耳下腺癌以外にも自分の体で気になることがあります。

でもハッキリと痛むというわけでもなく

なんとなくの違和感でしかないし

たまにしか感じないので普段は忘れてしまいます。

 

ただ、たまにその違和感を感じると

家族に似たような症状で命に関わる病気の者がいるので

もしかしたら私も?と不安になります。

 

こんなモヤモヤを抱えて悶々としているくらいなら

医者に診てもらってハッキリさせたほうがいい

とも思うのですが・・

 

 

医者に行った結果、何でもなかったら

なぁんだ気のせいか、と笑っておしまい。

これがいちばん理想的。

 

しかし何か病気が見つかって治療が必要だったら?

 

しばらく薬を飲んで治ってしまうなら、まぁよし。

ただし私が推測している病だと薬では治らない。

少なくとも一生飲み続ける必要があるだろう。

一生薬に頼らねばならないなんて煩わしいなぁ。

 

それでも薬で済むならまだマシで

手術が必要となる可能性が高いと思う。

それも回復のためというよりは対処療法的な意味が強い。

また手術を受けるのは怖いし

根本治療ではないのに恐怖を押してまで手術する価値はあるのか?

そこまでして生きながらえる人生は楽しいか?

そんなことをつらつらと考えてしまいます。

 

 

そもそも、自分が何かの病気だと分かった時点で

治療を受けるか、受けないか、

受けるとすればどんな治療を受けるべきか、

家族への影響、仕事への影響、経済的なことなど含めて

いろいろ考えなければならない。

そうした場合とそうしなかった場合を推測して

どちらがよりマシな人生になるか天秤にかけ

どう生きるのが幸せなのかを

改めて考え直さなければならない。

正直言って、面倒臭い!!!

 

自分が耳下腺癌とわかったときにある程度通ってきた鬱々とした日々を

今やっと喉元すぎて落ち着いてきたというのに

もう一度繰り返すのかと思うとウンザリします。

 

 

これから先は、本当は病気だったとしてもそれを知らずに

多少モヤモヤを抱えながらも

「自分は病気だとハッキリ診断されたわけじゃない」という思いを免罪符にして

好きなように生きたほうが人生楽しめるんじゃないか?

自分が病気だとわかったらきっと

悪化や死の影に怯え暮らすことになるだろう。

体に良さそうなことを戦々恐々と求める一方で

飽きっぽくて自分に甘く律しきれない自分を責め

心はどんどん疲弊していくに違いない。

 

最期は発症して苦しんだとしても、

早期発見し治療を施した場合より死期が早まったとしても、

病を知らずに普通の生活を送る期間を持つほうが幸せなんじゃないか?

 

でもいざ発症したり死が近づいてきたりしたら

やっぱりあのとき早めに医者に行っておくべきだったと後悔するのだろうか?

 

なかなか答えは出ませんね。

 

これは私がまだ50代だからというのもあるかもしれません。

もし今80歳、いや、70歳を超えているならば、

もういつ死んでもいいから医者など行かずに好きなように生きる!

と言い切れるような気がします。

(とか言いながらその歳になってみたら「もっと生きたい」と思うかもしれませんが。)

 

普通ならばまだあと20〜30年は生きられる年代。

病気があるか否か、病気だとして病気の種類や治療何如によっては

その後の生活の質が大きく変わることになります。

残りの人生に関わることだから、できるだけ後悔はしたくないです。

知りたくなったらいつでも医者には行けるけれど

いちど知ってしまったら知らなかったときには戻れません。

「知らないほうが良かった」と悔やむ日々になることは避けたい。

どう行動すべきか自分で納得できる答えが出るまで

医者に行くのは保留してよく考えたいと思います。

(これも気になることがまだ些細なレベルだからの”余裕”でしょうか。

のっぴきならない症状が出るまでに気持ちが固まっているといいのですが。)

 

 

疲れたら大好きな甘いもので頭と心を休めましょう。

これは1日2粒までのマイルール。

どの味を食べるか楽しく思案中。