ある朝、素敵なひとに出会いました。
私は海辺を歩いていました。
その頃はなんだか疲れていて、急に潮風にあたりたくなったんです。
まだ朝早い海辺。散歩をする人をちらほらと見かけるぐらいで、人は決して多くありません。
風が心地よくて、心がすっきりしました。
風の吹く先に、浜辺に座っている男性を見つけました。絵を描いていました。
なぜか私は、声をかけました。
「おはようございます。」
「おはようございます。素敵な朝ですね。」
その人はにこにこして、そう答えてくれました。
海の絵を描いていました。色鉛筆で、さっと描いていましたが、とてもやわらかみのある、あたたかい絵でした。
「素敵な絵ですね。絵のお仕事を?」
「いいえ、ただの趣味ですよ。気に入ってもらえて、嬉しい。」
本当に素敵な絵だったんです。
「よし、ここに何か、描いてください。」
そう言われました。
絵は苦手です。空に、カモメを2羽、描きました。
「素敵な絵を台無しに…。」
「いい絵になった。」
あれは絶対、カモメがなかった方がいい絵でしたよ。
「ありがとう。また、会いましょう。」
彼はそう言うと、色鉛筆をしまって、帰って行きました。
それから毎朝、私は海辺を散歩するようになりました。
彼は毎日絵を描くわけではありません。むしろ、描くのはたまにでした。
いつだか、毎朝一緒に散歩をするのが楽しみになっていました。
彼の話はとても面白くて、不思議と惹きこまれるものがありました。
そのうち、朝だけでなく、夕方とか、会いたいときに会うようになりました。
一緒に出かけたりもしました。彼は海が好きで、冬でも、あちこちの海に行きました。
彼といるとどこでも楽しかった。
でも彼は言うんです。
「やっぱり、ここが一番だね。」
私たちが出会った浜辺です。
彼はインテリアに凝っていました。部屋にはお洒落な家具がいっぱい。
植物も好きでした。
映画や音楽も好きで、よく一緒に映画を観に行きました。
不思議だったのですが、私が行く度に、彼の部屋には物が増えていきました。
飾ってある絵や写真、置き物など。
集めるのが好きなのかなと思っていました。
ある日、彼は言いました。
「好きな人を、作った方がいいよ。」
何を言っているの?私が好きなのは、あなたなのに。
彼も当然わかっていると思っていました。そして、彼も私のことを好きだと思っていました。
そうでした。彼は私を愛してくれていました。
今までにないほど、大きな愛情でした。
だからこそ、言ってくれたんでしょう。
「僕はもうすぐいなくなるよ。君は、僕を好きだね。愛してくれている。
本当によくわかるよ。幸せだ。
そして、それに負けないぐらい、僕は君が好きだよ。
これからも、ずっと一緒にいたいと思う。毎日そう思う。
でも、僕はもういなくなるんだ。死ぬんだよ。」
「何言ってるの?まだまだ元気じゃない。どうしちゃったの?」
「ううん、死ぬんだ。だから、君に悲しい想いをさせたくない。
今のうちに、好きな人を作って、その人のところに行った方がいい。」
「いや!絶対にいや、いや。」
本当に嫌だった。彼がそんなことを言うのも嫌だった。
ほかの人を好きになるなんて、無理だとわかっていたはずなのに。
でも、彼のほうが、辛かったでしょう。
「信じられないかもしれないけれど、聞いて。
僕は、もう死ぬ。そう決まっているから。
僕はね、一度死のうとしていたんだ。単純に、楽になれるんだと思っていたからね。
ひどい時代で、楽しいことなんて何一つ無かった。人々は争って、大事な人も次々にいなくなった。
そんな中、生きなきゃいけなかったけど、僕は死んだら楽だって聞いた。楽になりたかった。
まだ子供だったから、死んだら楽しい、って考えていたんだよ。そういう世の中だったから。
それで、海が好きだったから、海で死のうとした。
怖くはなかったよ、全然。
でも、1人の天使が僕のところに来てね。
悪さをして神様に怒られたから、何かいいことをしないと許してもらえないんだって言うんだよ。
それで僕は、じゃあ今から楽しいところに行くから邪魔しないでって言った。
そしたら、死ぬのは絶対だめ、絶対にだめって言ってきてね。
僕が願いを叶えてあげるから死ぬのはだめって言うんだよ。
だから叶えてもらった。
大人から、20代の頃が楽しかったって聞いて、20歳にはなりたいなぁと思っていたんだ、実は。
でも、辛い世の中しか知らない。長くは生きたくなかった。
だから、今から20年だけ、どこかほかの地で、生きさせてくださいと頼んだ。
それで、ここに来たんだ。
ある朝、海辺で拾われたよ。あたらしいお母さんやお父さんもできたよ。
兄弟もいてね。知ってるだろ?
いい家族だった。今でも、いい家族。
時代も、国も違って、子供の僕は戸惑った。
でも、外見は変わっていたし、言葉もわかってた。あの天使がそうしてくれたんだ。
今から20年。
そう思いながら、毎日生きてきたよ。
楽しかったなぁ。本当に。これが人生なんだって思ったよ。死のうなんて思ったこともない。
時間が限られているから、好きなことをやった。
好きなものを集めて、好きなことをして、好きな人と過ごして。
本当に毎日楽しいよ。
死ぬときはお気に入りのものに囲まれて死のうと思ってね。いろいろ集めてたんだ。
ベッドもふかふかだし、アロマもいい香り。流しておくCDも決まった。
絵は、ベッドの真上の天井に貼ったよ。あの朝描いた絵。あのカモメは、僕たち?
