グローバリズムの妄想の補遺その3
三番目の論点は、社会主義が、経済制度として元に戻せないほど崩壊したということだ。経済と人間の観点から見ると、社会主義による中央集権計画の後に残ったものは、廃墟だ。ソ連は、多くの人間の命という痛ましい代償を払いながらも、高度成長をなしとげた体制ではない。何百万人の命を奪い、自然環境を破壊した全体主義国家だ。巨大な軍事部門と、公衆衛生のある分野を除くと、経済や社会の業績という点で、ソ連には何もみるべきものがない。毛沢東時代の中国に、国策によって起きた飢饉と、恐怖、自然環境の破壊は、ソ連よりもさらにひどい。
二十一世紀に何が起ころうとも、崩壊した社会主義は復元できないだろう。将来、考えられるのは、二つの経済制度ではなく、資本主義の変種しかない世界だ。
四番目の論点は、マルクス流の社会主義が内部崩壊したことを、西欧諸国、特にアメリカは、資本主義の勝利として歓迎したが、その後、旧共産圏の国は西洋のどんな経済モデルも採用しなかったという点だ。
ロシアと中国では、共産主義消滅後、独自の資本主義が復活した。しかし、共産主義の遺産があるゆえに、どちらもひどくゆがんだものとなっていた。ロシア経済を支配したのは、犯罪による一種のサンディカリズムだった。この奇妙な経済制度の原型は、おそらく、ソ連の地下経済時代にあるが、繁栄した帝政ロシア末期に、国営の巨大企業や、冒険家の起業家が混在した時代の経済に似ているところがある。中国の資本主義には、世界中に散在する華僑の資本主義と多くの共通部分がある。とりわけ、親戚関係が事業に果たす大きな役割がそうだ。しかし、共産主義時代の遺物の、不正行為や、軍を含む機関の民営化が、中国でもいたるところでみられる。
従来の世論では、共産主義の崩壊を、『西洋』の勝利としてとらえている。実際にマルクス流社会主義のもとになったのは、西洋のイデオロギーであった。歴史を長期にわたって支配したマルクス流社会主義が、ロシアと中国で崩壊したのは、すべての西洋モデルに従う近代化が失敗したことを意味する。ソ連の中央集権計画崩壊と、中国の中央計画制度廃止が示すものは、一九世紀の資本主義工場をモデルとした近代化強行という実験の終了だ。