嵐のクリスマス
天候だけでなく・・・
昨夜からここ松山は大荒れの天候となりました。
今朝も嵐となり、暴風と大雨、そしてその雨がいつしか雪や霰に変わって厳しい寒さとなりました。
このクリスマス時期には毎年のように大荒れとなりますが、『嵐のクリスマス』として21年前のことを忘れることができません。
21年前、平成4年12月22日に父が他界しました。
22日といっても死亡時刻は23:55で、あと5分で23日の天皇誕生日というタイミングでした。
葬儀はゆっくり挙げたかったのですが、元々広島県の出のわが後藤家は親族は広島県や大阪、そして私や弟の家族のように東京、横浜周辺に多くいたものですから、移動のことや年末の慌しさも考えて夜が明けての祝日の23日にお通夜、翌24日に告別式というスケジュールになったのでした。
真夜中に病院から亡骸を実家に戻して、直ぐに葬儀社さんとの打ち合わせ、夜が明けたら実家でのお通夜、告別式の準備におおわらわでした。
そして23日の夜のお通夜が始まる前から天候が悪化し、吹雪を伴う大嵐になったのでした。葬儀会館のような設備があるわけでもなく、参列下さった弔問客の皆さまにはたいへん寒く辛い思いをさせてしまいました。いまでも申し訳なく思っています。
嵐は翌日の告別式のときにも収まらず、荼毘に付して帰宅した後にやっと収まり、収まったかと思うと直ぐに青空が広がり、あの嵐はなんだったんだ、ということになりました。
生前、気性の激しかった父が最期の最期まで嵐を残し、昇天と同時に収まるなんて本当に父らしいね、とみんなで話し合ったものです。
そしてその告別式の夜が、24日のクリスマスイブだったのです。
忙しくて忘れていましたが、母が子どもたちが可哀想だからクリスマスをしてやろうよ、と言います。
私の末っ子は当時小学校2年生でしたし、弟の子どもたちは2~3歳ぐらいでしたから、葬儀のなんたるかもよく分からずにただ大人たち、親たちについて行動していた訳で、確かにこのままでは可哀想だねということになりました。
長年連れ添っていた夫を亡くし葬儀を済ませたばかりの母は悲しみのどん底にいたはずですが、可愛い幼い孫たちのことを考えてくれていたのです。
そのことに私たちも驚きましたが、有難いことと早速近くのケーキ屋さんにクリスマスのデコレーションケーキを買いに走りました。
昼間は仏教の教えに則って葬儀をし、夜はキリスト教のクリスマスを祝う(?)という不思議な一日となりました。
いいんですよ、こういうことは・・・。日本だって神仏合体はよくある話ですしね。
故人を偲びつつ、国民的行事と化したクリスマスイブの一夜を祝い楽しむこともこの夜の私たちにとってはなんでもないこと、むしろ楽しそうに笑っている幼子を見守り心安らぐひと時として大切なこととなりました。
今でも、きょうのように大荒れのクリスマス前後となりますと、あの時のことが昨日のことのように想い出されます。
明後日が亡父の祥月命日。
昼間は当店でライブがありますが、夜は仏壇の前で手を合わせ今は亡き父母の生前を想い出しつつ近況報告でもしようと思います。
平成25年12月20日(金) 髭のマスター
<本日のお知らせ>
(1) 定休日
12月 3日、10日、17日、24日 の各火曜日
(2) 年末年始休業
12月31日(火) ~ 1月4日(土)
* 新年は1月5日(日)より通常営業いたします。
(3) ライブ情報
12月22日(日) 14時~
『 フルートとピアノのクリスマスコンサート 』
ご出演 : フルート 木藤麻衣子さん
ピアノ 仙波奈穂さん
曲目 : ノクターン Op.9 No.2(ショパン)
チャールダーシュ(モンティ)
目覚めよと呼ぶ声が聞こえ(バッハ)
歌の翼による幻想曲(メンデルスゾーン)
クリスマスソング
ほか
<本日のお知らせ>は以上です。
☆ 本日も当ブログにお立ち寄り下さり有難うございます。