グローバリズムの妄想の補遺その2
本書の議論
現在の経済哲学によると、自由市場は、市場取引に関する政治介入をやめれば出現する自然な状態とされているが、それは誤りだ。歴史を長期にわたって、広範囲に眺めれば、自由市場は、珍しいものであり、短命な異変であることがわかる。規制された市場のほうが、どこでも自然に発生する、ごく当たり前のものだ。自由市場を創り出したのは国家権力だ。自由市場には小さな政府がふさわしいとする考え方は、ニュー・ライトの政策材料の一つだったが、事実とは全く逆だ。社会には元々、市場に制限を加える傾向があるので、自由市場は、中央集権国家の権力が創り出す場合だけ存在する。自由市場は強い政府がつくりだしたものであり、さもなければ存在できない。これが、本書の第一の論点だ。
一九世紀の短い自由放任時代の歴史が、このよい例だ。自由市場は、ビクトリア王朝時代のイングランドで、特に恵まれた環境のもとに構築された。他のヨーロッパ諸国と違って、イングランドには、個人主義の長い伝統があった。何世紀もの間、ヨーマンとよばれる農民は、経済の基礎となっていた。議会の権力行使だけが、古くからの所有権を修正し、抹消し、新しい所有権を創り出した。そして、囲い込み運動によって、共有地の大半を私有地に変え、大規模土地所有による農業資本主義が始まった。
議会には、国民大多数からの代表はいなかったし、議会の権力を制限するものもなかった。このように最適な歴史的環境で、自由放任は、イングランドに誕生した。一九世紀半ばまでに、囲い込み運動や、救貧法、穀物法の制定によって、土地、労働力、食料は、同じように、取り引きされる商品となり、自由市場制度は、経済の中心となった。
しかし、自由市場は、イングランドにたった三〇年しか存在しなかった。(歴史家の中には、自由放任時代は存在しなかったという極端な主張をする人もいる)。一八七〇年以降になると、新しく制定された法令によって、自由市場は徐々に消滅した。そして、第一次世界大戦の頃には、公衆衛生と、経済効率という目的を達成するために、市場は再び広く規制されるようになった。政府は、主に学校などの、非常に重要な一連のサービスを積極的に供給した。英国の資本主義は、依然として非常に個人主義的であり、大恐慌という破局がおきるまで、自由貿易は続いた。しかし、再び、政治が経済を管理するべきだと主張されるようになっていた。自由市場は、いきすぎた空理空論か、そうでなければ単に時代錯誤だとされた。だが、一九八〇年代にニュー・ライトがあらわれたことにより、この自由市場は、よみがえった。
ニュー・ライトは、権力を得ると、その国の政治や経済を元に戻せないような形に変更することができたが、支配権を得たいという熱望が満たされることはなかった。自由市場の影響を強く受けて、メキシコ、チリ、チェコ共和国のような国と同様に、英国や、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの政府は、協調組合主義と団体主義の遺産を徐々に廃止していくことができた。だが、どの場合も、自由市場政策を政治的に可能にした最初の連立政権は、このような政策そのものによる中期的な影響のために、次第に衰えることになった。
公共住宅売却は、サッチャー政策の目玉の一つであり、住宅価格が値上がりしているときだけ、うまくいっていた。しかし、突然、住宅価格が暴落して、何百万人の資産が赤字になるという泥沼にはまったとき、政治問題化した。公的資産を民間に売却し、市場を自由化するのが有利であるのは、景気が上向いて、深刻な影響がごまかされているときだけだ。この深刻な影響は、さらに悪化して、経済不安を起こした。景気後退のために、どのような結末がおきるかが、明らかになったとき、ニュー・ライトの政権は、危機に陥り、余命幾ばくもなくなるのだ。
新リベラル派による経済改革の政治的な利点は、たいていの国では、左派が軟化することだ。一九世紀後半と同様に、二十世紀後半も、社会の崩壊を引き起こす自由市場の影響をうけて、政治が不安定になっている。
これから得られる結論として、二番目の論点は、民主主義と、自由市場は、パートナーではなく、競争相手であるということだ。『民主的資本主義』という、新保守主義の意味のない政治スローガンは、非常に問題の多い関係を意味している(あるいは隠している)。通常、自由市場では、民主主義政権が安定することはなく、経済不安によって政変が起きやすくなる。
ほとんどすべての社会では、現在も過去も、人間の安定や安全という重大なニーズをひどく損なわないように、市場が制限されている。近代後期の環境では、民主主義政府が自由市場の影響を和らげる働きをしていた。ビクトリア王朝中期に存在した、もっとも純粋な形の自由市場が衰退した時期は、公民権の拡大とぴったり重なっていた。民主主義の進歩にともなって、英国の自由市場が後退したのと同じように、大半の国では、一九八〇年代の過度な自由化を、民主的な対立が原因となって、後継政権が部分的に廃止することになった。だが、グローバルなレベルでは、自由市場を抑制するものは、いまだに存在しない。
市場経済と民主的な政府を調和させる歴史的なプロジェクトの一つが、いわば最終的な後退ともいうべき状態に陥った。ヨーロッパの社会民主主義は、若干の国では、政治体制として、実際に現在も存続している。しかし、戦後の繁栄を可能にした経済に対する影響力は、その社会民主主義政府から、失われてしまった。グローバルな債券市場が登場したために、社会民主主義政権は、多額の借り入れを実行できなくなってしまった。また、資本が自由に逃避できる開放経済では、ケインズ政策の効果が失われる。世界中で生産拠点が移動可能なことから、企業は、規制と税負担がもっとも少ない場所へ、移動できるからだ。
社会民主主義政権には、もはや従来の社会民主主義的なやり方で目標を追求する手段がない。その結果、ヨーロッパ大陸のほとんどの国では、大量失業は、解決の見込みがない問題となっている。わずかにノルウェーのように棚ぼたの石油収入があるといった特別な場合だけ、社会民主主義体制の寿命は、永らえているにすぎない。だが、多くの場合、社会民主主義と、グローバルな自由市場との間にある矛盾は、どうすることもできないようだ。
今日、グローバルな経済統治機能を持つ制度はほとんどなく、多少とも民主的な制度はなおのこと全く存在しない。人間らしいバランスのとれた政府と市場経済の関係は、望むべくもない。