小早川家の秋 | 温故知新 YEBISU NOTE

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1961年小津安二郎監督。

京都伏見の造り酒屋の当主の人生最後の日々を描いたもの。おそらくほんの1ヶ月位の間に起こる日常だと思うが、その短い期間を描いただけでも奔放に生きたこの男の人生が面白おかしく伝わってくる!

 この爺さん=当主=中村鴈治郎は既に酒屋の仕事は長女夫婦に任せていて悠々自適の身ではあるのだが、最近やけにそわそわしているのが店の者にも家の者にも見透かされている。案の定、昔の愛人に競輪場の帰りに偶然19年ぶりに出会ったとかで、落ち着きなく、出掛けていたのだ!


 店の大番頭=山茶花究、小番頭=藤木悠は興味津々、中村鴈治郎を尾行したりして、そのあとでふたりで盛り上がるシーンも面白かったし、今更ながら焼け木杭に火がついた親父=鴈治郎と「なにやってマンネン」と追及する長女=新珠三千代の掛け合いが絶妙?!

そして、焼け木杭は浪速千栄子、その娘に団玲子、、娘は鴈治郎の子供?らしい。2人の男と付き合ってるのだが、それがどちらもアメリカさんというところがぶっ飛んでいる!(そのアメリカさんが「南国土佐をあとにして」を口笛で吹く場面は面白かった) 小津安二郎の作品は毎回こういうタイプの人物が登場するところがほんと楽しい!!


この作品は、ストーリーがどうこうというより、登場人物が最高!!演技も演出も素晴らしい!

まず主演の中村鴈治郎、娘の中村玉緒も年齢を重ねるごとに父に似ていく感じがする。その鴈治郎の長男の嫁が原節子→ただし、長男は酒屋をつがず大学教授になっていたが早逝したため、今は独り身、ミナミのbar でお見合いするシーンがオープニングあたりの場面相手は森繁久彌、それを取り持つのが叔父役の加東大介、小津ファミリー?の2人が森繁を迎えうっての演技合戦は貴重!森繁は明らかにそれを意識してるように見えた(脂が乗っている頃の日本喜劇界の重鎮の貴重なシーン)続いて、場面は十三(だと思うが)司葉子、宝田明の絡み、司は鴈治郎の次女役、当時としては、作品中でのアイドル?的位置付けかな?宝田明も当時は若手のイケメン、2人の友人として白川和子も出てた。そういえば、宝田明も若手の大学教授役。小津の作品って大学教授がよくでてくるなあ

 アイドル的位置付けの司葉子は原節子との絡みも多い、、

司葉子と言えば、俺が子供の頃は

小野やすし、米田哲也(プロ野球)とともに鳥取出身三大有名人という位置付けだったな!しかも3人とも境港出身というオマケつきで

しかし、司葉子って、特別華がある感じでもないし、演技では同世代の佐久間良子の方がずっと上だな

 

酒屋を守る長女夫婦に、上記した新珠三千代とその婿役が小林桂樹、店のスタッフに上記した大番頭 山茶花究 小番頭 藤木悠。

やはり、上記している焼け木杭の浪速千栄子と娘の団玲子が出てくるシーンも鴈治郎との絡みで楽しい!! 因みに、浪速千栄子は

数年前、朝ドラで杉崎花が演じた

「おちょやん」のモデルである。


ラスト近くになると、まるで特別出演のように、笠智衆、杉村春子が貫禄の登場、、加えて、後に日本社会党から参議院に出た望月優子さんも笠智衆の女房役で出演してた。ただ、出演者に内田朝雄が出てたみたいだが、これは、どこででたかわからなかったのだが、往診する医師の役だったまたいだ。


なんか、俳優の話しばかりになったが、当にオールスター映画の様相。それぞれのキャラにみいってしまった。ほんと、至福の時間であった!!

あと、小津安二郎の作品は「家」

という空間を非常に有効に使って日本と日本人を表現しているように感じる。そして、風景➡️嵐山、

伏見の造り酒屋の外壁、京都の路地街もあれば、音で表現した花街、高校野球のラジオ放送の音、

路地に響くひぐらしの鳴き声

さりげなく、風物詩を表現していた。そして、登場人物の描き方が良い!!京都の晩夏から初秋の風景は叙情的だが繰り広げられる人物の会話は、非常に屈託なく、合理的であった。京都の人というのは、やはり1000年の都人であるからホンマものの都会人、合理性も高い!というのが10数年だけ京都人であった自分の自論である。

というか、小津作品の登場人物はどの作品でも所謂ウェットな感じがないのが良い!戦前~戦後、昭和初期~中期に、合理性を感じさせるセリフが多いのは良いなぁ~

 令和の現代ニッポンは、当時よりドライであろうが、所謂「感情移入」を廃しても、充分楽しめる作品の一番手は濱口竜介であろう。昭和の小津か令和の濱口か?

➡️あくまでも自論ですからww


  忘れかけてたが、この作品のメインテーマは「死」と「お葬式」でもあるかもしれない。奔放に生きて、競輪場にふらっとでかけ昔の愛人に看取られ死んでいく、、

当に「酔生夢死」=世の中になんの貢献することなく名もなく死んでゆく、、ほとんどの人がそうであろうし、それは、ごくふつうのことだ。ただ、鴈治郎が演じた爺さんのように、酔っぱらったように生きて、その人生が夢のように死んでゆく  そんな意訳も出来るような気がした。➡️これも自論


この作品、観るのは三度目。最初は、多分40年くらい前、まだ、一乗寺に京一会館があったころ、二度めは、場所はわすれたが、20年くらい前に観てる。いつみても、強烈に脳を刺激するが、

競輪場はなんとなく、ボンヤリとしか記憶してなかった。そうか、

大和西大寺に奈良競輪場があったんだなwww 







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全部書き終わったあと、この動画みたら、結構、自分と目のつけどころが似てたので驚いた!