第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞者コメント;日刊ゲンダイ引用
- 稲泉 連
- 僕の高校中退マニュアル
神奈川県の高校中退の20代の若者が、大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞するなんて!!!
神奈川県の教育事情については、私も個人的にいろいろ疑問に思っている。
本当に才能のある生徒でも、ドロップアウトしてしまうのではないかと懸念している。
【NEW WAVE】
2005年5月22日 掲載
第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞 稲泉連氏に聞く「人から人へ、言葉が伝えられていくことのすごさを知りました」
|
<作品概要>
お姉さんっ子で、音楽を愛し、映画監督に憧れつつ太平洋戦争に従軍、23歳にしてフィリピンで戦死した若者、竹内浩三。彼の残した詩が時代を超え、同年配の著者の心に響く。なぜ浩三の詩にこれほど共感を覚えるのか? しかし戦争を知らない自分が「共感」などしていいのか? とまどいつつ浩三に引かれる著者は、肉親や彼の詩を伝えてきた人々と次々に会い、最期の地・フィリピンにも赴く。竹内浩三と彼を取り巻く人々の内奥に迫り、戦争で死ぬことの意味を見つめたノンフィクション。
――取材を始めたのが、竹内浩三が戦死した年と同じ23歳だったとか。この平成の時代に竹内浩三に注目したのはなぜ?
「きっかけは01年末に出版された作品集を書評欄で知ったこと。タイトルにもなっている“日本よ/オレの国よ/オレにはお前が見えない”という言葉に驚かされました。なぜ戦争中にそんな言葉を記したのかと。実際に詩集を読むと、彼はあの時代に思い悩み、自分の弱さをそのまま素直に詩や手紙で表現していた。かと思えば“日本”や“戦死”といった大きな状況を描く詩もあり、出征をひかえ、死ぬまでひたすら戦うというようなことも書いている。そんな彼の揺らぎも含めて、どんどん引かれていったんです」
――姉、友人、編集者、詩人と、多くの人々が竹内浩三に自分の人生や思いを投影し、作品集や評伝にまとめていて、詩集だけでなく、浩三を取り巻く人間群像や関連図書の多さも印象的ですね。
「彼は職業詩人ではなく、映画監督を志す一人の若者にすぎなかった。同人誌以外は、手紙や手帳、教科書の余白に書かれたような文章しか残っていません。こうした文章が実の姉をはじめ、彼の詩に心打たれた人たちによって受け継がれ、受け渡され、やがて詩人として評価されるようになっていったんです」
――一人の青年の言葉が戦後60年間脈々と伝えられ、01年に全作品集として結実。あの時代を生身で生きた人の素直な言葉が、どんな反戦の主張より深く人々の共感を呼んだ結果でしょうね。
「彼の詩が時代を超えてここまで届くのは、その作品に多くの人たちの思いが託されてきたからでしょう。言葉が伝えられていくことのすごさを知ったという気がします。だから浩三の作品世界はもちろんのこと、それがどのような人たちの熱い思いによって伝えられてきたかを書きたかった。この本を読んで浩三の詩集を買ってくれる人がいたら、自分も伝え手の一人になれたということで、うれしいですね」
「戦争の雰囲気を、かすかに覚えている我々さえ知らない実態を伝えている。現場を訪れ、会うべき人に会うノンフィクションの王道を行く作品」と、選考委員の西木正明さんは選評で絶賛している。
●いないずみ・れん 1979年、東京都生まれ。95年、神奈川県の公立高校を1年で中退。大学入学資格検定を経て、97年、早稲田大学第二文学部に入学。同年、その体験を書いた手記「僕が学校を辞めると言った日」で第59回文藝春秋読者賞を受賞。02年に同大学を卒業。著書に「僕の高校中退マニュアル」「僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由」がある。


