久々に、『瞬きもせず』を読み返してます。
僕は多分、どちらかというと“都会育ち”に入るんだと思います。
それでも多くの同級生が、『東京に行きたい』と言っていたのを覚えています。
僕は全くそんな事を思ってませんでしたが、中学を卒業した頃から、漠然と関西への進学を考えていました。
特に仙台に対する不満は無かったのですが、何も知らない所へ行ってみたい、という気持ちはありました。
だから、地元が嫌で、とか、つまらないから、とか、そういう感情は無かったのです。
でも、周りの人達は、結構そう言う人が多くて、実際多くの人が、東京やその近郊の街へと出て行きました。
作中に、『ここ(この街、ということ)にはパワーがない』という描写があるのですが、この作品を初めて読んだ高校生の頃、その意味がよく分かりませんでした。
多くの人が、更なる大都会に憧れていながらも、それでも僕が住むこの街は、“パワー”がある方だったからだと思います。
ですが、一人旅を始めるようになって、その意味が分かったような気がしています。
批判とか、バカにするつもりとか、そういうのは全然無いのですが、多くの土地を見る中で、『えっ?何もないじゃん?』とか、『なんだか寂しいな』とか……
そういった寂寥感を感じる街が、実は多くありました。
どこかしこに、実は魅力があったりするのですが、それでも何か、寂しさを感じてしまったりするのです。
きっと、“パワーが足りない”というのは、そういう事なんだな、と感じます。
でも、その土地毎に対して、人がどう感じるかは人それぞれ。
作中でも、結局かよ子も紺野も山口に戻る事を最後に選びます。
現実的な事も、世の中溢れかえっているけれど、育った街というものは、やはり支えとなるんだろうな、多くの人にとって、と思います。
あれだけ『ここを出たい』と言っておきながら、戻ることを選択したということは、そういうことなんだな、と。
そして、大都会に出た同級生達も、30頃から、ぽつりぽつりと戻ってきている人も結構周りにいたりします。
人それぞれの事情はあれど、この街にまた戻ってくるということは、かよ子や紺野と同じ事なんだな、と思います。
どういう感情を抱えてのことなのか、それはわかりません。
一度も地元を離れずにいる僕には、そうした人達の景色は分からないのです。
それが少し、羨ましいな〜、、とか、たまに思ったりします。