グローバリズムの妄想の補遺
世界的規模の自由市場以外にとる道はないと、あらゆる国の主流派は考えている。この本は、その経済哲学が正しいかどうかを、疑うものだ。一九九八年春に、本書が、英国で出版されたとき、あらゆる政治関係の流派から、攻撃された。今日のグローバル資本主義がひどく不安定だという主張は、終末論的とまでいわなくとも、あまりにも悲観的であるとされた。しかし、一年もたたないうちに、本書の主張の大部分は正しいと証明された。
本書に対する世間の反応は、中心となるテーマの一つを、裏づけている。現在の世論が、政界や、マスメデイア、実業界でも、永遠に変わらない人間生活の実態と、あまりにもかけ離れているために、現実とユートピアの区別がつかなくなっている。そのため、過去の歴史が繰り返されると、驚いてしまう。旧来の、どうすることもできない対立や、悲劇の選択、破滅的な幻想とともに、過去の歴史がよみがえるのを、現在我々は目にしている。本書が最初に出版された直後、本書の分析を裏付けるような事件が起きた。アジアの経済問題が、遠くの国の国内問題ではないかもしれないとする公式見解もあらわれた。アジア資本主義の危機とされていたものが、実際には急速に拡大しつつあるグローバル資本主義の危機だという事実を直視することになろう。国際経済システムが大きく混乱する時代がせまっているのは、もはや確実だ。既成世論の主張によれば、グローバルな体制は不変だ。しかし、二、三年後には、この主張の支持者であったことを認める人は、なかなか見つからなくなるかもしれない。
本書では、グローバルな自由市場が、歴史的発展の鉄則ではなく、政治構想であると立証している。この構想には大きな欠陥があったために、数多くの苦しみが生まれた。いずれも、おきるべくしておきた苦しみではなかった。しかし、英米流自由市場をモデルとしたグローバル経済を、IMFなどの国際機関は公然と目標に掲げている。グローバル市場は、創造的破壊の原動力だ。過去の市場と同様な、順調で着実な進歩を遂げることはないだろう。好況と不況の循環を繰り返し、投機マニアが登場し、金融危機が起きる。これまでの資本主義と同じように、古くからの産業や、職業、生活のあり方を破壊しながら、グローバル資本主義は驚異的な生産性をあげるが、今度はそれ自体が、世界的な規模となるのだ。
二〇世紀の経済学者の中で、誰よりも資本主義を理解していたジョセフ・シュンペーターは、資本主義が、社会の絆を保つような働きをしないと考えていた。資本主義のなすがままにまかせるなら、自由主義の文明を破壊することもある。そのため、シュンペーターは、資本主義をコントロールしなければならないものと考えた。資本主義の活力と、社会の安定性を両立させるためには、政府の介入が必要なのだ。同じことが、今日のグローバル市場でもいえる。
現在、世界中で自由放任を信じている人は、シュンペーターの説を理解しないままに真似ている。経済的な繁栄を促すことによって、自由市場が、自由主義の価値観を広めると考えている。グローバルな自由市場が、新しいエリートを誕生させているのに、新種の民族主義や伝統主義も誕生させていることには、誰も気づかない。グローバル資本主義は、ブルジョア社会の基盤を浸食し、発展途上国をひどく不安定にし、自由主義文明を危険にさらしている。また、異なる文明の平和な共存を、困難にする。
グローバルな自由放任は、国家間の平和に対する脅威となってしまった。自然な環境で繁栄を続けるための効果的な制度が、現在の国際経済システムには存在しない。主権国家は、減少の一途をたどる天然資源の管理を求めて、争いに巻き込まれる危険がある。国家間のイデオロギーの対立のあとに続いて二十一世紀に起きる戦争は、稀少資源を巡るマルサス流の戦いかもしれない。
アジアの危機は、グローバルな自由市場が、手に負えなくなってきた兆候であり、歴史上では、アメリカの大恐慌に匹敵するバブル崩壊だ。日本はデフレに苦しみ、中国でもやがてそうなろうとしている。インドネシアやアジアのいくつかの小国では、不況にあえいでいる。ロシアに、金融危機と経済危機がおこり、そして、政治体制が変わろうとしている。このような展開は、安定がおとずれる前兆ではない。全体としてみると、世界経済の不安定さを示している。
この新しい補遺では、最近のできごとを記して、本書の主張の裏付けとする。そして、未来に対していくつかのシナリオを記し、可能な選択を考察する。
今日のアジア危機は、西洋の一般通念が早くも結論をだしたように、資本主義のアジアモデルが終末を迎えるしるしだろうか。日本は、独特の経済文化を保てるのだろうか。ヨーロッパ連合は、統一通貨を導入し、グローバル市場の衝撃を遮断できるのか。ドイツの資本主義は、再生できるか。アメリカのバブルが崩壊したら、自由市場への傾倒はどうなるのか。
本書が最初に出版された後に起きた出来事に関して、生じた疑問について、述べようと思う。その前に、中心となる論点を、再確認するほうがよいだろう。論点は、八つある。