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北九州市八幡西区浅川のピアノ教室 ぽこあぽこピアノリコーダー教室です。
子どもから大人まで、クラシックからジャズまで、幅広くレッスンをしています。
コンクールや音大受験の指導もしています。
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四国の松山から 北九州に居を移して、 24年の歳月が流れ 25回めの7月を迎えたところに、 タイムリーな贈り物が届きました。

 

松山のYさんから 五色素麺!!
私は 懐かしさでいっぱいになりました。



↓↓↓↓↓蜜柑、もち麦、抹茶、梅、オーソドックスな白の5種類(五色)が入っていました

 


Yさんは 松山時代のピアノの生徒のお母さんです。
発表会前の準備などを手伝ってくださったり、 教室でのお祝いの会などではいきなり 私のピアノ伴奏で ビートルズのイエスタデイを歌って その場にいた人たちを楽しませてくださったり、 プライベートでも大変お世話になった人です。

Yさんとは、 現在3人の子供の母親になっている Yさんの娘 Aちゃんが 私にピアノを習うようになってからなので、 かれこれ35年近く交流があります。

この教室ブログ 昨年7月1日の記事 『
初心にかえって ~24年めの日に~』 にも書いたように、 Yさんをはじめ 松山の生徒達の保護者の皆さんには励まされたり、 助けていただいたり、 本当に “感謝”という一言では済まない程 お世話になりました。

北九州に引っ越すことが決まって 送別会をしてくださった生徒のお父さん達。
荷物の片付けを手伝ってくださったお母さん達。
期末試験中にも拘らず 荷物を出した家の拭き掃除に来てくれた高校生の生徒達。
当時流行っていたウルフルズのカセットテープを持ってきてくれた高校生も。
私の初めての生徒で 結婚して赤ん坊のいたOBは 「引っ越したばかりのお家の中に 何もないと寂しいでしょう。」と花束を抱えてきてくれました。

私のことを 家族のように思って、 見守って 応援してくれた 熱い人達。
今も 私にとっては とてもとても大切な松山の人達。

 

親愛なる松山軍団!!

そこで、 今回は、 Yさんをはじめとする 『親愛なる松山軍団!!愉快な保護者 OB の面々』 のエピソードを少し書くことにしました。

先ず Yさん。

三番町(一番町には県庁 二番町に市役所や歓楽街 三番町もその近くで 松山の街の中心部です)のバス停にいた私の母を  車で通りかかったYさんが 目ざとく見つけて、

Yさん「お母さん乗ってくださいや。先生の家へ行くんですよね。」
母「はぁ〜?」

三番町から 車で10分位で私の家に到着。


Yさん「先生!お母さんを連れてきましたよ。」
私「えーっ!?」
母「・・・」

丁度 レッスンが休みの日だったので 3人で ティー&トークタイム。
Yさんは ひとしきり喋り、 風のように帰っていきました。

母と二人だけになったところで


私「今日 来るつもりやった?」
母「いいや。三番町の病院に行って 家に帰るつもりで バスを待っとったんよ。そしたら 急に車が近づいてきて Yさんに“お母さん!お母さん!” と声かけられて “先生の家へ…”  それで こういうことになった。」
私「なんで “違う”と言わんかったん?」
母「Yさん ずっと喋り続けとって 私が口挟む暇なかったわ。車やけん 三番町から あっという間に この家に着いた。」
その経緯を聞いて、 私は 母と二人で爆笑。

この時の真実は 今までYさんにはバラしてなくて、 今日初めて 世間に公表するので、 当のYさんも このブログを読んで びっくりするでしょう。

亡くなった母も、 Yさんのことが大好きだったから 尚更 本当のことを言えなかったのだと思います。
(母が亡くなった時には、 松山からわざわざお悔やみに来てくださいました。

 雪の降る寒い日でした。)


ごめんなさい Yさん。


 

『親愛なる松山軍団!!愉快な保護者 OB の面々』 2番バッターは ねずみくん。

今は2人の子供の母親になっているEKちゃんが 私のレッスンを受けるようになったご縁で親しくなった西隣りさん
家族ぐるみで食事したり、 お酒を飲んだり、 台風の日に 自転車部隊で カラオケに行ったことも、 懐かしく思い出されます。


ある日の我が家での飲み会で:

ねずみくんは 好きな日本酒で辛口の土佐鶴を飲みながら 


ねずみくん「今日 自分のクラを持ってくるけん 先生一曲吹いてや。」
私「ええけど」


ねずみくんは、 社会人になってから 独学でクラリネットを始めた人です。
自分で購入したというクラリネットは、 当時でも数十万円もする フランスのクランポン社製のものでした。