食べたいものも食べたし、観たい映画も観た。
あとは、好きな人に手を握ってもらおうと思っていた。
でも、君は泣くだろ。映画を観にいっても、泣いて泣いて。僕のことで君が泣くのは、見たくないよ。
これは、僕のわがままだ。悲しんでほしくないんだ。
君には、いつでも笑っていてほしい。」
突然、そんなことを言うんです。
何がなんだか、わからなかった。ただただ、涙が流れました。
「いや。私は、あなたといるわ、最後まで。」
そんなの当たり前でしょう。もう時間が無いのなら、1分、1秒、あなたといたい。
どんな仕草も、言葉も、全部、覚えておきたい。
「明日、夜の7時、僕は死ぬよ。」
綺麗な花を買ってきた。初めて観にいった映画のDVDを、ソファーに座って観た。
もう何回も観ているけど、私は泣いた。映画とは、関係ない涙だったかもしれない。
彼の好きなパスタを作った。美味しい、美味しいって、2人前も食べてくれました。
「最後の晩餐に飲もうと思ってたんだ。2人で飲めるとは、思ってなかったけど。」
彼は、高そうな白ワインをあけてくれて、一緒に飲みました。お酒はあまり飲まないけれど、すごく美味しくて。
星がたくさん出て、素敵な夜だったから、海辺に散歩に行きました。
「夜の散歩も、いいね。手を繋ごう。」
私たちは、手を繋いで歩きました。話題は、いつもと変わりません。よそから見れば、他愛のないこと。
でも、それが、幸せでした。
「あの日、絵を描いていて良かったなあ。」
あの浜辺で彼は言いました。
涙が、溢れてきました。夜で、良かった。
「出会ってから、毎日本当に楽しかったよ。よく笑うし、よく泣くし、飽きないね。」
彼は笑っていました。でも私は、涙が、止まらない。
彼は私を、ぎゅっと抱きしめてくれました。お互い、何も言いませんでした。
「帰ろうか。」
また、手を繋いで帰りました。
その晩、一緒に寝ました。
翌朝、いつものように、起きて、散歩に行きました。今日はちょっと遠くまで。
素敵なカフェで、朝ごはん。
日差しが心地よかった。
歩いて帰って、2人でゆっくり過ごしました。
「これを。」
夕方、彼が私に小さな包みをくれました。
「僕のこと、覚えていてほしい。これから、君には、また新しい恋愛をしてほしいけど、絶対、忘れないでほしい。お願い。」
包みは、小さな時計でした。私の好きな、ピンクの石がついていて、とても素敵な時計。
「忘れるわけないでしょ。忘れたくても、絶対に忘れないわ。
毎朝、毎晩、海を見るたび、あなたのことを思い出すに決まってる。
あちこち一緒に行ったから、あちこちであなたを思い出す。
音楽を聴くたび、映画を観るたび、あなたを思い出す。
桜を見ても、ひまわりを見ても、もみじを見ても、雪を見ても。
あなたがいるから、私がいるの。」
出会ってからの短い間にできた、たくさんの想い出が、次々と鮮やかに蘇ります。
世界中のどんな宝物よりも、宝物。
「私のことも、忘れないでね。
これからも、幸せに生きるわ。心配しないで。
もちろん、泣くけれど。」
「絶対結婚するんだよ。君みたいな女の子を1人でなんて、放っておけないよ。
でも、結婚して、子供ができても、たまに、思い出してほしい。」
当たり前でしょ。
泣きすぎて、言えなかったから、彼にぎゅっと、抱きつきました。
彼も、抱きしめてくれました。
あぁ、もう、最後なのか。
あの温もりは、今でも、はっきりと感じることができるよ。
音楽をかけて、アロマキャンドルに灯をつけて、お気に入りのパジャマに着替えると、彼はベッドに入りました。
「そばにいてね、そこに。」
ベッドの脇に置いた椅子に腰掛けて、ずっと彼の手を握っていました。
また、他愛の無い話。本当に彼の話は、面白い。
もうすぐ7時。
悲しくて時計は見れなかったけど、なんとなく、わかりました。
「ねぇ、キスして。」
そういう彼の顔が、涙で見えなかったけれど、キスをしました。
時間が、過ぎていく。
多分、ほんの数秒のことだったでしょう。
でも、私には、本当に、永遠かと思う時間に感じられました。
私の頭に添えられていた彼の手が、ふわりと落ちました。
それからも、しばらく、彼の手を握っていました。
今、驚くことに、夫がいて、子供もいます。
幸せです。
彼のことを忘れた日はありません。
でも、前に進みました。
彼も、そう言っていたから。
いつまでも、過去にとらわれないで、と。
今でも、あの日の時計が、私の手首に。
毎日、着けています。財布を忘れても、携帯を忘れても、この時計だけは着けています。
もうすぐ、夜の7時。
あれから、20年、私と一緒に時を刻み続けてくれました。
ほら、あと1分。
今日は夫は出張でいません。
高校生の息子もまだ帰っていません。中学生の娘は合宿でいません。
私は1人テーブルに座って、古い映画のDVDを観ながら、白ワインを飲んでいます。
1人だけど、パスタを作りました。
時計を見ました。もう7時になります。
針が7時をさしたと同時に、カチッと、小さなつまみが飛び出しました。
壊れた?
そう思って、つまみを引いてみました。
すると時計は、ロケットペンダントのように、後ろ側がパカッと開いて、2人で撮った写真がはめられ、小さく折りたたまれた紙が出てきました。
あれから20年。
君は幸せですか?
泣いてばかりいませんか?
もう一度お礼を言いたい。
素敵な時間を、本当に、ありがとう。
時間は、誰にでも、限られている。
精一杯、精一杯、楽しんで。