記念すべき決心の一歩を記すブログ。
私、鍼灸師になります!
10年以内に「はり、きゅう、アロマのGratia治療院」の開業を目指して。
5年以内に介護コースの学位取得を目指して。
3年後に鍼灸師の国家資格取得を目指して。
1年後に登録販売者の資格取得を目指して。
春から学びのリスタート、学生になる事を決心。
このシリーズ(ブログカテゴリー)はそんな自分のための
「足跡を残す」ための文章。
なので。
国試合格という「一区切り」まで、このカテゴリーは「アメンバー限定」での公開とします。
合格後は。
きっとドタバタ足掻いたであろう私の3年間の道筋が、次の誰かの背中を押すことを願って。
そうして自分自身、いつでも原点に立ち返られるよう公開しようと思います。
このシリーズはだいたい1週間に1〜2記事の想定で卒業までの300記事を見込み、カウントアップ方式でタイトルをつけていきます。
先ずは。
鍼灸師を目指すことになった理由について。
これから様々な場所で聞かれると思うから、この機会に自分の中でも整理しておこうと思います。
今でも
「何故アロマを?」
「何故ハーブを?」
と、聞かれていますから、その延長線上の学びだと、通常は答えて行くでしょう。
一言で言うなら「すべての道はローマに通じる」ならぬ、私の今までの人生で起こったすべての出来事が鍼灸への道へ繋がっていたと悟ったのです。
詳しく説明していくと人生を順に追って長い話になってしまいますので、トピック的に。
1〜3歳 肉をはじめとして動物性食材の消化・代謝の悪い体質だと判明
(母は若かったせいもあり、母乳では無く粉ミルクで私を育てたのですが「吐いてばかりで大変だったわー」と今でも言います。もともと天然なところがある人なので諦めてますが「3ヶ月も吐き続けたら”合っていない”と他の方法は考えないの?」と今でも心の底ではツッコミを入れています。特異な体質も個性。一人一人違うからこそ全体を診ると言う東洋医学の思想に共感した元の体験となっています)
4〜6歳 弟の誕生や幼稚園入園と社会性を知る中で自分を殺す事を覚えた時期。
未熟な成長過程で「我慢」と言う概念や程度が分からず、反面「いい子とは」「優等生メリット」に気づくのには早熟なタイプだったため、手っ取り早く「我儘と言われそうな自分の感情=殺す」事を繰り返していました。
当然、心的プレッシャーは心身症となって現れ、チック症、知恵熱をくり返すなど病院通いが途切れない時期。
病院でも改善せず、民間療法(今思えば怪しいものも含めて)にも随分と連れて行かれました。
(なのに鍼灸治療は受けた記憶がない…一番に行くべきところだったのに…ハーブティーとお灸で改善出来たんじゃないかと思うし、健康保険適用可能で怪しい民間療法より安く早く確実に治せた症状だ思う。今の自分があの頃の自分に施術してあげたいと心底思います)
7〜15歳 狭い人間社会(学生生活)の中、イジメも経験し胃炎、原因不明の足痛で病院を転々とし検査、検査の日々。
やっと「リウマチ」の診断が下りてしばらく治療通院しましたが一向に良くならず、むしろ悪化?と思われ、再度転院&検査の日々。最終的に医療過誤が原因の「大腿筋四頭筋等拘縮症」と保健所から認定。足痛は成長過程の骨が拘縮した筋肉に押されて真っ直ぐ伸びられず神経に触って起こっていたもの。
最悪、壊死した筋肉を切って長さ調整する手術か車椅子生活と言われながらもリハビリで状況改善(機能改善ってすごい!の感動の原体験)。
この場合の投薬の無意味さが身にしみました。
意味のないリウマチの治療を受けてしまった事は長い間「何か出るんじゃないか」と不安の種に。
また、車椅子生活にはならず、日常生活に支障なしで治療&障害認定は取り下げられましたが、何も知らない人からはスタイル&姿勢が悪いと注意や陰口を言われる事は未だに日常茶飯事。
(所謂、出っ尻、鳩胸のS字側湾症と健康診断では注意書きされたり、されなかったりの医師の気まぐれに所見される程度)
今は言われ慣れたのと、精神的に図太くなったので「で?何?人の粗探しをしたいの?鬱憤晴らしたいの?それとも私が嫌いなの?