中1で吹奏楽部に入った私が 母に買ってもらったのは、 初心者の学生向けで Nikkan(日管:当時のヤマハの管楽器部門の名称)のカレッジモデル というプラスチック管(本当は木管楽器なのですが)のクラリネットでした。


 

ねずみくんが 休日によく吹いていたのは、 シューマンのトロイメライでした。
家が近いから ねずみくんの音色が風にのってきます。

 

盛り上がってる飲み会の最中に、


ねずみくん「先生 吹いてや」

私は ねずみくんのクラリネットで 1曲吹きました。
やはり クランポン社製のクラリネットは絶品で 柔らかく 暖かい音色でした。

ねずみくん「何これ? 先生が吹いたらソはソの音やのに なんで自分が吹くとゾ〜になるんやろ?」

私「そりゃ 下手くそやけんやろ。」

その場にいた ねずみくんの奥さん、Yさんとご主人うなちゃん、 全員が爆笑して 夜は更けていくのでした。


松山軍団は、 生徒も保護者も 全員が 愉快な面々です。




私は 松山を離れてから4年後を皮切りに、 教え子の結婚式に2年毎に招待され、 11年前まで お祝いに行きました。
 

結婚式を挙げる教え子の家族だけでなく、 愉快な保護者 OB の面々は、 必ず 別に 飲み会の席を準備して待ってくださっています。

Mちゃんの披露宴に招待された11年前は、 Mちゃんのお母さんが 宿泊に道後温泉の高級ホテルを用意してくださっていました。

ところが、 いつものことではありますが、 軍団は私を一泊では許してくれる筈がなく、 Mちゃんの式の前日早朝から松山入りして ねずみくんの家に泊まることになりました。

朝5時に松山港に着くと ねずみくん夫婦が迎えに来てくださり、 そこから2日間、 私は 分刻みの超ハードスケジュールに振り回されることになります。

ねずみくん宅で朝食をいただいた後、 私が住んでいた家の南隣りで 高校の後輩でもあるNさんが 会いに来てくれました。

お昼過ぎには、 母親になった教え子たちが 地元松山だけでなく 高松や宇和島などからも 子供を連れて集合。
ワイワイガヤガヤ 久しぶりに懐かしい顔が揃い、 思い出話から現在のことまで 話の花が咲き、 アッという間に 時間が経っていました。

おやつタイムには、 市場に出荷している伊予柑を 20年間送ってくださった保護者OBのSOさんに会うことに。

 

夕方からは、 松山軍団が結集して、 夜遅くまで飲み会。


翌日、 なかなか結婚式会場に到着しない私に、  花嫁Mちゃんから 心配しているというメールが入り、
「昨日から今まで 皆んなに拉致されていました!」と返信。

ウエディングドレスを着た 綺麗なMちゃんと 式場で会った瞬間、 「先生 面白すぎます!」と言われ、 爆笑。


このような感じで 本当に愉快な面々なのですが、 心の奥には熱いものが詰まっているのです。

毎年7月になると、 松山軍団の想いを大事にし 感謝と反省を忘れず 精進していかなければと 心に誓います。

生まれ故郷ではない松山ですが、 かけがえのない人達と出会い いろいろなことを学ばせてもらいました。
それも この“ご縁”のきっかけは 《音楽》です。
Yさんやねずみくん達と音楽談義をした日々から 四半世紀以上経っても 変わらず応援してくださっており、 有難く思います。

☆彡
私は毎年 春になると 松山が恋しくなります。

松山は春の似合う街です。

松山城の桜 道後温泉など、 私の住んでいた郊外からでも 自転車で10分ほどで 街の中心に行けるコンパクトさ。

温暖な気候。

じゃこ天、 芋炊き、 醤油餅、 みかん。
美味しい物も沢山ありますが、 何より 人情に厚い 親愛なる松山軍団が住む街!
Yさんとは 新型コロナウイルスが終息したら 会いましょう と 約束しました。

 

届いた五色素麺を食べて、 この夏も 頑張ります!!

 

 

今日の一品:

 松山軍団は 私の作った揚げ出し豆腐が好きでした。

 でも、北九州では 豆腐の野菜餡かけをよく作っています。

↓↓↓↓↓

 

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♪ 音楽の扉を開いて
    一緒に音を楽しんでみませんか ♪


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