父が交代制勤務の仕事をしていた為、母が臨月で入院した時には、隣町(母の病院近く)に住む父方の親戚の家に預けられていた私です。

年の離れたお姉さん(3歳児の私から見れば小学生はとってもお姉さん)に、良く遊んでもらい、早めの夕ご飯を食べて直ぐにスヤスヤ熟睡。
それまでの私がワガママし放題、どこでも泣き叫ぶ狂気じみた子供だったので、その「手のかからなさ」っぷりに驚いた、おばさん。

でも。
そのままでその日は終わらなかったのです。

8時過ぎになって起き出して来て。
「ママのところに行く」とぐずり出し。

<淋しくなったか>と「明日、朝ご飯食べたら会いに連れて行ってあげるからね」と宥めても、それまでの手のかからなさが嘘の様に「今じゃなきゃダメ」「明日になったら遅いもん」と泣き叫ぶ技が炸裂。

根負けしたおばさんは夜道を私の手を引いて歩き出しました。

後に聞いた所「少し夜道を歩かせれば落ち着くか眠くなると思ったから、家の周り一周させて戻るつもりだった」そうですが、その日の私は子供には結構距離のある道を黙々と黙って歩き、「ママいるのコッチ」と母のいる病院へ辿り着きました(大人の足で10~15分くらい)。

母の病院について、私は一生懸命に母のお腹をさすっていたそうです。
そうしてすぐに弟が生まれました。

「あのタイミングの良さは何だったんだろうね。弟が生まれたら安心したように、またスヤスヤ眠ってたよ」とは母の後日談。

私を母の元へ連れて行ってくれたおばさんは背負って帰宅してくれましたが、その道中、背中で目を覚ました私。

おばさんのあたたかな背中から見た丸く明るいお月様と。
風に揺れるススキ野原が優しかったのを覚えています。

10月中旬が誕生日の弟。
毎年ススキと虫の声が聞こえ月が明るい晩には、この日を思い出します。

そうして、この時お世話になった親戚の家は「にゃんこの家」と私が呼んでいたくらい猫がいつでもいた家。
後に更紗という愛猫と14年間暮らす事になる私に「猫の魅力」を刷り込んでくれた家だったなぁーと、懐かしく思い出すのです。