オッケー、もうあなたとは関わらないから安心して」で済ませてしまいますがイジメの中で、この事を突かれた時には、病名も確定していなかった時期でもありWで本当に泣きたくて、やりきれなくて。体育の授業を見学で認められるのを「ずるい」とさらにイジメられるのも情けなくて。
アロマでハンドトリートメントして頂いた時や東洋医学実習で脈診をしたりされたりするようになってから、何気に「ギョ」っとされている左手首の縫い跡は、周囲や家族には「バカな遊びをして切った」と今でも言っていますし、表面上そういった状態で刃物では無くガラスを使った(”成功”した時にイジメに負けて死んだと言われるのが悔しかったし、遊び上の事故死扱いになれば葬式代くらいのお金は親に負担させないで済むかも…とそれこそバカな事を考えて遺書なしに実行)ので未必の故意の殺人ならぬ未必の故意の自殺未遂でした(初めてのカミングアウト)。
この頃に心と体は切っても切り離せないということ。
病院通いの中で、私より重症でも明るく前向きに生きている人の充実度や魅力を見せられてQOLを考える原点の時期だったと今にして思います。
また「死に損なった」経験から、もうどんなに辛くても最後まで諦めない。
生ききること。
また、表面上、何事もない、むしろ恵まれてると思われている人でも闇を抱えている事。
誰もが、それぞれのフィールドで、大変な思いをして頑張って生きている、かけがえのない命である事。
子供の社会でも大きなストレスがある事の気づきの原体験の時期です。
いじめられた側のストレスは身をもって実感していますが、今となってはイジメた側も別種の「発散しなければ保たない」程のストレスがあったのだと理解出来ます。
先日見たドラマで「私の幸せが誰かを傷つけているとは、あの頃は思いもしなかった(逆の立場になって自分が傷つき。初めて理解できた)」と言うセリフの場面があり、それは時代物の後宮の愛憎劇でのセリフでしたが、現代社会を生きる一人一人にも当てはまる事だと思いました。
イジメの中で散々言われた「ずるい」が彼女たちのストレスを代弁していた言葉だったのでしょう。
私が子供時代の学校にも子供社会の闇、大人が求める理想像とのギャップによる成長過程でのストレスはありましたが、現代の子供たちはそれ以上のストレスを抱えていることは想像に難くないです。
いつか、そんな子供たちの「病気ではないけれど病んでいる」SOSもアロマやハーブ、鍼のソフトタッチなどで癒してあげられる
形で還元できればと思っています。
15〜39歳
原因不明の体調不良で倒れる事が続きました。
1年に1度が、半年に1度になり。
3ヶ月に1度
毎月となり。
ピーク時は10日〜2週間に一度のペースで気絶を繰り返す。
あらゆる可能性を考え、いろんな科の病院でいろんな検査した結果、子宮内膜症が見つかり、この治療により気絶症状の改善はありましたが、根本原因ではないらしく、頻度減少しただけで依然いつ気絶するか自分でもわからず、自ずと「無理をしない」と自分の行動制限をかけていた時期。
この間、猫と14年間暮らし。
倒れた時には肩を揺すって「ママ起きて」と呼びかけてもらい。
「手の暖かさ」「手当て」の効果を体験しました。
(「猫の手を借りる」の真髄を知りました)
いつか「手」で人を癒したいというのは元々もっていた資質ではありますが、その方法と実践に随分と回り道をしました。
体が何ともないなら、やはり神経(当時、倒れるのが怖くて外出もままならず、収入もない、治療費だけが嵩む事で気分も沈んでいたので)我ながら「鬱かも」とも思って最後に心療内科へ行きましたが、問題なし。
むしろ鬱になりにくいタイプ。
リラックス状態が強いタイプなので治療の必要なし、でビタミン剤もらって終わり。
