「自分が我慢をしてきたから
子供に我慢をさせたくない。」
一見子供のことを思っているような言葉だけれど
自分が可愛いのかな、と考えてしまった。
我慢をしてきた自分
本当の自分は我慢をしたくない。
我を通したい。
その自分を子供に投影して
子供に我を通させてしまう。
○○になりたかったけど
出来なかったから
子供にさせるというのと同じ?
子供は親のものでは無いとわかっているのに
いつかは自立し、社会を一人で歩いていくことも
人生のいろいろな醍醐味を味わい
強くあらねばならない時があることも分かっているのに
子供を愛するがゆえに、
子供の前にある、子供が乗り越えなければいけないものを
あえて親の手で取り上げてしまう。
愛は盲目というが
子供が傷ついたり苦しむのを自分が見たくないだけ
その場合の愛は自己愛
と、以前の私なら
ここでばっさり切り捨てていました。
けれど、今の私はここで一呼吸おいて考える。
なぜ子供のことよりも自分のことを大事にしたいんだろう
子供のことを考えることも出来ないほど
切羽詰った自分がいる?
とても傷ついている自分がいる?
「辛い、寂しい、不安」
そんな思いでいっぱいの自分があるのかな。
もしそうなら、
私に何かお手伝いできることはないかと・・・
思うようになりました。
自分の人間力を試されている。
関わった結果がどうであれ
全て受け入れる。
それこそ信じて期待せず
断捨離の精神で進んで行きます。
ちなみに我慢とは
仏教でいう煩悩の一つだそうです。
自分の身のみを頼みて、人を侮るような心。
自分を高く見て他を軽視する、自己中心的な思い上がりの心。
他と比較して起こす驕り
日本語では自分を抑制する意味と捉えられていますが
強い自我意識からおこる慢心を言うのだそうです。
私、人より耐えているの~ヽ(`Д´)ノ
人より頑張ってるし~(  ̄っ ̄)
私って偉いよね~\(*`∧´)/・・・・・という感じ?
なんかそれを知っちゃうと
下手に我慢なんで言葉
使いたくなくなっちゃいますね(-。-;)