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北九州市八幡西区浅川のピアノ教室 ぽこあぽこピアノリコーダー教室です。
子どもから大人まで、クラシックからジャズまで、幅広くレッスンをしています。
コンクールや音大受験の指導もしています。
ホームページ https://masamiyoshi3.wixsite.com/pokoapoko/
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長くピアノ講師をしていると、 周りの人や 生徒のお母さん達から 「先生のお母さんは ピアノに熱心だったのでしょうね。」と言われることが 度々あります。

そこで今日は 風変わりな私の音楽珍道中を。





幼稚園年中の頃、 幼稚園のオルガンやピアノを 一歳上の人達が弾いていたので 真似して弾こうとしたら 「習っていない人は弾いたらダメ!」と意地悪されました。
私は家に帰って 母にそのことを話し、 「習わせて!」と せがみました。
母は、 「オルガン教室は親がついていかないといけないのよ。 うちは忙しいから無理だね。」と 即答しました。

☆彡


私の家は、 父が建設会社をしていた関係で、 住み込みの職人さんが 沢山いました。
朝早くから、 オート3輪の運転手さん、みんなの食事を作る人、電話番の人、事務員さんなど 大勢の人が来て、 忙しく働いていました。
☆彡

私は、 子供なりに 自分の家の事情を理解しているつもりでしたが、 自分の心の中から湧き上がってくるものを抑えきれず、 来る日も来る日も ずっと 母にせがみ続けました。

しつこくせがむ私に、 根負けした母は 私に条件を出しました。
「習いに行って、 ”難しくなったから辞める”なんて言うんだったら、 最初からするな。 するんだったら 一生続けること!」
私は、 迷わず 「続ける!」と 約束しました。


当時始まったばかりのヤマハオルガン教室は、 グループレッスンで、 6~7人の子供達に 夫々お母さんが付き添っていました。
でも、 母は 「お母さんは忙しくて ついて行く暇なんて無いから、 教室に通っている友達のお母さんと一緒に行くこと。」 と。

私は、 既に習っている他の子供達より 半年遅れで習うことになりました。

他の友達はお母さんが付いてきているけれど、 母が来ない私は 何をするのも 独りです。
レッスン中に 先生のお話を聞き逃さないよう、 いつも 耳はダンボ状態 に なっていました。
そして、 聞いたことは1度で記憶する癖がついてきました。

その頃の私は、 やっと習えるようになった嬉しさと どんどん弾けるようになっていくのが楽しくて、 自分だけ母が来ないという  独りの寂しさなど 全く感じませんでした。


ヤマハオルガン教室を修了した後、 グループレッスンで一緒だった子供達は その後 楽器を続けることはなかったようです。

私は、 武蔵野音大を卒業した若い女の先生から ピアノのレッスンを受けるようになりました。
ただ それも少しの間で、 先生が 出産を機に 辞められてしまいます。

その後、 母が知人にピアノの先生を紹介してもらいました。

その先生が、 このブログの記事(
遠い夏の日の思い出)に書いた、 私に 音楽の道へ進むことを 勧めてくださった方です。

☆彡
先生のお宅は 小さな子供が歩いて行けるような距離ではなかったので、 日曜日の朝 お弁当を持って 家の近くの駅前からバスに乗り 一人で通うことになりました。

車窓から眺める 知らない町の風景に感激したり、 いろんなことを想像したり、 バスに乗っている一人の時間は、 非日常で いつも新鮮でした。


先生との時間が 一番の楽しみだったのは勿論ですが。
家から時間をかけて通っている間に出会った人たち。
声をかけてくれた大人たち。
ピアノのレッスンでしか会わないけれど 違う土地の子供達との交流。
その頃の私は、 レッスンに通う度に 心に栄養をもらっていた気がします。
☆彡

幼稚園年中で オルガン教室に通い始めてから、 その後ピアノのレッスンを受けるようになっても、 母はピアノの発表会を聴きに来ることもなく 相変わらずノータッチでした。


小学1年の時
ハーモニカを持ち歩いて吹いていた私に、 「ハーモニカを吹いたら 口が大きくなる」

 

小学2年の時
学校の先生から ピアノを褒められたことを話すと、 「こんな田舎で “上手”と褒められたって、 東京に行ったら 相手にもされない。 井の中の蛙やね。」

母は 私と容貌が似ていない上に、 何かにつけ厳しいので、 小学3年の頃までは 継母だと思い込んでいました。

しかし、 小学5年の時、 私を溺愛してくれていた父が突然亡くなり、 母と弟の3人暮らしに。

母は、 板場さんを雇って 寿司屋を始めたり、 旅館を経営するようになりました。
生活は大きく変わり、 母は睡眠3時間ぐらいで 働き続けていました。
その頃は、 「幸せな人を羨むな!」が 口癖でした。

このように、 波乱万丈 紆余曲折ではありましたが、 母は一貫して 私のピアノにノータッチでした。


それから長い歳月が流れ、 私の教室の発表会会場に 人気のある市のホールが抽選で当たった15年前のこと。

母は 初めて、

「小さい頃から ピアノを自分のこととして 続けたから良かったと思う。
私が 色々 口出ししていたら 続かなかったと思う。

好きなことを仕事にできるのは幸せなこと。

好きな仕事をして生活できるのは ありがたいこと。」

と 言ってくれ、 その言葉を残して、 その夜 突然亡くなりました。


 

 

継母と思っていた実の母から学んだこと。

信念を持てば、 他人に振り回されたり 流されたりすることはありません。
一つのことを究めるためには 少々のことで 音を上げてはいけません。


親の庇護のもと 二人三脚で進むのも 一つの道とは思いますが、

小さな子供でも、 始めたことを 自分のこととして 親に頼らず頑張れば、 その経験に裏打ちされた強さで 少々のことには動じない本当の力が 身につくと思います。

 

 

今日の一品:

 母が好きだった 私の創作料理 ”またまた”

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おまけの一品:

 残暑しのぎに 夏野菜の甘酢漬け

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♪ 音楽の扉を開いて
    一緒に音を楽しんでみませんか ♪


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