありがとうございます。
49日法用のときは帰宅したとき
「あ、お母さん行っちゃた😢」
と感じました。
納骨式のときは、もういないのは分かっていてもお骨という目に見えるものがなくなり、寂しさがでました。
ただ私たち家族は手元供養として全員、メモリアルペンダントを持っています。
そして私は更に手元供養としてそっと自室に置いてあり、遠くに行くときは連れて行きます。
「お母さん、連れて行ってあげると喜びますよ」
と、認知症がひどくなり老々介護になった父と相談して特別養護老人ホームに泣く泣く入ってもらった経緯を知っているお寺さんに言われ、今は母は大好きで一番心配して気にかけていたぽこたとお出かけしています。
手元供養は賛否両論あると思います。
うちの家族は、そうしようと決めてやりました。
家族の分だけ、人の数だけいろいろな考えはあると思います。
手元供養の最後のこともきちんと説明は受けています。
今回の納骨式のことは義実家には、もちろん言いません。
姑には母が旅立ったとき私が母の娘として電話しました。
姑の言葉は
👵「なくなった理由」
が、知りたくそれを聞いてきました。
お悔やみの言葉は今でももちろんもらっていません。