宇治神社の御朱印です。

 

実は。

宇治上神社と地図を見誤ってガーン

 

というかですね。

元々は

宇治に行く!と決めて。

修学旅行で行けなかった平等院をこの目で見たい!

源氏物語(宇治十帖)所縁の場所(景色、雰囲気)を見たい!

宇治茶を本場で堪能したい!

ついでに周辺の寺社で御朱印を頂きたい!

といった優先順位だったものですから、事前に県神社、宇治神社、宇治上神社の3社は御朱印ターゲットには頭の中に入れていたのですが。

 

県神社を出た時点で観光残り時間が1社分しか無く。。。

宇治神社と宇治上神社、どちらへ行こう?!と悩んで。

私の脳内ではミーハー作動。

もう2度と宇治は来ることが無さそうな場所だから、ここは世界遺産の宇治上神社の御朱印を頂きたいわねぇーと目指していたんです。

 

随所に見所のある、昔からの観光地というだけあって、道案内の看板が要所要所に分かり易く配置されていて。

「こちらに行けば宇治神社」と書いてあるのをずーっと「宇治上神社」と脳内誤変換して辿っていて。

 

境内入口に着いて、社名を見ても「宇治上神社」と読んでいて(まだ脳内誤変換)。

本殿に向かって「あれ?思ったより、こじんまりしてるし雰囲気が違う?!」と思いながらもお参りして。

境内でタイムリーに開催されていた節分祭のお神楽を鑑賞できたラッキーさに「?」な感情も忘れてしまい。

さて、時間だし御朱印を頂いて帰りましょうと社務所へ行って、やたらと目に付くウサギさんモチーフを見てやっと「あ、ここは宇治神社だ!」と間違いに気づいたという・・・ガーン

 

ちょっとキツネにつままれた気分の不思議な感覚でした。

いくら目が悪いと言っても4文字と5文字の違いくらいは見分けられるのに。

”上”の字が付くか付かないかの違いの2択と思って道を辿っていたので、ちょっと有り得ないヒューマンエラーをしでかしていて。

 

でもね。

お参りして御朱印を頂いて。

御祭神や神社の由来を知って「この日はここに来るべきだったんだ」と悟りました。

 

宇治神社は宇治の産土神として古くから信仰されていた他、応神天皇の離宮跡、その皇太子だった菟道稚郎子命の宮居跡に建つ神社だそうです。

そうして御祭神は菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。

 

この神様のことは今回の参拝で知りましたが、凄いの!

 

15代天皇の応神天皇の皇太子として立太子しているのですが、応神天皇が崩御すると即位せず異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)に皇位を譲るために自殺したというのです。

この譲られた大鷦鷯尊が後に16代の仁徳天皇となられたそう。

仁徳天皇といえば小学校の社会科で習った前方後円墳で名前を覚えたという記憶があります。

 

歴史的に実在か架空の人物なのか「?」な部分もある時代の皇統譜の話なのですが、往往にして王族の権力争いは「俺が王になる!」の我の張り合いの末の殺人といった結末が多い中、「兄上が」「いやいや皇太子が」と3年間も譲り合った末に皇太子だった菟道稚郎子命が自殺で決着を着けるというのは稀有な出来事だなぁーと思います。

しかも異母兄弟間でこうした美談が生まれるとは。

(譲り合いの最中、別の兄弟が「だったら俺が王になる!」と謀反を企てたり、それを譲り合っている兄弟で協力して討ち取ったり、決して温厚一辺倒で譲り合った訳ではなさそうなので、実在するなら本当に政治的能力の高いお2人間での譲り合いだったのだなぁと思います。実際、仁徳天皇治世の善政の話もありますし)

 

そんな日本の文教の始祖とされる見識豊かな菟道稚郎子命が祀られている宇治神社。

ご利益は学業成就、合格祈願。

 

さらに。先ほども書きましたが宇治神社はウサギと縁の深い神社。

オミクジでもウサギのおみくじがありましたし、御朱印帳もウサギ柄で全国的に可愛いと有名。

実物サンプルを現地で拝見しましたが可愛かったですよー。

特にピンクのウサギさんの御朱印帳がおねがい

危うく購入しそうになりましたが御朱印帳コレクターではないのでグッと抑えました。

 

宇治はその昔、菟道(うぢ)という字が使われていた土地。

菟道稚郎子が住んでいた土地という意味から地名になった説と、元々菟道という地名があって、その土地所縁の皇子だから菟道稚郎子という名になった説があるようです。

 

歴史的には後者が有力かな?と個人的に思いつつも。

ここは宇治神社の社歴にも繋がる前者の説で話を進めます。

 

菟道稚郎子が宇治に向かう道中で道に迷っていたところへ一羽のウサギが現れて、ちょっと先を行っては振り返り。

菟道稚郎子が追いついたら、また少し先へ行って振り返り…とうとう宇治まで道案内したという逸話から「見返り菟」として神様のお使いとされるようになりウサギの道と書いて菟道(うぢ)と読むようになったそうです。

また菟道(うぢ)は「内なる場所」の意味も持つらしく「道徳に叶った正しい人生の道を歩むよう教え諭しているもの」の具現が宇治神社の見返り兎だそうです。