2日(火)

義実家と孫宅のすぐ近くにある委空寺(いくじ)の桜を見に行ってきた

満開にはまだ早いだろうなと思ったけど

この翌日からは天気の良くない日が続くという予報だったので

この日に行くことにした

 

するとやはりまだ早かった

 

境内の真ん中の

ここはよく咲いている方だけど

 

全体としては4分咲きというところか?

 

 

境内の奥にある桜も

3~4分咲きという感じだった

 

黄色いのは隣の畑の菜の花

 

部分的に赤色が目立つ花があった

 

他の花は白っぽい

 

スズメも花見に来ていた

 

スズメは我が家にはほとんど来ないので

私にとってスズメは珍しい野鳥になっている

 

蕾が多い

 

満開にはまだ早いからか

私以外誰も来ていなかった

 

委空寺の扁額

 

地蔵堂もある

 

薬師堂

 

太い幹から直接咲いているような胴吹き桜を見つけた

 

ここにもあった

ところでこの委空寺の裏には

 

なぜか

鼠小僧次郎吉のお墓がある

以前から

なぜここに次郎吉の墓があるのか

ずっと不思議に思っていた

それでネットで調べてみたら

Wikipediaには次のように書かれていた

 

(前略)(次郎吉の)墓は両国の回向院にある。(中略)また愛知県蒲郡市の委空寺にも、母親の手によるものとされる墓を移設したものがある(攻略)

 

と書かれていたので

Wikipediaにもこの墓のことがちゃんと書かれているんだと驚いた

この墓には「平成二十年二月建立」と書かれているので

その時に移設されたようだ

また『がまごおり風土記』によると

次郎吉は蒲郡市の神明町の生まれということになっているらしい

ということもWikipediaに書かれていた

ところで次郎吉は

大名旗本屋敷に盗みに入って

その奪った金を貧しい家にばらまいて行った義賊

という認識で有名になっていると思うけど

最近読んだ

 

磯田道史氏のこの『日本史を暴く』(中公新書)には

<鼠小僧は「義賊」にあらず>

という項があった

磯田氏は神田の古本屋街で

(おやしき しのびいりそうろうとうぞくいっけんのちょう)

「御 屋 敷 へ 忍 入 候 盗 賊 一 件 徴」

と書かれた古文書を見つけたという

それは次郎吉に盗みに入られた旗本の内部記録だったそうで

それを解読すると

次郎吉は義賊ではなく

「とんでもなかった」そうだ

次郎吉は屋敷に入っても武士が寝ている所には行かず

女性がいる奥向や女中が住む長局ばかりを狙い

弱い女子の部屋を覗き

彼女らの金をせしめていたのだそうだ

そして盗んだ大金は「酒食遊興又は博奕」に消え

庶民にバラまかれていたわけではないという

また磯田氏は

鼠小僧が金だけでなく

武家の女の部屋に入ること自体に快楽を感じていた可能性

も指摘している

この本に興味のある方は是非ご一読を…

委空寺の桜から鼠小僧次郎吉の墓

そしてその裏話へと繫がり

とりとめのないブログとなってしまったけど

お許しを…

 

今朝のカミさんはウォーキングに出かけ、

帰ってきたと思ったら今度はまた、

「豊橋へ行ってくる」と言い残して、

急いで出かけて行きました。

今日は昨日の強風も収まり、

穏やかな天気になっているので、

久しぶりに散歩に行ってこようかなと思っています。