落下の解剖学 | 温故知新 YEBISU NOTE

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 タイトルからして興味をそそられる作品。クライムサスペンスであるということと、カンヌで評価されアカデミー賞でも複数のノミネートを得ているという予備知識のみで見に行った。意外と辛気臭い感じではないかと思っていたが

結構エンタメ作品としても楽しめた。



クライムサスペンスであるから、事件は起こるのだが、そこに夫婦の間の様々な問題が絡み合ってあくのは、ふた昔前の我が国で高視聴率を誇った「火曜サスペンス」みたいだと思ったが、設定によってカンヌで評価されるような高尚な作品になるものなんだなと妙に感心した。

 別に茶化してるわけではない。


雪景色のフランスの田舎が舞台というのもサスペンス向きである。


夫の転落死は、事故か自殺かはたまた他殺か???


有名作家の妻が殺人容疑者として法廷に立つことになる。そこで様々なことが表にでてくるのだが、妻に対する疑惑は状況証拠ばかりで、決定的物証などなく、警察も検察も有罪の証明ではなく無罪を証明するのを手伝ってるようにさえみえた。


それで、自分にはクライムサスペンスよりも別のことの方に興味が惹き付けられた。それについて書いてみると

➡️社会で成功するのは男=夫であり、女=妻はそれをバックアアップするもの。そんな「常識」があるのではないだろうか?特に我が国には良妻賢母というワードがあり、それは社会を構成する上でのエッセンシャルなワードであるのかもしれない。欧米でも似たような発想で家庭も社会も受け継がれてきたのかも。

そうだとすると、この作品はそういう考えに対するアンチテーゼを示しているようにも思えた。といっても、社会的成功やら経済的成功成し遂げた者に対する妬み、僻みは古今東西を問わず存在したものだろう。


例えば、男=夫が社会的或いは経済的に成功する。女=妻はそれをバックアップし、夫婦でその成功=喜びを共有する。そういうパターンがごく普通、当たり前であると多くの人の脳にすりこまれてきたと思う。


その成功者が女性だとする、身近で同じ道での成功を目指す男性なら余計にジェラシーは積もるかもしれないし、ましてや、妻に対する夫だとすると、その負のエネルギーは最大限になるのかもしれない。「負のエネルギーが最大限」

などと言えば、「不倫」などというものも、それを誘発するものだろうが、「新しい形の不倫」に好奇心を刺激された。



これは、この作品を観たうえで思ったことで、それが良いとか悪いとかなどという気は全くない。単に作品を客観視しただけだ。


それで、この作品を突き詰めていけば、現実に世界中の先進諸国で起こっている少子化問題とか含めて、「従来の家族観の崩壊」を思わせる。しかし、そんな大袈裟なワードを軽々しく使っても良いものかと躊躇したりもするのだが、ラスト近くの夫婦の一人息子の決断の根本にはそういう発想があるように思えた。



なんか、作品のレビューを書いてるのかどうか自分でもわけがわからなくなってきたが、様々な男女間の問題も興味深かったし、エンタメ作品としても満足できる作品だった。そして「落下の解剖学」という、物理学あるいは医学を連想させるタイトルは、人体を解剖するのではなく、かって良好だった夫婦関係、家族関係の崩壊=落下を検証(解剖)してるように思えた。