三権分立のはずだったでしょ?
中学校のときに、三権分立という仕組みがあり、それで、民主主義を守っていると習った。
三権とは、行政、立法、司法がのことである。それぞれが、独立して、お互いに監視しあっている。そう習ったはずだ。
だが、55年体制で、政官癒着が始まったという。自民党一党独裁のゆえである。政官癒着とは、政治家が、官僚に働きかけをすることである。
これが諸悪の根本だったはずだ。ところが、今はどうだろうか。
今、政治家が、官僚をコントロールするのが当たり前になってきた。政治家が大臣になって、事務次官に命令する。一時通産省で、怪文書が飛び交い、大臣が人事介入し、事務次官最有力候補の局長が、罷免された事件があった。そのときの事務次官は、罷免される局長の前で、泣いたという。どういうわけで泣いたのか、まさに密室の中のことであり、ほんとに泣いたのかもよくわからないのだが、それ以来通産省の威光は下がりっぱなしらしい。
このような政治家が行政を動かすのが当たり前という考え方は、小泉首相になって、あからさまになってきた。誰でも、それが当たり前だと思っているようだ。官は、腐敗しているとか、無駄遣いしているとか、悪者扱いである。だが、今現在、友人の国家公務員(通産省系)に聞いたところ、行政組織への自民党の介入は、スケジュール化されているという。個別に、こっそり相談し、依頼命令するのではなく、堂々と、自民党のヒアリングが公式行事になってしまったらしい。それだけでなく、公明党のヒアリングまで行事化されていたという。これは、一昨年の話であり、コンピューターシステムの新規刷新についてだった。しかし、それは、莫大なお金がかかる話なのである。官公庁のコンピューターシステムの問題点は、社会保険庁だけではないのだ。
このように、政党が行政組織に直接指示するというのは、政官癒着どころではなく、政官一体ではないだろうか。
財政投融資資金を使って、ハコモノをつくり、景気対策をするように命令してきたのは、政治家であろう。内需振興、景気対策XX兆円などと、アメリカが要求し、それに答えて大盤振る舞いしてきたのだ。それは、小渕内閣のころに、頂点に達した。その結果、辺鄙なところに、金食い虫の豪華な施設が作られて、結局二束三文で売られた。だが、それを建設するプロセスには、政治家も介入していたはずだ。
今内閣総理大臣である小泉首相は、行政組織の長であるはずである。
しかし、自民党総裁でもある。そして、政と官の最高権力者として、あらゆることに命令している。政においては、派閥政治の弊害が問われていた。派閥政治を破壊するというと聞こえはいいが、反対派を抹殺して、引退に追い込み、森派が大膨張するように、小泉首相は仕組みつつある。党議拘束も、立法府のあり方として、本当はよくないはずなのに、それを強制し、反対したものを自民党から除名するらしい。
立法府と行政府を支配し、独裁者として、テレビのインタビューで、大柄な口をきく小泉首相は、いったいどういう神経をしているのだろうか。
参議院投票直前に、森前総理が、官邸で小泉首相を説得しようと、数時間会談したあと、記者団の前で、ビールの缶と、干からびたチーズをみせ、「これしかでなかった」と嘆き、「変人以上だ」といった。
しかし、先日、それは、芝居だったと森前総理がテレビで話したという。どこかで、この記事を見たのだが、どこで見たのかよく覚えていないし、ちょっと探しても見つからない。こういうことって、結構あって、「本当に見たの?うそでしょ、証拠を見せて」といわれると、探さないとまずいのだが。
チーズとつぶれた缶ビールで嘆いて見せたのが、芝居だったとは、本当に国民を馬鹿にしていると思う。
「豪華仕出し弁当で和解」なんて、言う記事もあったが。血圧の高い老人なら、怒りのあまり、卒倒するのではないかと思えるほど、信じられないくらいひどい話だと思う。
これは、まさに、マスコミを利用した、衆愚政治だ。