グローバリズムの妄想の補遺その5
八番目のテーマは、何ができるかを、考察している。アメリカの主導権では、普遍的な自由市場を実現するのは短期間でさえ不可能だ。しかし、世界経済の改革に拒否権を行使する力は確かに持っている。アメリカが、グローバルな自由放任について『ワシントン・コンセンサス』に固執している限り、世界市場の改革はあり得ない。『トービン税』(投機的な通貨取引に対して、世界レベルで課税するというアメリカの経済学者の提案)などは、実現されないだろう。
改革が行われなければ、その不均衡を支えきれなくなるとき、世界経済は崩壊する。貿易戦争のために、国際協調はさらに難しくなるだろう。世界経済は経済ブロックに分裂し、それぞれの経済ブロック間で、地域の覇権をめぐって、争いが起こるのだ。
映画『外人部隊』では、百年前、世界の大国が中央アジアの石油支配を巡る戦いを繰り広げたが、二十一世紀に、それが、再現されるかもしれない。稀少な天然資源を支配するために、国家が対立するとき、軍事衝突を回避するのは、さらに難しくなるだろう。弱い独裁主義体制は、軍事的な危険を冒すことで、経済を支えようとする。スロボダン・ミロシェビッチは、旧ユーゴスラビアのネオ共産主義者の指導者だが、他の多くの国に今後あらわれる独裁的な民衆扇動家の元祖となるかもしれない。
グローバルな自由放任が崩壊すれば、もっとも起きる確率が高い人類の未来は、深刻な国際的無秩序だ。
アジアの不況とアメリカのバブル経済ーグローバルな自由放任の終わりとなるか?
西洋諸国が、アジアの危機からうける印象は、グローバル経済で生き残る資本主義は、自由市場だけだと証明しているようなものだ。アジアの資本主義が、経済発展の初期段階で、驚くべき離れ業をなしとげたことを、否定する人はほとんどいない。しかし、今日、その考え方はすたれてしまったとされている。西洋のコンセンサスによれば、アジアの問題は、現在、英米流資本主義以外の選択肢が世界には存在しないと証明している。
確かに、わずか二、三年前には、その同じ時事解説者が、アジアの資本主義を、西洋が模倣すべき手本だとほめたたえていた。西洋の世論にあったこのようなエピソードは、今忘れ去られている。自由市場の勝利も、同じように短命なものとなり、急速に忘れ去られることだろう。
政策と理論を支配していた今までのパラダイムが思いがけない形で終わりを迎えるという、歴史的な区切りとなる時期が迫っている。第二次世界大戦後、ケインズ理論が勝利したときも、そのような区切りとなる時期だった。大恐慌と第二次世界大戦が、一九三〇年代の財政と経済の正統派理論に与えた影響を、アジアの不況も自由市場イデオロギーに及ぼすだろう。
アジア危機が歴史の上でどれほど重大であるかについて、西洋の評論家や政策立案者は全く気づかなかった。単一のグローバル市場という構想の奴隷となっている超国家組織は、事件が起きる度に何度もゆらいだ。東アジアの問題は、主に金融機関に関するものであり、経済的な影響はほとんどないというのが最初の主張だった。その解釈が持ちこたえられなくなると、アジアの景気後退は、構造的な問題によってさらに悪化したと論じた。
このような見解の修正も、危機の規模を説明するのには、まだまだ不足だ。欧米銀行の予測によると、一九九八年の後半時点で、国内総生産の下落幅は、一年間に、インドネシアで二〇%、タイで一一%、韓国で七・五%だ。インドネシアの失業率は、少なくとも二千万人に達するとされ、国民の半数は、年内に貧困化するとの予想だ。
これほどの経済活動の低下は、普通景気後退の兆候とはいわない。不況の始まりとするのが、当然だろう。
アジアでの不況悪化の規模は、認識され始めている。しかしその原因と世界経済に対する影響は、まだ理解されていない。
アジア不況は、自由に資本が移動すれば、経済の安定性にとっては、悲惨な結果をもたらす可能性があるという、歴史的証拠だ。勝手気ままな資本は、一晩でアジア市場から逃げ出すが、その逃避は何十年もの間、実体経済に最悪の影響をもたらすだろう。投機的な資金移動のために起きた経済危機が、社会と政治に残す傷跡は、長い間消えない。
一九九〇年代末期のアジア通貨の動きは、歴史的に見れば、影響がすぐに吸収されてしまうような短期的金融変動ではなく、グローバル危機が早期にあらわれた兆候とされることだろう。一九三〇年代以降の西洋諸国にはなかったほどの経済と社会の激動が、両大戦間のヨーロッパに生じたような政権と体制の変化を伴わずに、東アジアで起きると考えるのは、西洋の世論が歴史を知らない証拠だ。アジア危機の結末として、今後最もふさわしいシナリオは、アジア地域全体が、長期にわたって不安定になることだ。アジアの不況が悪化するにつれて、反西洋を旗印にした民族主義が再び勢いを増し、体制の急変が起こり、古くからの民族対立に火がつき、大量の難民が流出し、独裁国家が再びあらわれてこの地域の政治情勢が変化することになろう。このような展開の中では、西洋の自由市場という思想に、なんらかの役割があるとしても、ごくわずかだ。