まだ「未病ケア」とまではっきり意識はしていませんでしたが養生の必要性、重要性を肌で感じた時期でした。
40代
アロマとメディカル・ハーブに出会う。
その学びの中から解剖学や中医学、漢方、韓方、漢方の考え方や植物の薬理、おばあちゃんの知恵袋的な養生の知恵も学術的に実証されてきている事に知的好奇心を刺激される。
植物療法を広く深く知りたいと思う中でヨモギの活用法の一つである「お灸」に魅力を感じる。
また植物療法を実践するようになり、あれだけ気絶していたのが今では2〜3年に1度のペースに激減。
アロマ&ハーブも使い方によっては十分に対処できる心身状態がたくさんあることは身をもって実感していますし、それなりの使い方も心得て学習もしましたが、どんなに頑張っても民間資格のグレーゾーン内でしか”お仕事”できないんですよね。
個々人の考え方の違いもあるでしょうけれど。
癒しは基本、セルフケアで十分というのが持論。
ご自身がお持ちの力に微力な力や知恵を添えるだけの時間に「お金をください」とは私は言いたくない。
さらに先生然として「癒してあげた」「教えてあげた」「感謝されて当然」といった生き方はしたくない。
一方で、私の心身に活力をくれる「緑の力」をもっと広く知ってほしい、その為の活動はしたい。
民間資格でやるならボランティアで、と信念を持って活動してきました。
でも、「緑の学び」を深める毎に治療レベルで出来る植物療法が沢山あることに気づき、改めて「凄い」と思うと共に実践できない(せいぜい自己責任範囲内で他人にお伝えできない)今の自分が歯がゆくて。
実は、アロマ&ハーブの学習がひと段落した3年前に1度、鍼灸専門学校について調べた事がありました。
でも「時が満ちて」いなかったのでしょう。
3年という通学期間と学費を見てアッサリ「無理だ」と諦めがついて忘れてしまう程度の熱でした。
そうして1年前。
1瞬の事故で、車に撥ねられ、飛ばされた先の別の車に体当たりし、さらにその2台に挟まれるという3重の交通事故に遭い、それでも表面上無傷だったことは「何かやらなければならない事がある」と意識変換のきっかけに。
表面上無傷でも身体内部では色々な事が起こっているのは実感できて。
事故後4日目に2年ぶりに倒れたり。不安要素は数々あるのに痛み→注射か投薬、湿布で抑える。
リハビリ→牽引、自宅でのストレッチ。
その中で服薬頻度が高かったのもありますが、胃が荒れて慢性的に吐き気を感じるようになったり、落ち着いた頃に受けた健診で肝臓に血腫が見つかったり。
西洋医学の限界と医療現場における医師と患者の距離感の齟齬を感じ、ますます東洋医学関連書物を漁るように。
また自賠責治療中に保険会社も医師も嫌がった鍼灸治療が、示談成立後、自費診療の遅いスタートだったにも関わらず効果があったことで「凄い!」「私も出来るようになりたい!」と熱い情熱となって私の中に湧き起こりました。
さらに今年の夏から秋にかけて。
主に韓方の関連の情報収集の中からホジュン医師と東医宝鑑を知り。
奇異な縁があったドラマ「ホジュン」で数多く登場する鍼治療のシーンや薬草を探して山野を歩き回るシーンに「私が追いたい姿」を見た気がしました。
ホジュン医師は約400年前の人物。
今、その姿を追うのは時代錯誤と多くの人は笑うでしょう。
しかもドラマという脚色された世界を参考にして…なんて、と。
それでも、東洋医学を学びたい。
未病治療を研究したい。
何より「治療」という形で人や植物と向き合いたい。
また、混沌とした時代。
誰の身にも突然日常を奪われる「事故・災害」は起こり得る。
そんな緊急時、非常時に知識と手と鍼数本で人を救える方法があるなら、知りたい、使えるようになりたい。
そんな思いで鍼灸師への道を目指す事にしました。